第132話「歴代の盟主」
第三階層は、さらに強い冷気に満ちていた。呼吸をするだけで喉が痛くなるほどで、もはや剣は握ることさえできない。にも関わらず、薄暗い通路には禍々しい気配が潜んでいる。
「ギィィイイイッ!」
「はぁあっ!」
陰から凶刃が飛び出す。現れたのは長い爪を持つ雄々しい魔獣だ。鋼爪虫という名前の通り、切れ味の鋭い爪を持つ。しかし、強襲を仕掛けてきた鋼爪虫の一撃を、ヒイラギの盾が激しい音と共に受け止める。
「はぁっ!」
大きく開いた懐に、すかさずアヤメが鉄拳を叩き込む。全身を硬い甲殻で覆った虫だが、問答無用で吹き飛ばされ、冷たく凍りついた壁に叩きつけられる。甲殻は砕け、緑色の血がどろりと流れ出す。それでもなお動き続けようとする虫の額を、鉄の弾丸が貫いた。
「ボサっとしてないで、さっさと進むわよ!」
「助かりました、ヒマワリ」
アヤメ、ユリ、ヒマワリ。三者三様の武力は凄まじく、ヒイラギによって被弾を気にする必要がなくなったこともあり、破竹の勢いで走り抜けることができていた。
「こちらは全て片付けました。急いでください」
特にバトルソルジャーの戦闘能力を持つユリは、八面六臂の活躍を見せていた。目にも止まらぬ槍捌きに蹴撃も交え、次々と魔獣の群れを蹴散らしていく。
明らかに、今までよりもはるかに強くなっている。
「アヤメたち、すごいね」
「〝黒鉄狼の回廊〟で特殊破壊兵装のメンテナンスを行なったおかげです。武器の最適化が進み、更に効率よく力を発揮できるようになりました」
熊のような魔獣を殴り飛ばしながら、アヤメがパワーアップの理由を語る。
そういえば、〝黒鉄狼の回廊〟で三人の武器を点検してから初めての本格的な戦いだ。元々、壊れかけの〝堅緻穿空の疾風槍〟を使っていたユリは、完全体となった今、凄まじく戦力を増強させている。
「なんて強さだ……。あいつらは人間なのか?」
「違うんですよ、実は」
三人の猛烈な戦いぶりを、ヴァリカーヤは唖然として見る。ここまで来たら、アヤメたちの素性を隠す理由もない。彼女たちが機械人形という迷宮遺物であることを伝えると、ヴァリカーヤは奇妙なものを見るように僕を見てきた。
「お前は、ただの人間族だよな?」
「まあ、はい」
真正面から言われるとちょっと悲しいけれど。
「ヤック様は我々のマスターです」
「マスターがいなければ、我々はこの力を発揮できません」
少し落ち込みかけたところ、アヤメたちがすかさず言葉を差し込んでくる。それぞれに魔獣を薙ぎ倒しながら。
「あんたもこれからマスターになるんだから、覚悟しときなさいよ!」
猪を真正面から貫きながらヒマワリが言う。ヴァリカーヤはヒイラギを見て、唇を噛んだ。
「マスターとは、何なんだ。母親――母さんは何を継がせようとしてきたんだ」
苦悩の声だった。
断絶した歴史に打ちのめされている。今だに説明は乏しく、到底理解は追いつかない。彼女は今、ギルド長の責任感だけで走っているような状況だ。
「申し訳ありません、ヴァリカーヤ」
ヒイラギが、氷柱蜥蜴の顔面を盾で叩きながら謝罪を口にする。凍りついた床に足を滑らせ、紙一重で尻尾を避けながらヴァリカーヤを一瞥した。
「ヴィソカーヤ様を守らなければならなかった。私は、マスターを守りきれなかった」
彼女のマスターでもあった先代のギルド長、ヴィソカーヤ。彼女は迷宮の奥で亡くなった。第三階層にいたと言うことは、ヒイラギがその死に際を見ているはずだ。
「〝大断絶〟によって壊滅的な被害を受けましたが、この施設はその特性上多重の安全機構が敷かれており、ハウスキーパーや整備用機械も多く稼働状態を保ちました」
話し始めたのは、はるか昔のこと。ヴァリカーヤに理解できることではないが、彼女は静かに耳を傾ける。
「それでも、マスターが不在の状況では、生態系を維持するのは困難でした。修復も追いつかず、少しずつハウスキーパーも減っていった」
ハウスキーパーがその真価を発揮できるのは、人間とマスター契約を交わした状態である時に限られる。〝大断絶〟は施設にこそ致命的な傷を与えなかったものの、当時の人間たちはいなくなってしまったらしい。
それでもヒイラギたちは全力で責務を全うしていた。魔獣たちを封じ込め、その下にある危険物を守り続けた。そうしなければ、施設だけでなく世界が再び壊滅するから。
火炎がヒイラギに迫る。彼女は盾でそれを凌ぎながら走り、火吐き蛙を蹴り上げた。
「あなた方――オギトオルクの方々と出会えたのは幸運でした」
ココオルクの向こうから迫害を逃れてやって来た熊獣人の一族は、針葉樹林にひっそりと町を築いた。厳しい環境を生き延びるのは難しかったが、幸運にもそこに迷宮があった。いまだ人に知られぬままだった迷宮を見つけたオギトオルクの住民たちは、そこで長年戦い続け疲弊していたヒイラギたちと出会う。
オギトオルクの代表者は、ヒイラギと契約する。マスターとして彼女たちに力を与える代わりに、迷宮の恵みを得ると。代表者はやがて探索者ギルドの長となり、一族がその地位を継承することとなった。
「歴代のマスターは皆、我々のことをよく理解してくれました。彼女たちのおかげで、この施設は安全を保つことができていたのです」
それは強い信頼に裏打ちされた協力の関係だった。
外部に知られるわけにはいかない。ヒイラギたちの存在が露呈すれば、その均衡が崩れ去る。両者は密約という形で誓いを立て、長くそれを守り続けてきた。
「こちらです」
ヒイラギが通路を進む。迷宮の雰囲気ががらりと変わった。
冷気はそのまま変わらないが、壁や足元がツルツルとしている。何より、通路の左右に取っ手のない扉がずらりと連なっていた。
「ここは、危険物の保管エリアですか」
「いえ。危険物は第四階層以降に収容されています。ここにあるのは、〝大断絶〟後に改築した拠点です」
災害を生き残ったのはヒイラギだけではない。多くのハウスキーパーがいた。彼女たちは迷宮内に拠点を作り、そこで暮らしていたのだ。密約によって第三階層の存在そのものが秘匿されていたのは、彼女たちを守ることでもあった。
扉の一つにヒイラギが向かう。小さく青い光が点滅して、ひとりでに扉が開いた。
照明のない小さな部屋には、中央に一つだけ物が置かれていた。それを見て、ヴァリカーヤが目を見開く。
「ヴァリカーヤ。あなたの母親は、我々にとっても良きマスターでした」
それはガラスの棺だ。丁重に納められているのは、大柄な熊獣人の女性。年齢を重ねてこそいるが、ヴァリカーヤの面影がある。年季の入った装備に身を包み、今も眠っているようですらある。
ヴァリカーヤはゆっくりと近づき、棺に手を触れる。
「母さん」
親子がようやく、そこで再会したのだ。
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