第127話「冬の訪れ」
翌日からちらほらと降り始めた雪は、数日と経たないうちに本格的に積もり始めた。水分を含んだ重たい雪は容赦なく町に落ち、屋根や通りを白く染め上げていく。
「アヤメ、下ろすよ」
「おねがいします」
あちこちで雪掻きが始まるなか、僕らも借家の屋根に分厚く積もった雪を落とす作業に邁進していた。身軽な僕が屋根に登って雪を落とし、それをアヤメたちが道路脇に積み上げていく。彼女たちのおかげで、朝からあっという間に作業は終わる。
ヤブローカが猟犬のポードと共に現れたのは、雪掻きがひと段落して休んでいる時のことだった。
「今日も精が出るな」
「ヤブローカ、おはよう。雪掻きくらいは自分たちでしないとね」
声に気が付いて屋根の上から顔出す。ヤブローカは蓄えた髭に顔の大部分を埋めて、防寒具の毛皮も何枚も重ねて、いつもよりも輪郭が一回り大きくなっていた。弓を肩にかけてナイフを携え、相棒のポードも何やら張り切っている。
そんな姿を見て、はっと察した。
「もしかして――」
「今日から猟の解禁だ」
待ちに待った冬に入り、狩猟のため森が開かれる。ヤブローカもこの日のために準備をしてきた。そして僕たちも。
「これからヴァリカーヤの所へ向かう。付いてくるか?」
「もちろん! すぐ準備するから!」
木こりの手伝いで少し町の外に出たこともあったけど、猟師の助手となることを許可されれば、それ以上に自由に動き回ることができる。当然、ヴァリカーヤに認められる必要はあるけれど。
僕は急いで荷物を背負い、妖精銀の剣を吊り下げる。防寒具もしっかりと用意して、雪の対策も十分だ。
「アヤメ!」
「こちらは準備できております」
アヤメたちの行動も素早い。僕が言う前に、小屋の前に並んで待っていた。
ヤブローカと共に雪の積もる道を行く。軒先ではすっかり顔馴染みとなったオギトオルクの人たちが、スコップや竿を使って雪を降ろしているところだ。
「おはよう、ヤック。っと、なんだいその格好は」
「今日から猟期の解禁って聞いたからね。今からヴァリカーヤの所に行くんだ」
「そうか! ぜひ大物を獲ってきてくれよ」
軽く手を振って送り出してくれる。僕は冬の寒さも忘れて、勇み足でギルドへと向かう。
「ヴァリカーヤ!」
「なんだ。今日はまだ依頼は集まってないぞ」
「そうじゃなくて、ちょっと頼みがあるんだ」
早朝にも関わらず、ギルドは相変わらず暖められていて、ヴァリカーヤが居た。彼女がいつ家に帰っているのか、そもそも家がどこにあるのかさえ知らないけれど、今はそれよりも大事なことがある。
「ヤブローカも一緒なのか?」
「ああ。ヤックたちを一日貸してくれ」
「ふぅむ」
ヴァリカーヤは眉間を寄せる。
「狩猟の助手だ。猟師ギルドには話を付けておる」
探索者ギルドがあるように、猟師ギルドというものも存在する。ヤブローカのような猟師は、みんなそこに所属しているのだ。事前にそちらでの話は付けてくれていたようだ。
「……いいだろう。外出を許可する」
「ありがとうございます!」
予想していたよりは、あっさりと許可が降りる。少し肩透かしを食らったけれど、難色を示されるよりはよほど良い。早速身を翻し外に向かおうとすると、背後に声がかけられた。
「ヤック」
「は、はいっ!」
「――規則は分かっているな」
「わ、分かってます……」
〝銀霊の氷獄〟は封鎖中であり、立ち入りは禁じられている。そもそも、僕もヤブローカも迷宮の所在地さえ知らない。それでも、ヴァリカーヤは強く念押ししてきた。
生唾を飲みながら頷く。
「森の雪は町の中とは違う。気をつけて行け」
去り際、彼女はそう助言を送る。僕はそれを裏切ってしまうかもしれないという罪悪感を胸に押し込めながら、今度こそギルドから出た。
