第131話「〝銀霊の氷獄〟の機装兵」

「ヤック様!」

「だ、大丈夫。僕は大丈夫だから」


 呆然と立ち尽くしながら、目の前の光景を見る。

 壁を砕いて飛び込んできた巨大な氷柱蜥蜴は眼の輝きを失い、倒れていく。そのすぐ側には、猟銃を構えたヒマワリが立っていた。彼女の放った一撃が蜥蜴の頭を貫き、一撃で屠ったのだ。

 けれど、ヴァリカーヤを尻尾の掠笞から守ったのは、アヤメでもユリでもなかった。


「怪我はありませんか、ヴァリカーヤ」

「な、な……」


 倒れ込んだヴァリカーヤの前に立ち、手を差し伸べる女性。青い瞳に冷静さを宿し、青髪を後ろで束ね、モコモコとした帽子でまとめている。長身のスラリとした手足だが、そのほとんどは膨らんだ防寒服に包まれている。

 ヴァリカーヤは、その女性を見て困惑していた。


「な、何者だ、お前は。なぜ、私の名を」


 壁の中から、氷柱蜥蜴を追いかけて飛び出してきた女性。迷わずヴァリカーヤの名を呼ぶ女性。黒い盾を腕に備え、それで氷柱蜥蜴の強烈な一撃を受け止めた。

 彼女の防寒着は、メイド服のようなデザインをしていた。


「貴女のことは、ヴィソカーヤ様から聞き及んでおります。お待ちしておりました、ヴァリカーヤ」


 氷のような雰囲気を纏う美女。――〝銀霊の氷獄〟の奥から現れたハウスキーパーは、そう言って恭しく腰を負った。


「な、は、え……。まさか、まさかお前が迷宮の主なのか?」

「いえ、私はこの施設の管理責任者ではありません」


 目を白黒とさせるヴァリカーヤ。期待も籠った問いかけに、そのハウスキーパーはすげなく首を横に振る。


「私の名はヒイラギ。迷宮の主ではありませんが、ヴィソカーヤ様や歴代のギルド長と密約を交わしていた者です」


 そっとアヤメの方を見ると、彼女も頷く。

 やはり、彼女は人間ではなくハウスキーパー。この〝銀霊の氷獄〟が別の名前だった頃の生き残りだ。


「たしか、この施設に所属するハウスキーパーはヒイラギ隊という名前でした」

「なるほど。そういうことか」


 アヤメと同じ第一世代なのだろう。髪の色や長さは違うけど、背丈や青い瞳は同じだ。

 彼女が手にしているのは、腕を覆うほどの黒い盾。表面に突起が付いていて、防御力はもちろん、叩かれたらかなり痛そうでもある。とはいえ、盾としては小さめのそれで氷柱蜥蜴の尻尾を防いだのだから、やはり人間の膂力ではない。

