第136話「銀幻蝶」
「この先にコアがあります」
〝銀霊の氷獄〟の最下層を直走り、道中の魔獣も薙ぎ払った。ハウスキーパーが四人もいれば、いよいよ敵なしだ。その上、ヴァリカーヤも先祖伝来の戦斧を使い、豪快な戦いぶりを見せている。唯一ちょこちょこと動くしかない僕だけが場違いな感じさえあった。
そうして長い直線に辿り着き、ヒイラギが言った。
〝銀霊の氷獄〟の心臓部であるコア。それがあるということは、そこにこの迷宮で最も強い魔獣がいるということだ。それを打ち倒し、ヒマワリがコアを修復する。
「魔獣は現在、三機のハウスキーパーによって留められています。彼女たちが活動限界を迎えるまでに対策を取らなければ」
〝銀霊の氷獄〟にはヒイラギ以外にも二十二人のハウスキーパーがいる。彼女たちは迷宮の各所に分散し、そこで収容されている迷宮遺物を守り続けている。そのうちの三人が最下層の守護をしていた。
しかし、特殊破壊兵装を持たないハウスキーパーはその戦力を大きく落とす。ヒイラギと比べれば、非常にひ弱な存在だ。
「ヒイラギ。あなたの持つ特殊破壊兵装について説明を」
アヤメが、ヒイラギの腕にある盾を見ながら尋ねる。
これまでは特殊破壊兵装を探し回ることがほとんどだったけど、今回はヒイラギが部隊リーダーの証として持っている。形状は盾。前面に尖った突起が並び、シールドバッシュでも相当な威力を発揮する。それでもやはり、基本的には防御のための道具だ。
「この兵装の名は〝
やはりこの迷宮、いや第四〇三閉鎖型特殊環境実験施設の思想は外敵の排除ではなく、被害の抑制にある。彼女たちは迷宮が危機的な常用に陥った際、この盾を用いて収容している迷宮遺物を守るのだ。
黒鉄の装甲に、青い光を宿す。アヤメの籠手やユリの槍、ヒマワリの銃とも同じ系列にあることは確かだ。ということは、また別の姿も秘めているのだろう。
ダンジョンが危機的な状況に陥っているのは、ヒイラギがマスターであるヴィソカーヤを失い、特殊破壊兵装の機能を部分的に使えなくなってしまったからだ。けれど今はヴァリカーヤが新たなマスターとなり、この盾の真の姿も解放される。
「大量のマギウリウス粒子を必要としますが、この先にいる魔獣に対しても効果的に対応できるはずです」
「では、我々はあなたの盾の発動までの時間を稼げばよいということですね」
ヒイラギが頷く。
現場は長く一直線に伸びる廊下だ。左右に柱が連なり、荘厳な雰囲気を醸している。少し〝銀龍の聖祠〟にも似た雰囲気がある。どことなく神聖で、静謐が似合うような。
廊下といっても縦横に十分に広く、アヤメたちならば十分に戦えるだろう。問題は、扉の向こうに待つ魔獣の正体だ。
「コアの前まで迫っているのは、銀幻蝶と呼ばれる魔獣です」
聞き覚えのない名前だ。おそらくは〝銀霊の氷獄〟の固有種だろう。ヴァリカーヤならば何か知っているだろうかと思い、振り返る。
「銀幻蝶……。そうか」
やはり、彼女は知っているらしい。むしろ、それ以上の思いがあるようだ。
「とにかく素早い魔獣だ。手練の老翁でも、成長したそれを討つのは難しい」
「手強い相手なの?」
「ほとんど不死身と言われている」
〝銀霊の氷獄〟での探索に特化した老翁たちでさえ手を焼く魔獣。それはいったい、どんな姿をしているものなのか。
「とにかく、一発で仕留めればいいんでしょう?」
それなら任せなさいと、ヒマワリが完全展開状態の〝千変万化の流転銃〟を構える。銃身から二本の脚を開いて支えにし、自身は床にうつ伏せになるような姿勢でそれを抱きかかえている。これが一番、照準が安定する姿勢らしい。
ヒマワリの出番は最初の一発だけだ。それでもし仕留めきれなかったとしても、彼女はコアの修復へと移る。銀幻蝶を相手取るのは、ヒイラギたちだ。
「ヒマワリの狙撃はまず外れると考えていいでしょう」
「何よ!」
