第135話「迷宮の氷獣」
ヴァリカーヤが衝撃から立ち直ったところで、周囲の状況を確認する。意外なのは最下層の気温が極寒というほどではなく、むしろ暖かく感じるほどだったことだ。
「コアはそのものが熱を帯びますので。最下層は排熱機構を集約し、他の階層の熱エネルギーを吸収する役割も持っています」
ヒイラギに尋ねると、そんな返答があった。なんにせよ、動きやすいのはありがたい。
まあ、比較的暖かいというだけで、相変わらず吐息は白いし、防寒具なしでは震える寒さではあるんだけど。
それに暖かくなると動きやすいのは僕らだけではない。
「早速ですが、敵性存在が接近しています」
「ヤック様、後ろへ」
ヒイラギが盾を構え、アヤメが拳を握りこむ。シャフトの扉を出た直後、通路の奥から青い鱗の蛇型魔獣が現れた。
「そいつは毒持ちだ。気を付けろ!」
ヴァリカーヤも戦斧を取り出しながら叫ぶ。その声が開戦の合図となり、蛇は大きく顎を開いて滑るように襲いかかってきた。上下に二本ずつの鋭い牙から毒液が垂れている。
「ジャアアッ!」
獰猛に噛み付いてきた蛇に、ヒイラギの盾が叩き込まれる。尖った突起のついた盾面で下顎を叩き上げ、強引に顎を閉じさせる。首を仰け反らせ、無防備に曝け出された腹に向かってアヤメが拳を叩きこむ。
「せいっ!」
「ジャァアアアッ!?」
気道を圧迫され、悲鳴と共に空気を吐き出す蛇。太く長い体がしなり、アヤメたちを纏めて巻き締めようとする。
「うぉおおおおおっ!」
そこへ、ヴァリカーヤが果敢に飛び込んだ。彼女の身の丈を超える巨大な戦斧があざやかに翻る。熊獣人の膂力は、鋼鉄の塊である重量級の獲物を軽々と振り回す。その重みを先端に全て乗せて、勢いよく振り下ろされる。
「せぁああああっ!」
青い鱗が周囲に飛び散る。皮を切り、肉を割き、骨を断つ。
ヴァリカーヤは一撃の元で、巨大な蛇の頭を切り落とした。
その手際のいい動きに思わず感嘆の声が漏れる。彼女も元々は迷宮に通う探索者だったという話は聞いていたけれど、ギルド長に就任した今でもその技量は最下層に通用する。獣人らしい豪快な戦い方は、狭小な迷宮内で長柄を用いるという不利を掻き消して余りある破壊力を産んでいた。
「アヤメ、ヒイラギとヴァリカーヤの戦いには補助で参加しよう。二人は、その方が戦いやすそうだ」
「かしこまりました」
一歩引いたところから戦況を見ていると気付くこともある。
おそらく、ヒイラギにとってはアヤメたちがいない方が戦いやすいのだろう。より正確に言うならばヴァリカーヤと二人で戦うことに最適化されている。彼女はバトルソルジャーではないはずだが、長い年月のなかで動きg洗練されているような気がした。
「ヒイラギはこれまでも歴代ギルド長と共に戦っていたのでしょう。長柄のハルバードを持つ熊獣人と、鉄壁のハウスキーパー。お互いの役割を理解して、欠点を補い合っているのです」
戦いに関して一家言あるユリが分析する。
ヒイラギの立ち回りは、明らかにヴァリカーヤの存在を想定したものだ。ヴァリカーヤが斧の破壊力で敵を粉砕し、生じた隙をヒイラギの盾が補う。ヴァリカーヤはヒイラギと出会ってまだ数時間と経っていないが、すでに連携さえ見せつつあった。
「ヒイラギ!」
「こちらへ!」
通路の奥からは次から次へと魔獣が飛び込んでくる。戦闘の音を聞きつけて集まってくるのだ。
それでも、二人は素晴らしい阿吽の呼吸で排除していく。ヴァリカーヤの斧は獅子の首も一刀両断するし、ヒイラギの盾は守るだけでなく打撃として、相手の攻撃の軌道を逸らすような使い方もされていた。
ヴァリカーヤが名を呼ぶだけで、ヒイラギは地面を転がるようにして場所を空ける。間髪入れず斧がそこに飛び込み、ヒイラギを狙っていた魔獣の腕を断ち切った。
「ちぃっ!」
「その魔獣の甲羅を破壊するのは難しいです。四肢を狙ってください」
「そんな器用なことはできんっ!」
だが、欠点とは言わずとも不得手な敵も現れる。全身を硬い甲羅で守る魔獣などは、ピンポイントに狙いを定めなければならず、ハルバードの直線的な攻撃では難しい。
「射線から離れなさい!」
――ドァンッ!