「……森の中を巡りながら、かつての記憶を辿った」
雪の降りしきる町中を歩きながら、ヤブローカが唐突に話し始めた。一瞬の困惑の後、それが彼の子供の頃の話だと気がつく。森に飛び出し、そこで魔獣に追いかけられ、見知らぬ誰かに助けられたという話。遠い記憶の彼方にあり、輪郭もおぼろげだったそれを、彼はこの一月で思いだそうとしていた。
彼を助けた女性。迷宮の外へと出てきた魔獣を追いかけてきた彼女は、アヤメに似ていたという。
「迷宮の場所が分かったのですか?」
「いいや。おおよその位置は覚えておるが、実際に足を運んでみても、それらしいものhな見つかっていない」
残念そうに首を振り、彼は嘆息する。
長年、僕らが町を訪れる前からずっと探し続けているはずだ。それでも、探索者以外には明かされない〝銀霊の氷獄〟の所在は分からない。森の中を隈なく歩き回ったはずのヤブローカでさえ。
「わたし達も詳細な位置を把握しているわけではないし」
「そもそも、インプットされている地図とは周囲の地形がかなり変化しています」
「せめて、緯度と経度が分かれば良いのですが」
ヒマワリたちも口々に無念を語る。彼女達の知る世界は、今から七千年前の時代だ。〝大断絶〟という大規模な災害も発生したことで、周辺の地形そのものが大きく変貌してしまっているため、ダンジョンの詳しい位置も分からない。
イドとケイドというものが判明すれば詳細な位置が見つけられるけれど、それもジーエヌエスエスというものを用意する必要があり、現実的ではないと言っていた。ほとんど意味は理解できていないけれど。
「ひとまず、森に入る。ちゃんと付いてこい」
「は、はいっ」
オギトオルクの町を囲む防壁までやってきた。門の上に設けられた櫓には、見張りの男たちが立っている。
「今日から猟期か。期待してるぜ」
「おお、ヤックも出るんだな」
僕らの姿を認めた彼らは、すんなりと門を開けてくれる。彼らと一緒に働いて、食事を共にした成果だろう。
陽気な熊獣人たちに見送られ、鬱蒼と灰色の枝葉が生い茂る針葉樹林へと足を踏み入れる。厚く雪の降り積もった森には獣道すら残っていない。ここしばらくはココオルクからの商隊も来ていないから、道らしい道はほとんど見つけられなかった。
それでもヤブローカは迷うことなく、歩みを進める。あっという間に町の防壁も見えなくなり、土地勘のない僕たちは彼の背中を追いかけるのに精一杯だ。
「ヤブローカ、どこまで行くの」
「もうすぐだ」
何か目的地があるような口ぶりだった。
不思議に思いながらも歩き続ける。そうしてしばらくすると、少し開けた広場のような土地が現れる。相変わらず雪が降り積もっているけれど、久々に見通しのいい景色に出会して、思わず声を漏らす。
広場の中心には一本の大きな木が生えていて、それが長い歴史を感じさせる。まじまじと見ていた僕は、その足元に誰かが立っていることに気が付いた。
「アトリーチさんですね」
「アトリーチ?」
僕よりも目がいいユリが、先にその正体に気付く。防寒具で体を包み込み、顔もほとんど隠れてしまっている。けれど、近付けばがっしりとした四肢に見覚えがあった。
「どうしてこんなところに」
「まあ、ちょっとな」
驚いて声をかけると、彼は歯切れ悪く答える。
何か周囲を気にした様子で落ち着かない。
「アトリーチ、よろしく頼む」
「……ああ」
ヤブローカの低い声。それに、アトリーチも間を置いて応える。
その短いやり取りで、彼らが何を画策しているのか僕も察することができた。
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