 アヤメと共に状況を見ていると、ヒイラギがこちらへ視線を向ける。僕らがそう気付いたように、彼女もアヤメ達の正体を看破しているはずだ。


「ヒイラギ隊所属、HK-01F403L01と申します。まさか、このようなところで別のハウスキーパーと出会えるとは」

「我々も安心しています。貴女がいるということは、状況は危惧していたよりも悪くはないのでしょう」


 軽く挨拶を交わし、アヤメの言葉にヒイラギはわずかに眉を寄せる。


「それについては、後ほど。その前になさなければならないことがあります」


 ヒイラギは骸となった氷柱蜥蜴を見て、再びヴァリカーヤに向き直る。


「ヴァリカーヤ、この迷宮は現在危機的な状況にあります。今すぐに私と共に戦ってください」


 差し伸べられた手を、ヴァリカーヤは取らない。困惑した顔で頭を抱える。

 目まぐるしく変わる状況についていけていない。


「待ってくれ。説明をしてくれ。お前はなんなんだ。何が、どうなっているんだ」

「猶予がありません。まずは、マスター契約を結んでいただきたい」

「訳のわからないことを言わないでくれ!」


 ヴァリカーヤがついに叫ぶ。それでも、ヒイラギは動じることなく手を伸ばす。

 僕は思わず、肩に下げた短剣を握りしめる。マスター契約が必要ならば。


「マスター、お待ちください」

「ユリ?」


 前に踏み出そうとした僕を、ユリが止める。ヒマワリがこちらを見て、呆れ顔で肩をすくめた。


「ヒイラギがあんたに契約を持ち掛けなかったということは、そういうことよ。彼女はあくまで、ヴァリカーヤとの契約を望んでるの」


 マスター契約は双方の同意の上でなされる。基本的な事実に、僕ははっとする。

 僕がブレードキーを持っていることはヒイラギも分かっているはず。それでもなおヴァリカーヤに契約を持ち掛けている。連綿と続いてきた、コロンナー家との絆だ。


「ヒイラギ、ブレードキーはどこにあるの?」

「……第三階層の奥に。戦斧も同じ場所で保管しております」


 ヒマワリの言葉は正しかった。

 あくまでヒイラギは、ヴァリカーヤを望んでいる。


「第三階層には、魔獣が?」

「駆除が追いついておらず、被害が拡大しています」


 壁が崩れ、第三階層の存在が露わになった。

 それと同時に、歴代ギルド長の役目も理解できた。彼女達はヒイラギとマスター契約を交わし、共に戦っていたのだ。第二階層までの比較的危険の少ない場所で十分な恵みを得られるよう、第三階層以降の魔獣の駆除を行っていた。

 けれど、そこでヴィソカーヤが亡くなり、ヴァリカーヤへと引き継がれなかった。結果、マスターのいないヒイラギだけでは、魔獣を抑えることができなくなってきた。


「ブレードキーまで案内を。我々が護衛しましょう」

「協力感謝します」


 ヒイラギとアヤメの間で話は進んでいく。

 その時、別の声があがった。


「ひとつ、聞きたいことがある」


 口を開いたのはヤブローカだ。彼はヒイラギをじっと見つめ、何かを確かめるように慎重に問いを投げかける。


「あんたは、何十年か前に儂を助けたことがあるか? 迷宮の外に出てきた魔獣を追いかけて……」


 アヤメと似た面影のある女性。魔獣の攻撃を受け止めることができるほどの力。そう何人もいるものではない。

 ヒイラギはヒゲに埋もれるヤブローカの顔をじっと見つめ、


「ええ。以前、迷宮外に魔獣を取り逃したことがあります。その時はご迷惑をおかけしました」


 深く頭を下げるヒイラギ。そんな彼女を見て、ヤブローカは焦ったように両手をあげる。


「違う。そうではない。……ありがとう。あんたのおかげで、儂は今も生きているんだ。ずっと、感謝を伝えたかった」


 声を震わせながら、彼は噛み締めるように感謝を伝える。

 数十年前の遠い過去が、今この瞬間に繋がったのだ。

 老猟師が鼻をすする。ヒイラギは、その様子を真顔で見ていた。彼女達は感情が分かりにくい。それでも、何を思っているのか少し分かった気がする。


「うおおわっ!?」


 その時、足元が大きく揺れる。アトリーチが大きな声をあげるなか、ヒイラギは再びヴァリカーヤに向き直った。


「時間がありません。第二階層の壁が壊れたことが、他の魔獣にも察知されました。早く向かいましょう」


 激震は魔獣達の歓声だった。封鎖されていた地上への道が開いたことが知れ渡ったのだ。

 もはや猶予はない。間もなく魔獣達は大挙して押し寄せ、迷宮の外へと飛び出すだろう。魔獣侵攻が起これば、オギトオルクに被害が及ぶ。

 ヴァリカーヤは立ち上がり、鋭い目つきで老爺達を見る。


「お前たちはヤブローカとアトリーチを連れて町へ。守りを固め、避難の準備をしておけ」

「何を、お前はどうするのだ」

「私はギルド長としての務めを果たす」


 驚愕する老爺に、ヴァリカーヤは毅然として答える。そこにはすでに、威厳と風格があった。

 彼女は僕らへと向き直る。


「ヤック、すまないが手伝ってくれるか。この状況では、お前たちの方が適役だろう」

「もちろんです」


 僕らとヒイラギのやり取りを見て、彼女は判断したらしい。老爺たちを外に促し、アヤメたちをここに残すと。


「行きましょう」


 アヤメが拳に籠手を備えて呼びかける。ユリもヒマワリもそれぞれの武器を持ち、すぐにでも出発できた。


「守りは任せてください。アヤメたちは敵の殲滅を」

「了解しました」


 盾を構えるヒイラギ。

 彼女を先頭に、僕らは異様な空気の満ちる第三階層へと飛び込む。

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