そんな時は猟銃を構えたヒマワリが的確に狙い撃ち、すかさず撃退する。精密な攻撃においては、ヒマワリやユリに敵う者はいなかった。
「ヤック様はこちらへ」
「うわっ!?」
役立たずな僕はと言えば、邪魔にならないように息を潜めているとアヤメに見つかって保護される。なんとも情けない姿を見せてしまった。
「アヤメ、後ろからフロストサーペント。短剣投げるから、その隙に仕留めて!」
前方はヒイラギとヴァリカーヤに任せ、僕はその他の方向を警戒する。迷宮内を進むほど、後方でも新たな魔獣の襲撃を想定しなければ。危惧した通り、新たな大蛇が忍び寄ってきたのを見て、僕はすかさずベルトに吊っていた投擲用の短剣を投げる。
「ジュアアッ!?」
敏感な鼻先に突き刺さり、大蛇がもんどり打つ。その隙にアヤメが一瞬で距離を詰め、肉薄したところから拳を突き出す。骨が折れる鈍い音がして、それはあっけなく地面に倒れた。
「なんだ、お前も随分やるじゃないか」
「あくまでアヤメたちの補助ですけどね」
戦斧にこびりついた血を払いながら、ヴァリカーヤがこちらを見て言う。ちょっとは見直して貰えたと思っていいのだろうか。
「ただのチビだと思ってすまなかったな。見直したよ」
「あ、あはは……」
僕はただのチビだと思われてたのか。まあ、小さいことは否定できないけど。
「マスターの魅力はその小柄さにもあります。機敏な動きや精密な投擲は、唯一無二の美点ですよ」
「ありがとう、ユリ」
むっとした顔のユリが、僕の肩を掴みながらヴァリカーヤに反論する。喜べばいいのか、悲しめば良いのか、ちょっと悩むところだ。
あともうちょっと大きくなれればいいんだけど……。
「皆さん、あまり気を抜かないように。少々手強いものが現れました」
盾を構え、ヒイラギが言う。彼女の視線の先に、上半身が人型で下半身が巨大な蜘蛛の異形が現れた。
「アラクネー!? ここにも出るんだ……」
女性らしい胸の膨らみも持ち、攻撃することを躊躇ってしまうような外見だけど、あれも歴とした魔獣だ。理性はなく、人を糸で包んでゆっくりと捕食する残虐さを持つ。
他の迷宮でもたまに目撃例がある、厄介な魔獣だ。
「アアアアアアッ!」
長い髪に飾られた女性が吠える。頬まで裂けた口からグロテスクな顎が飛び出し、人間に似た見た目からより醜悪な印象を与える。
アラクネーは通路に無数の糸を張り巡らせている。粘性の高いそれは手足を絡め取り、瞬く間に動けなくしてしまう。近接タイプのアヤメやユリにとって、あまり相性の良くない相手だが――。
「五月蝿いわね。黙りなさい」
――ダンッ!
鈍い砲声が響き、アラクネーの腹が爆ぜる。
ヒイラギの後方で片膝を突き、完全展開した特殊破壊兵装〝千変万化の流転銃〟を構えたヒマワリが引き金を引いていた。
「うぉ、なんか大きくなっていないか?」
その姿を見て、ヴァリカーヤが瞠目する。僕と同じくらいの小柄な少女だったはずのヒマワリが、アヤメたちと同じくらいまで急成長し、顔立ちも大人びたものになっていたからだ。ゆったりとサイズに余裕を持っていたメイド服も、今はぴったりと合っている。
「流石に最下層ならマギウリウス粒子の吸入量も十分ね。ここからがわたしの本領発揮よ」
不敵に笑い、こちらを振り向くヒマワリ。やっぱり、いつもと違うこの姿は慣れない。
「なに視線逸らしてるのよ。もっとわたしの事褒めなさい」
「あ、うん。すごいよヒマワリ」
それでいて距離感はいつものままだから、余計に困惑してしまう。
僕は大人の姿になったヒマワリから逃げるように、更に奥へとみんなを促した。
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