「侮っているわけではなく、相性が悪いのです」
確信を持ってヒイラギは断言する。〝黒鉄狼の回廊〟では決定的な一撃を与えたヒマワリの特殊破壊兵装が、銀幻蝶には通用しないと。
「そして、アヤメとユリの攻撃も」
「そうですか」
ヒマワリだけでない。アヤメとユリ、二人も戦力外であると断言される。
「ただし、出番はあります。〝凍結封殺の氷壁盾〟が動き出せば、勝機は見えるはずですから」
いったい、銀幻蝶とはどのような魔獣なのか。
その時、通路の奥の扉が強く叩かれた。ドンッ、と鈍い音が響き、全員が一斉に顔を向ける。
「どうやら、我々の存在が察知されたようです」
厚い扉の向こうから、魔獣がこちらを睨んでいる。もはや猶予はない。
衝撃は断続的に重なり、頑丈な扉が歪み始めた。中にいるヒイラギ隊のハウスキーパーたちは無事だろうか。
「特殊破壊兵装“千変万化の流転銃”、固有シーケンス実行」
動き出したのは、一撃に全てを賭けるヒマワリ。彼女の持つ銃が青く輝きを放ち、周囲のマギウリウス粒子を吸収し始める。
その前に立つアヤメたちも身構える。
「扉が突破されるぞ」
ヴァリカーヤの声と同時に、頑丈な鉄扉が弾け飛んだ。
「シィァアアアアッ!!」
現れたのは、巨大なツノを持つ銀色の猛獣。それでいて体は細く、繊細だ。何よりも特徴的なのは、背中から生える四枚の翅。薄く虹色に透き通り、細かく振動している。
巨大ではあるが、線の細い体をしている。むしろ儚ささえ感じさせるシルエットで、とても鉄扉を吹き飛ばすほどの力を持つとは思えない。黒々とした目が、僕らを見る。
「あれが銀幻蝶?」
「ああ、そうだ」
前肢の先端はカマキリのように長く鋭い鎌になっている。三対の脚は退化し、もはや地上に降り立つこともできないだろう。だが、そんなものは必要ないとばかりに、軽やかに浮遊している。
「特殊破壊兵装〝万物崩壊の破城籠手〟、完全展開」
彼女の籠手が光を放つ。
巨大な鉄拳がぐるりと旋回し、魔獣の真正面を捉える。
「固有シーケンス、〝崩壊の号鐘〟」
先手必勝。アヤメが銀幻蝶が行動を起こす前に拳を叩き込んだ。
凄まじい激音が荘厳な部屋の隅々にまで響き渡る。
彼女の最大の破壊力が、避ける暇さえ与えず銀幻蝶に直撃した――はずだった。
「無駄だ」
ヴァリカーヤが奥歯を噛み締める。彼女の眼前で、驚愕の光景が巻き起こる。
「リィイイイイッ!」
「なっ!?」
透き通る銀鈴のような声。銀幻蝶が小さな口を震わせていた。
何が起こっているのか。目を凝らそうとしたその時、銀幻蝶が目の前に迫ってきた。
「なっ、速っ!?」
音すらほとんどせず、瞬く間に距離を詰めてくる。滑らかに振り出された大鎌を、ほとんど奇跡のような間合いで避ける。
「ヤック様!」
幻のように捉えどころのない獣。故に銀幻蝶。大きな銀翅を震わせ、超高速で瞬間的に移動する。
「ヒマワリ!」
「見てなさい!」
銃を抱えたヒマワリが、照準を定める。
マギウリウス粒子を急激に取り込み、銃身の側面にある青いゲージが満たされていく。
「マギウリウス粒子充填率100%――超圧縮鍛造完了。特大口径弾丸装填。位置調整、体勢調整。照準固定」
銃身が青く光り輝く。
ヒマワリは金色の髪を耳にかけ、まっすぐに対象を見つめる。
「特殊破壊兵装“千変万化の流転銃”、固有シーケンス実行」
引き金が引かれる。
「――“石激る軌跡”」
銃身から青い輝きが光条となって放たれる。それは目にも止まらぬ速さで銀幻蝶の中心へと迫り、そして。
「なっ!?」
ヒマワリの驚愕。
銀幻蝶の姿がぶれたかと思えば、無傷のまま浮かんでいる。ヒマワリの狙撃を、躱したのだ。信じられないが、その白い体躯には傷ひとつない。これまで避けられることのなかった狙撃が通用せず、ヒマワリも混乱しているようだった。
僕は咄嗟に動き出していた。
「二人とも伏せて!」
