第121話「梨の礫」

 アヤメ達の強い抵抗を受けながら、それでもなんとか説得して、色々と交換条件をつけた上でなんとか了承してもらった。三人がいかにも後ろ髪を引かれていますという顔で渋々出掛けていくのを見送って、僕はヴァリカーヤと向き直った。

 堂々と立つ大柄な熊獣人のギルド長と一人で対峙すると、余計にその存在感が増したように思える。彼女は赤い眼をこちらに向けて、何か品定めするように睨みつけてきた。

 ここで臆しているわけにはいかない。なんとか、話を進めなければ。そう思って手に力を込めたその時、不意にヴァリカーヤが口を開いた。


「立ち話というのも何だ。上に来い」

「え、あっ、はい……!」


 端的にそう言うと、くるりと身を翻し階段を登っていく。僕は虚を突かれた思いを抱きながら、その後を追いかける。熊獣人の体格に合わせた幅広の踏み板を登りながら、前を行くヴァリカーヤの腰から丸い尻尾が見えているのに気づいた。

 オギトオルクの人たちは毛皮の厚い衣服を着ているからあまり意識しなかったけれど、やっぱり短くとも尻尾はあるらしい。


「おい、どうした?」

「ななな、なんでもないです!」


 ぼうっとしているとこちらへ振り返ったヴァリカーヤの怪訝な眼が向けられる。僕は彼女の尻尾を見ていたことを悟られないよう、慌てて階段を駆け登った。

 ギルドの二階は資料室と応接室、ギルド長の執務室などがある。一階は探索者や依頼を持ち込む住民にも開かれた空間なのに対して、事務的な作業を行う裏方という印象は否めない。

 てっきり応接室に通されるものかと思っていたけれど、彼女は廊下の最奥にある扉を開き、ギルド長の執務室に入っていった。恐る恐る中に入ると、毛足の長い絨毯が敷かれ、赤く燃える炭が火鉢に入れて置かれていた。よく磨かれた立派な執務机は年季が入っていて、広い天板には紙束や本が散乱していた。


「私も暇ではないからな。話したいこととやらは勝手に話せ」


 どっかりと椅子に腰を下ろすと、彼女は机に置かれていた眼鏡を掛ける。獣人用のそれを身に付けるだけで、怜悧な印象が追加されるのだから不思議なものだ。もちろん、相変わらずの威圧感はあるけれど。

 ヴァリカーヤは顎で適当な椅子を示し、自分はペンを取って書類に向かう。

 迷宮は閉鎖され、ギルドも休業状態はずだけど、ギルド長の仕事はあるのだろうか。そういえば、カウンターに二十四時間ついているはずの受付の職員もいない。彼らが行っているような業務も、ギルド長が自ら……?


「話すことがないのなら、出ていってもらって結構だが」

「あっ、すみません!」


 少し考え込みすぎた。ヴァリカーヤの言葉で現実に引き戻される。

 彼女はカリカリとペンを走らせ、サインを書き連ねている。時折、書類に補注のようなものも。そんな作業の邪魔になるかもしれないと思いつつ、意を決して口を開く。


「話というのは、ヴァリカーヤさんのお母様のことです」


 ペンの音が止まる。

 眼鏡の奥から、険しい眼がこちらを見ていた。


「誰に聞いた。――どうやらコソコソと嗅ぎ回っていたようだな」

「すみません。ただ、僕たちもどうしても迷宮に入りたいんです」


 家族間の繊細な話題に切り込む非礼を詫びながら、それでも話を続ける。

 〝銀霊の氷獄〟が閉鎖されたのは、先代ギルド長でありヴァリカーヤの母親であるヴィソカーヤがその内部で死んだからとされている。その話を避けては、僕らが迷宮に足を踏み入れることも叶わない。


「もし、お母様の仇を討つというのであれば、僕たちはそれに協力したい」

「そういう話ではない」


 明確な怒りを目に宿らせ、ヴァリカーヤが静かに答える。

 少なからず予想はしていた。まだ二日間の限られた時間しか彼女と接していないけれど、彼女は復讐に燃えているようには思えない。むしろ――。


「町の探索者たちが魔獣に襲われることを、危惧されているんですか?」


 彼女の行動は、危険を封じて探索者たちを守ろうとしていように思える。危険な魔獣が出現した場合、普通ならば懸賞金をかけて名前を付け、手練の探索者による討伐を促す。けれど、外部から探索者がやってこないオギトオルクでは、それも難しいだろう。

 彼女の母親、ヴィソカーヤは巨大な戦斧を使いこなし、自身も優秀な探索者だったと言う。おそらく、このギルドに所属する探索者の中でも頭ひとつ抜けていたのではないだろうか。

 そんな優秀な探索者が殺された。それほどの力を持つ魔獣がいるならば、他の探索者では太刀打ちができない。闇雲に討伐へ向かえば、返り討ちにあう可能性すら考えられる。

 だから、ヴァリカーヤは迷宮を封鎖した。


「ですが、この町は〝銀霊の氷獄〟に強く依存している。赤熱結晶がなければ、冬を越すのも厳しい。毛皮や肉はどうにかなっても、外部から商品を買い付けることはできなくなるのでは」


