第133話「継承」

 ヴァリカーヤの母親、先代ギルド長のヴィソカーヤは、迷宮の奥で丁重に葬られていた。魔獣に喰われた探索者のほとんどが骨すら残らないのを考えれば、奇跡とも言える。ヒイラギが彼女の亡骸を守りぬいたことの証だ。

 しばらくの間、ヴァリカーヤは棺に身を預けていた。一年ぶりの親子の対面だ。僕らも部屋の外で待つ。


「すまなかった。……もう大丈夫だ」


 ヴァリカーヤは目を赤くして、のそりと出てくる。彼女の手には棺の中の女性に手向けられていた青い短剣があった。


「これがあれば、私はお前との密約を交わせるんだな」

「はい。ブレードキーがマスター適格者の証となります」

「分かった」


 ヒイラギの言葉を受けて、彼女は一度考え込む。密約とは、マスター契約のことでもあった。オギトオルクのギルド長は代々、ヒイラギとの契約を結んできた。代替わりの折に契約も結び直し、二人で〝銀霊の氷獄〟を守り続けて来たのだ。

 密約、短剣、戦斧。その三つこそがオギトオルクの正統なギルド長の証だ。


「ヒイラギ、お前と契約を結ぼう。私が次の主人だ」

「では、マスター契約を始めます」


 ヴァリカーヤとヒイラギが正面から対峙する。マスター契約を結ぶ。その意味を今更思い出して、僕は慌てた。


「あ、えっと……」

「HK-01F403L01より申請。仮マスター契約の締結を求めます」


 契約は、僕らを置いて始まる。

 アヤメたちは静かにそれを見届けようとしていた。

 ヒイラギがヴァリカーヤの手を取る。


「マギウリウス粒子放射パターン認証を実行。対象を仮マスターとして承認。機装兵行動制限規則の解除を確認。HK-01F403L01、復帰シーケンスを完了しました」


 間髪入れず、ヒイラギは次の段階へ。


「続いて、正式マスター契約段階へと移行」


 彼女は手をヴァリカーヤの顔に向ける。何をするのか分からない彼女は、不思議そうにしながらも従順に顔を下げる。身長差のある二人が、お互いの顔を近づけ合う。その段になって、ヴァリカーヤも何か察したらしい。

 僕は最低限の礼儀として、そっと目を背ける。


「んむぅっ!?」


 くぐもった、驚きの声。

 流石の彼女もこれには面食らっただろう。


「登録完了。認証完了。――ヴァリカーヤ様、我がマスター。これより、全力をもってお仕えいたします」


 膝を突き、恭しく礼をする。ヒイラギはヴァリカーヤの手の甲にそっと唇で触れる。

 晴れてマスターとなったヴァリカーヤはというと、


「あ、な、は、な……」


 突然のキスに困惑しきっていた。そりゃあそうだろう。なんというか、先輩マスターとしては微笑ましいような謎の感情が湧いてくる。

 というか、ヒイラギはこれまでの歴代のコロンナー家当主ともマスター契約を交わしていたんだよね。それがどうという訳でもないけれど。


「マスター、ヴィソカーヤ様。契約締結後早速で申し訳ありませんが、早速ご助力を頂きたく思います」

「あ、ああ」


 ヒイラギがすっと立ち上がると、ヴァリカーヤも多少の落ち着きを取り戻す。

 そもそも状況は一刻を争うような事態だ。余韻に浸っている暇はない。


「現在、〝銀霊の氷獄〟の三階層以降は過成長した魔獣による圧迫を受けています。現在も、二十二機のヒイラギ隊員が対処しておりますが、現状のままでは全滅は必至です」

「二十二人も生き残ってたのか……」


 非常に苦しい状況だ。けれど、それよりも驚きが勝る。

 凄まじい強さを誇る聖女様がいた〝銀龍の聖祠〟でさえ、生き残った機体は彼女とユリの二人きり。アヤメやヒマワリに至っては、唯一の生き残りだった。それが、この迷宮ではまだ二十二人のハウスキーパーが活動できている。