懐から取り出したものを投げると同時に、アヤメたちに叫ぶ。アヤメとユリは機敏に反応し、さっと身を屈める。直後、銀幻蝶の眼前で稲妻が花開いた。
バリバリと空気を破る音が多重に響き、銀幻蝶が悶え苦しむ。
〝黒鉄狼の回廊〟で手に入れた拡散衝撃電流手榴弾だ。周辺一帯にまとめてダメージを与えられるこれならば、銀幻蝶が多少動いても巻き込むことができる。問題があるといえば、そのストックが今尽きてしまったということくらい。
「アヤメ!」
「お任せください」
銀幻蝶が僕を睨み、大鎌を振り上げて迫る。
僕の叫びに応じて、アヤメの籠手が手のひらを広げた。
「はぁああああっ!」
巨大な鋼鉄の手が地面に叩きつけられる。それはちょうど、煩わしい蚊を叩き潰すように。こちらに迫っていた銀幻蝶はわずかに避けきれず、籠手の指先が翅に掠った。それだけで墜とすことはできないが、鱗粉が周囲に散らばる。
「くっ、もどかしいですね……っ!」
悔しげにしているのは刺突型の攻撃に特化した槍を持つユリだ。彼女の攻撃は、銀幻蝶に対して相性が悪すぎる。
「ユリ、ヒマワリと一緒にコアに!」
「了解しました!」
銃を畳んだヒマワリが、銀幻霊獣の横を走り抜ける。適材適所というものがある。ユリにはヒマワリの護衛をしてもらう。僕は二人が廊下を駆け抜けていくのを見送り、アヤメの方へと意識を戻す。
銀幻蝶はアヤメの籠手を躱しながらこちらへ近づいてくる。
「リァアアッ!」
「くっ……!」
銀の鱗粉が舞い上がる。アヤメが顔を庇ったその時、銀幻蝶が左右の大鎌を強く叩きつけた。直後、滞留する銀粉が弾け、凄まじい閃光が視界を白く染め上げる。
「アヤメ!」
「問題ありません――ッ!」
ガキン、と金属のぶつかり合う音がする。アヤメは籠手を手刀のように変形させ、銀幻蝶の大鎌を受け止めていた。
「うぉおおおおおおっ!」
そこへ、猛々しい声と共にヴァリカーヤが飛び込む。
アヤメに集中していた銀幻蝶の不意を突き、その体に戦斧の刃を食い込ませた。
「ぬっ!?」
ヴァリカーヤが目を見張る。戦斧が深々と突き刺さるも、抜けない。銀幻蝶の硬い甲殻が捕らえて離さない。自分に危害を加えた相手に、銀幻蝶は殺意の鎌を差し向ける。
「はぁああっ!」
瞬間、火花が散る。凄まじい高音が耳を貫く。
だがヴァリカーヤの断末魔は聞こえない。
「ヒイラギ……ッ!」
盾を構えたヒイラギが、彼女を守るように体を捩じ込んでいた。
「特殊破壊兵装〝凍結封殺の氷壁盾〟――完全展開」
大鎌を受け止めながら、ヒイラギが朗々と放つ。それに呼応して、盾が動き出す。
厚い装甲を左右に広げ、鋭い爪が下部から伸びる。彼女はそれを地面に突き刺し、全身を覆い隠すほどに大きくなった盾を固定する。
「固有シーケンス」
盾が光の勢いを強める。
銀幻蝶はそれに本能的な危険を察知したか、更に鎌を叩きつける。だが、鋼鉄の盾はびくともしない。それどころか、銀幻蝶の大鎌が欠ける。
「リィィアアアアアッ!」
怒りの声が響く。
だが、ヒイラギの青い瞳は揺るがない。
不動の意志でそこに立ち、不退転の覚悟で立ちはだかる。
「――〝封絶の波紋〟」
そして、全てが凍結した。
「う、ぐぅう……っ!」
世界が純白に塗り潰される。僕は突然に胸の苦しさを覚え、蹲る。視界が歪み、頭が痛い。揺れる視界の隅では、アヤメが籠手を落として倒れ込んでいた。
「アヤメ……ッ!」
息苦しい。まるで空気が全て消えたかのようだ。
凍りついた世界が、急速に体温を奪い去っていく。
「おいっ、ヤック! しっかりしろ!」
くぐもった声が遠くに聞こえる。ヴァリカーヤが僕に向かって手を伸ばしている。
「――」
彼女の名前を呼ぼうとした。それができたかどうか分からないうちに、僕の視界は黒に染まった。
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