第130話「密約」
ヴァリカーヤはヤブローカを見下ろして口を開く。
「何を当たり前のことを。私たちは狩人ではないんだぞ」
「そういうことではない。――この迷宮が閉鎖されてから、幾度となく訪れていたのだろう。今日もヤック達を待ち伏せていたわけではないな」
ヤブローカの指摘に、彼女は眉を揺らす。
大部屋には折り畳み式のテーブルや赤熱結晶の炉が置かれている。確かに、僕らを待ち伏せするにしては、環境が整いすぎているように思える。何よりも、迷宮内に全く魔獣がいないという事実。いくら小迷宮といえど、階層内の魔獣を殲滅するなど一朝一夕にできることじゃない。もし仮に、魔獣の不在がヴァリカーヤたちによるものだとしたら。
「そういえば、そこの人たちも見たことない……」
ヴァリカーヤの側に立ち、物騒な武器を握る熟練探索者たち。迷宮の閉鎖中、アトリーチたち探索者は暇を持て余していた。けれど、町の家々を巡った僕も彼らの顔に見覚えはない。熊獣人の顔は判別が付きにくいとはいえ、一月もあれば大抵は覚えられる。
「なるほど。だから貴女はずっとギルドに詰めていたのですね」
アヤメが得心がいったように頷く。
ヴァリカーヤは僕らが町に訪れたときも、前触れなく向かったときも、ギルドにいた。迷宮は閉鎖され、依頼の持ち込みも引き受けていなかったはずなのに。職員にも入らせないで、ギルド長だけにできる仕事をしていると思っていたけれど。
秘密裏に老爺たちを迷宮に送り、何かを調べていたのかもしれない。
「何を……。憶測で物を語るな」
「お前は、ヴィソカーヤの遺品を探していたのだろう」
「――ッ! まだ死んだと決まったわけではない!」
声を押し殺していたヴァリカーヤ。しかし、ヤブローカの言葉が心の急所に突き刺さり、吠えるような大声を発する。激情に駆られ、直後に冷静になってはっとする。けれど、その言葉が事実だった。
ヴァリカーヤは迷宮から人を遠ざけ、信頼できる者だけで母親を探していたのだ。
「お前は先代から何も引き継げなかった。だから、焦っていたのだろう。人を入れれば、それを横取りされるとでも思ったか」
「なにを――」
ヤブローカもコロンナー家の代替わりについてよく知っていた。ギルド長と後継が二人で迷宮に入り、密約とブレードキー、戦斧を引き継ぐ。だけど、ヴィソカーヤは迷宮内で亡くなり、ヴァリカーヤはそれらの引き継ぎを行うことなくギルド長になってしまった。
役職の証とも言える品々を探すため、彼女は迷宮を封じた。
「俺たちは、そんなに信用がなかったのか」
アトリーチが震える声で言う。強い衝撃を受けたような、力のない表情だ。
オギトオルクの探索者ギルドは構成員も少数で、お互いが顔見知りだ。代々探索者の家系というものも多く、家族のような親密さでまとまっている。
けれど、ヴァリカーヤの行ったことは、そんなアトリーチたちを疑っていると言っているようなものだった。
「違う。そうではない」
ヴァリカーヤは強く否定する。
いつの間にか、彼女はそれまでの怒りを萎れさせていた。丸みを帯びた熊耳を力なく倒し、肩を落とす。
「……探していたのは、戦斧と短剣だけだ。密約はすでに、母から受け継いでいる」
「ヴァリカーヤ!」
「いいんだ。彼らには話すべきだろう」
老爺の一人が声を上げ、ヴァリカーヤはそれを手で制する。ヤブローカの言葉で、彼女の心の扉が開いた。
「密約とは、歴代のギルド長が迷宮の主と交わしてきたものだ」
「迷宮の主?」
飛び出した言葉が不可解で、思わず聞き直す。ヴァリカーヤは頷き、自身の手のひらに目を落とす。
「継承の際、先代のギルド長が立会人となり、新たなギルド長と主の間で密約が交わされる。その前に、先代から密約の内容については、少しずつ教えられるのだ」
その内容自体を詳らかにするわけにはいかない。密約はあくまで、迷宮の主と結ぶものであるから。ただし、外部の探索者の立ち入り不許可や、探索者以外の町民からの秘匿なども、実際に密約に含まれているという。
「密約を守る代わりに、我々は迷宮から十分な恵みを得られる。密約が守られなければ、我々は死ぬしかない」