 迷宮の近郊には必ずと言っていいほど大きな町がある。迷宮都市と呼ばれるそれは、迷宮というものが都市の胃袋を満たすだけの恵みを与える何よりの証左だ。〝銀龍の聖祠〟のような大きな迷宮なら、当然町の規模も大きくなる。オギトオルクは迷宮都市にしては小さな部類だけど、この厳しい環境にある町としては十分に大きい。

 この町もまた、迷宮によって発展した町だ。ココオルクや幾つかの町から商隊がやってくるのも、そこで産出した迷宮産品を求めてのことだろう。その供給が途切れてしまえば、外から商品を購入することもできなくなる。

 そうでなくとも、赤熱結晶のように冬を乗り越えるための物資がすでに乏しくなっている。このまま迷宮を封鎖していたら、きっと町は苦しい生活を強いられる。


「迷宮探索の再開のためにも、ぜひ僕たちに立ち入りの許可を」

「ダメだ」


 そこまで言ってもなお、彼女は強硬だった。

 少し苛立ちを覚えてしまうほどに、頑なに拒否される。


「どうして……」

「アレは人の手で敵うようなものではない。――私は、この町から住民を移住させなけばならない」


 愕然とした。

 ヴァリカーヤの言っていることは、迷宮の放棄だ。魔獣侵攻が起きる前に住民を避難させる? そんなことができるのか。


「元々、我らは迫害から逃れるためにココオルクを超え、この地に定着した。また移動する時が来た。それだけのことだ」

「そんな」


 オギトオルク成立の理由はあまり知らない。けれど、ヴァリカーヤの言葉から大筋を察することができる。元々、獣人族というのは氏族によって多少の差はあれど、他種族から迫害を受けてきた。力こそ強いものの、人間族と比べれば数は少なく、エルフのような魔法の才も、ドワーフのような技術も持たなかったからだ。

 熊獣人の一族も、石を投げられ逃げるようにして北へと追いやられた歴史があるのだろう。そう考えると、得心がいくこともある。

 例えば、なぜこのような周囲の集落から離れたところに隠れるようにして住んでいるのか。なぜ外部の人間に対して敏感なのか。

 けれど、この地に流れ着いた熊獣人がオギトオルクを設立し、定住を始めてからかなりの時間が経っているはず。ヴァリカーヤの思惑はともかく、住人たちはここから離れたいという様子はなかった。


「ヴァリカーヤさんは、近く魔獣侵攻が起きると?」

「……」


 魔獣侵攻は探索者ならば常識的な存在だ。実際に遭遇した者は少ないだろうが、話に聞いている者はほとんどと言っていいだろう。ヴァリカーヤも当然、その存在は知っていて、それに備えようと――逃れようとしている。

 けれど、探索者ではない町の住人たちはどうだろう。そんな危機感を持っているだろうか。

 結局のところ、彼女も分かっているのだ。住民たちも確かに祖先を辿れば流浪の民だったかもしれない。けれど、ここに根を下ろして十分すぎる時間が経った。今更、ここから逃げろと言って、どこに逃げられるのか。


「魔獣侵攻が近いと言うなら、尚更僕たちを迷宮に案内してください。僕らは、それを止めるために来たんです」


 それに、〝銀霊の氷獄〟で魔獣侵攻が起きれば、どこに逃げたって同じだ。そうなる前に、僕たちは対処しなければならない。僕たちなら対処できる。


「ダメだ。お前たちには――人間には手に負えない」


 ヴァリカーヤは頑として首を縦に振らない。

 そこに僕は、強い違和感を抱いていた。


「ヴァリカーヤさん。……何か、隠していることがありますよね」


 眼鏡の奥の赤い瞳がかすかに揺れる。


「外の者に話すことはない。出ていけ」

「いいえ、出ていきません」


 苛立ちを強めるヴァリカーヤ。けれど僕も退くわけにはいかない。ここで諦めれば、被害はオギトオルクだけに留まらない。

 椅子から立ち上がり、執務机に両手を突く。強引な態度を見せたのに驚いたのか、ヴァリカーヤが僅かに仰け反る。


「〝銀霊の氷獄〟は全二階層の小さな迷宮のはず。そこで魔獣侵攻が起きても、規模は比較的小さい。防衛できる範囲に収まる可能性も高いのでは」

「そうはならない。魔獣侵攻を甘く見るな」

「そう。そうはならないと貴女は確信している。なぜですか?」

「……。門外漢に話すことではない」


 やはり、ヴァリカーヤは何かを隠している。


「たとえば、迷宮には第三階層以降があるとか」

「そんな事実はない。世迷言を披露したかっただけなら、仕事の邪魔だ」


 今度こそ虎の尾を踏み抜いた。眼鏡を乱暴に取ったヴァリカーヤは、呼吸を荒くして睨みつけてくる。これ以上踏み込めば、今度こそ交渉の糸口がなくなる。


「……申し訳ありませんでした」


 僕は諦め、引き下がる。深々と頭を下げ、退室する。ヴァリカーヤは椅子に座りなおし、また粛々とペンを走らせていた。

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