第123話「布教活動」

 アヤメはバター製造の手伝いに行っている。オギトオルクでは小規模ながら畜産も営んでいるようで、山羊や牛のミルクも冬季の重要な栄養源になっているのだ。バターを作っているのは厩舎に隣接した作業場で、近づくだけでほのかに甘い匂いが漂ってくる。大きな釜で火をおこしているのか、他と比べて空気も暖かいように感じた。


「このようにヤック様は私たちが奉仕するべき至上のお方であり、高い品格を持つ貴人なのです。我々がこうしてオギトオルクを訪れたのも、ヤック様の御慈悲によるものが大きく――」

「アヤメーーーーッ!?」


 開け放たれたドアから聞こえてくる声に、慌てて飛び込む。そこでは大釜でミルクを煮込みながらかき混ぜ、朗々と話すアヤメの姿があった。


「ヤック様、お話は終わりましたか?」

「そっちはともかく、何の話してたの!?」


 ヴァリカーヤとの話はこの際右に置いておく。いま重要なのはそっちじゃない。

 僕が詰め寄ると、アヤメは冷静沈着な顔で首を傾げる。


「何と申されましても、ただヤック様の偉大な姿をオギトオルクの方々にも流布しようと」

「なんかすごいデタラメな事言ってなかった?」

「デタラメなど。私はただ真実を述べております」

「そうかなぁ」


 真顔で断言するものだから、もしかしたら思い違いかもしれないと不安になる。


「あなたがヤックさんね!」

「町を救うために旅をするなんて、凄いじゃないの」

「変な不審者だと思ってたわ。ごめんなさいね」

「やっぱり何か変なこと言ったでしょ!」


 これまでの警戒心がすっかりなくなって笑顔を浮かべる婦人たち。その様子に思い違いではないと確信する。

 僕はただ、迷宮を巡っているだけ。実際に対処しているのはアヤメたちだというのに。


「きちんと事実を伝えました。ヤック様の偉大さはまだ語り尽くせませんが……」

「恥ずかしいからやめてよ……」

「そんなわけには参りません」


 アヤメがいつになく強情だ。僕がヴァリカーヤと話すことを優先したのを根に持っているのだろうか。

 なんとか誤解を解こうと弁明するも、どれだけ彼女の話術が卓越していたのか、婦人たちはニコニコと笑ったまま聞く耳を持たない。それどころか、何やらアヤメの手を握って「頑張って!」と激励までしている。何を頑張るつもりなんだろうか。


「そもそも、ヤック様は御自身を過小評価しすぎだと常々思っておりました。これを機に、お考えを改められてはどうでしょう」

「改めるも何も、僕は別になにも……」

「そのような考えが勿体無いのです。ブレードキーを持つに値する人物であるということは、我々の矜持にも関わるのです」


 そんなことを言われてしまえば強く否定はできない。僕もマスターに相応しい人物になろうと決意したところじゃないか。

 懐から契約の証である青刃の短剣を取り出し、握りしめる。


「あれ? ヤックさん、それって……」

「どうかしましたか?」


 その時、近くに居た女性が驚いた様子で口を開く。彼女は、僕が防寒着の下から取り出した短剣を見ていた。


「これは、我々の契約の証。ヤック様がマスターである証拠です」

「そうなの? なんだか、それと似たものを見た気がするのよね」

「ええっ!?」


 頬に手を当てて首を傾げる女性に、思わず目を剥く。

 このブレードキーはダンジョンに眠る迷宮遺物だ。アヤメのようなハウスキーパーを目覚めさせ、彼女たちと契約を交わすためのアイテムである。逆に言えば、それ以外には使い道がない。ブレード型をしていても、実際に刃が付いているわけでもないし。単純に芸術品として価値を見出すこともできるだろうけど。


「そ、それって〝銀霊の氷獄〟から見つかったんですか?」

「いやぁ、どうだろうね。なにせ随分前のことだから……。ウチの主人なら何か知ってるかも知れないよ」


 ブレードキーの存在が示唆するのは、ハウスキーパーそのものだ。僕はアヤメと一瞬だけ目を合わせ、意思を酌み交わす。


「よければ、旦那さんと話させていただけませんか?」

「いいわよ。どうせあの人も暇してるでしょうし」


 アヤメが親交を深めてくれていたのが幸と出た。トントン拍子で話は進み、僕たちは婦人――リーヴィイさんのお宅へ伺うことになった。

 バター作りがひと段落するのを待つ間に、ヒマワリとユリにも話をつけて来てもらう。夕暮れ前には、四人揃って作業場を出発する。


「ウチの人は探索者なのよ。でも〝銀霊の氷獄〟が閉鎖されてるでしょう? 今はやる事ないからって寝てばっかりで」


 リーヴィイは朗らかな笑みで、そんなことを言う。実際のところ、探索者は屈強な肉体労働者でもあるし、今日アヤメたちがやったような力仕事に駆り出されているのだろうけど、どこの町でも婦人というのは容赦がない。

 彼女の家は町中の住宅街の一角にあり、すでに窓から明かりが漏れていた。


「帰ったわよー」

「おーう」


 リーヴィイの声に、奥から低く間延びした返事。彼女は僕らを快く迎えてくれた。

 おそらく他の家とそう変わらない、いわゆる一般家庭といった様子だ。薪が爆ぜる音がかすかにして、室内も暖かい。リビングにお邪魔すると、安楽椅子に腰掛けてだらりと脱力している熊獣人の男性がいた。


「アンタ、ほらお客さんよ」

「ああ? うぉぁっ!?」


 奥さんの声で顔を上げた旦那さんは、こちらを見るなり驚いてひっくり返りそうになる。慌てて手で支えると、彼はもたつきながらも何とか立ち上がった。

 室内で薄着だからよく分かる。長く迷宮に潜り続けた熟練の探索者らしい、引き締まった体だ。中年と言っていい年齢のはずだけど、衰えは一切感じられない。頬には古い傷跡も残っていて、こちらが気圧されそうなほどの迫力だ。


「なんだ突然。お前ら外から来た探索者だな?」

「ヤックと申します。こっちはアヤメ、ユリ、ヒマワリ」


 胡乱な目つきで不信感を露わにする男性。そんな彼の後頭部を、リーヴィイが引っ叩いた。


「失礼な態度取るんじゃないよ! 立派な方なんだから」

「お前だって――」

「ええ?」

「……何でもない。アトリーチだ」


 不承不承と言った様子ながら、リーヴィイの目もあり、彼は手を差し出す。アトリーチと名乗った彼の手は、探索者らしいゴツゴツとした無骨なものだった。


「〝銀霊の氷獄〟に入りたくて色々嗅ぎ回ってるんだってな。俺に当たっても無駄だぞ」

「あはは……。それはもう、よく分かってます」


 ヴァリカーヤから釘を刺されているのだろうか。アトリーチの反応は淡白なものだ。

 けれど、今回訪れたのはそれが目的ではない。僕は防寒着を脱ぎ、その下に持っていた青刃の短剣を取り出す。革の鞘から引き抜いて見せると、アトリーチは露骨に目を見開いた。


「これを見たことは?」

「……ない。知らんな、そんな骨董品」

「骨董品というほど、古びてはいないと思いますが」

「……」


 迷宮遺物であるという前提知識がなければ、綺麗なガラス製のナイフにも見える。アトリーチの言葉は、訳を知っているもののそれだった。彼はしまったと言いたげに眉を寄せ、すぐに大きく息を吐き出す。


「実際、俺は何も知らねえぞ」

「知っていることだけでも伺えれば十分です」


 彼は観念した様子で、テーブルへ僕らを促した。

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