ヴァリカーヤは魔獣侵攻に備え、町の放棄さえ考えていた。その一方で、町を存続させるため――ギルド長として密約を守ろうとしてきた。
「迷宮の主については、私は知らん。密約を結ぼうと探していたが、いまだに見つからん」
ヴァリカーヤが迷宮で探してたのは母親の痕跡だけではなかった。密約を結び、迷宮の恵みを得るため、迷宮の主を探し求めていたのだ。
けれど、迷宮内の魔獣を根絶させるほど探しても、ついぞそれは見つからなかった。
驚いたのは、魔獣を根絶させたという事実。時間はかかっただろうが、ヴァリカーヤの側近である老爺数人でそれを成し遂げたという事実が衝撃的だ。オギトオルクの迷宮に慣れ親しんでいるとはいえ、どれほどの力を持っているのか。
ヴァリカーヤの話を聞いていて、一つ分かったこともある。
「貴女は、第三階層への道を知らないのですね」
アヤメが指摘する。
第一階層、第二階層をしらみ潰しに探していたということは、その下の階層へ向かう手段を知らないということでもある。おそらく、彼女はその鍵を探している最中だったのだろう。
「やっぱり第三階層はあるんだな」
アトリーチにとっては、それまでの常識が崩れるようなものだ。
小迷宮だと思っていた〝銀霊の氷獄〟は、第三階層以降も広がっている。アヤメたちの話が正しければ――おそらく大迷宮に匹敵する規模だろう。
「密約には、第三階層にギルド長以外の立ち入りを禁ずるという項目もある。そして、私はその道を知る前に母を失った」
歴代ギルド長は時折、単独で迷宮に潜っていたという。その時、密かに第三階層へと向かっていたのだ。第三階層への道を開く手順は秘匿され、継承されないまま途絶えてしまった。
「では、我々が案内しましょう」
「……なんだと?」
重苦しい空気を無視して、アヤメが口を開く。まるで近所に買い物へ行くような気楽さに、ヴァリカーヤが睨む。老爺たちも怒りを見せるなか、彼女はコツコツと足音を響かせて歩く。
「そもそも、扉はここにあります」
ヴァリカーヤ達を通り過ぎ、大部屋の奥――凍りついた壁の目の前に。
まさか、と周囲が目を見開くなか、彼女は拳を握りしめる。特殊破壊兵装〝
「完全展開。――固有シーケンス実行準備」
籠手が開き、巨大化する。彼女の手に追従する鉄拳が力を溜める。
その時だった。
「っ! アヤメ、離れて!」
突如、ユリが叫ぶ。ヒマワリが猟銃を構える。
僕は咄嗟にヴァリカーヤの手を握り、奥へと引く。
直後。
――ドォオオオオッ!!!
凄まじい轟音と共に氷が砕ける。壁が瓦礫と化し、大きな塊が降り注ぐ。
アヤメが殴りつけるよりも早く、壁が向こう側から押し開けられた。倒れ込むようにして現れたのは――。
「魔獣!? デカすぎるだろ!」
天井に頭が迫るほどの巨体。蒼氷のような鱗に身を包み、金色の眼を光らせる、トカゲのような魔獣。首元に襟巻きのようなヒダがあり、ブルブルとたえず振動している。
「氷柱蜥蜴じゃ! 離れろ!」
老爺の一人が叫ぶ。間断なく、蜥蜴が襟巻きを広げて口を開く。次の瞬間、凄まじい冷気が放たれ、大部屋に巨大な氷柱が連なった。
「お前達は外へ! ここは私たちに」
「ヴァリカーヤも一緒に!」
「ギルド長が逃げるわけにはいかんっ」
突如現れた大魔獣に混乱するなか、ヴァリカーヤは僕たちを部屋の外へ追いやろうとする。だが、徒手空拳の彼女よりもアヤメ達の方が戦えるだろう。そう考えるも、説明している暇がない。
「ヴァリカーヤ!」
アトリーチの悲鳴。
「ぐぅっ!?」
ヴァリカーヤに、氷柱蜥蜴の鞭のようにしなった太い尻尾が迫る。当たればたとえ熊獣人とて、骨が折れる程度では済まない。死の実感が、足音を立てて迫る。
彼女が僕を突き飛ばす。後ろへ吹き飛びながら、僕は蜥蜴の足元から飛び出してきた影を見た。あれは。
「はぁあああっ!」
凛然とした声。ぐしゃりと果実が潰れるような音。
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