「元々は百機近いハウスキーパーが稼働しておりました。修理はともかく、新たな生産はできませんし、特殊破壊兵装もこちらにあるもののみ。少しずつ数を減らし、すでに限界を迎えつつあります」

「それじゃあ、そいつらとも、その、契約を……?」


 ヴァリカーヤが若干顔を赤くしながら尋ねる。ヒイラギは真顔で、


「ゆくゆくはそうして頂きます。ただ、現状はその余裕もありません」


 当たり前のように頷く。オギトオルクのギルド長というのは、想像していたよりもずっと大変そうだ。

 とはいえ、二十二人全員を巡り、マスター契約を結ぼうとすると時間がかかる上、現状でもギリギリの戦況が不利に傾く可能性もある。だから、ヒイラギは大胆な作戦を口にした。


「施設保全プロトコルに多大な負荷を掛けている魔獣が存在します。まずは、我々でその首魁を無力化します。その上でダンジョンコアを破壊し、強制リセットを行います」

「何を言ってるか全然分からんが、とにかく魔獣をぶっ倒すんだな?」

「その認識で問題ありません」


 ヴァリカーヤのシンプルな要約に、ヒイラギは澄まし顔で頷く。そんなに単純な話だっただろうか……?


「少し待ってください。コアを破壊すれば生態系もリセットできるでしょうが、保管庫の安全性は担保されているんですか?」


 指摘したのはユリだ。

 ダンジョンの異常を収めるためコアを破壊するというのは、これまで僕らが取って来た定番の処置だ。全てを無に帰してしまえば一番手っ取り早い。

 けれどこと〝銀霊の氷獄〟に限っては状況がもう一段階入り組んでいる。第四階層以降には、一つだけでも世界を滅ぼせるような危険な物品が、数保管されていると言う。迷宮全てのエネルギー源であるコアが破壊されてしまえば、それがどうなるかは分からない。


「現状のシミュレーションでは、数機の犠牲で抑えられるという結論が出ています」

「それはつまり、ハウスキーパーのうちの何人かは失うということですか」

「はい」


 冷徹な結論にも関わらず、ヒイラギは動ずることなく頷く。二十二人のハウスキーパーのうち数人は犠牲となる作戦だ。それで世界を、迷宮を守れるのならば、彼女たちは迷いなくそれを選ぶ。

 ヒイラギと同じ思考回路のアヤメも、ヒマワリでさえも、異論はないようだった。


「待て、それは、ダメだ」


 声を上げたのは、ヴァリカーヤ。

 新たなマスターの発言はヒイラギも無視できない。


「しかし、この作戦が最も成功率が高いのです」

「それでも、お前のような者を失うわけにはいかない」


 ヴァリカーヤは毅然として、すでにマスターといての風格さえ持っているようだった。彼女はヒイラギの提案を跳ね除け、考える。全ての者が助かる道を。

 その時、僕ははっと思いつく。


「ヒマワリ!」

「何よ?」

「ヒマワリなら、コアを破壊しなくても修復できるんじゃないの?」


 第二世代ハウスキーパーであり、〝黒鉄狼の回廊〟にいたヒマワリは、アヤメたちよりも高い技量を持っている。

 現状、問題となっているのは大魔獣の存在だ。そっちをなんとかした後、コアを破壊によるリセットではなく修理することができれば、より安全に事態は終結するのではないか。


「ふふん、第二世代を舐めないでよ。ダンジョンコアのメンテナンスだって、時間さえあればやってやるわよ」

「……あなた方を戦力として加えて、再計算します」


 平らな胸を張るヒマワリ。そんな彼女を見て、ヒイラギが考えを改める。


「時間的な猶予は余りありませんが、可能ですか?」

「お任せください」

「我々にも、頼れるマスターがいますので」


 アヤメとユリが僕を挟んで断言する。そこまで強い信頼を向けられると、少し緊張してしまう。でも――。


「僕らに任せて。なんとかしてみせるから」


 僕も怖じけることなく頷いてみせる。


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