第118話「冬の迫るなか」

 翌日。町の小屋で肌寒い一夜を明かした僕たちは、再び探索者ギルドの戸を叩いた。


「お邪魔します」


 朝早くは忙しいかと思い昼前にやって来たものの、ギルドの中は閑散としていて受付の一人もいない。ヴァリカーヤによって〝銀霊の氷獄〟が閉鎖されてしまって、依頼を受け付けることもないからだろう。

 軋む床板を踏み締めながら、ロビーの壁に掛けられた掲示板を見る。そこに張り出されているのはオギトオルクの住民たちから寄せられた依頼書だ。とはいえ、真新しいものはあまりなく、封鎖以前から人気がなかったらしい塩漬け状態の依頼ばかりが目立つ。


氷結狼フロストウルフの冷胆石五つ、成体の毛長猪一頭の討伐。やっぱり、迷宮が変わると棲んでる魔獣も全然違うね」


 名前からある程度の特徴は推察できるとはいえ、氷結狼も毛長猪も聞いたことのない魔獣だ。もし戦えと言われたら、その前にギルドの資料室に向かうことになるだろう。


「また来たのか。懲りん奴だな」


 掲示板を眺めていると、階段上からうんざりとした声が降りてくる。ギシギシと音を立てながら現れたのは、現ギルド長のヴァリカーヤだ。迷宮は閉鎖していてもギルド長としての業務はあるのだろうか。


「何度来ても同じだ。〝銀霊の氷獄〟に立ち入ることは許さん」


 僕らが口を開く前に、彼女は頑なに声を発する。アヤメたちが動こうとするのを手で制して一歩前に出ると、彼女はわずかに眉を動かした。


「なんだ、説得でもするつもりか?」

「いえ。――今からコルトネ山を越えようとすると、雪に足を取られてしまうでしょう。春になるまで、屋根をお借りすることはできませんか」


 その頼みは意表を突いたのか、ヴァリカーヤは赤い目でまじまじと見つめてくる。真意を探るような目付きで、しばらく無言の時間が流れた。

 これはある種の賭けだ。リュビの言葉を信じるならば冬季が訪れるのは一ヶ月後のこと。今すぐオギトオルクを出発すれば、山を越えられるかもしれない。とはいえ、雪が降り始めるのがもう少し早まる可能性もある。それを考慮し、大事をとってひと季節待つという選択肢を、彼女が許してくれるかどうか。

 昨日、ヤブローカが帰った後に少し話し合った。その時にリュビから、今年はもうココオルクからの商隊もやって来ないと聞いている。商隊が途絶え、町が雪に包まれる間だけでも、滞在時間を延ばすことができれば良いのだけど。


「……勝手にしろ。しかし、町の外に許可なく出るな」

「ありがとうございます」


 密かに胸を撫で下ろしながら、ヴァリカーヤに感謝する。やはり、彼女は本来冷淡な性格ではない。むしろ優しいくらいだ。突然やってきた僕たちに宿を充てがってくれたところからも、それはよく分かる。

 とにかく時間を稼ぐことはできた。あとはヤブローカの助言に従おう。


「一宿一飯の恩というのもなんですが、僕らも力仕事には自信があります。何か手伝えることがあったら、なんでも言ってください」

「……」


 元々、何もせず小屋で過ごすというのも居心地が悪い。相応の対価、というわけでもないけれど町の人たちの手助けになれればという気持ちはあった。

 ヴァリカーヤはそう申し出る僕を、また胡乱な目で見てきた。多少の下心は否定しないけれど……。


「この土地の冬は厳しいぞ。倒れて医者の世話になるなら、元から必要ない」

「問題ございません。我々は、おそらく貴女よりもよほど頑強にできていますので」

「なるほど? 言うじゃないか、人間」


 煽るようなヴァリカーヤ。売り言葉に買い言葉で止める間もなく強気の言葉を返したアヤメ。ギルド長は肩をいからせ、彼女を睥睨した。その口角が吊り上がり、白い歯が覗く。肉食獣らしい、尖った牙だ。


「良いだろう。仕事は私が斡旋してやる。やる気があるならここへ来い」


 ギルドは元々、町民からの困りごとを依頼として取りまとめ、探索者へ紹介するのが主な業務だ。探索者の行き先が迷宮ではなくとも、やることはそう変わらない。ヴァリカーヤの申し出は至極合理的なものだった。


「今すぐでも構いませんが」

「……ほう」


 動じないどころか、毅然と張り合うアヤメの言葉だ。ヴァリカーヤは少し待っていろと言って二階へ上がる。しばらくして戻ってきた彼女は、大きな木箱を抱えていた。


「ギルドの屋根が古くなって、今年の雪に耐えられるか不安だったんだ。これを使って補修しろ」

「えっ」


 木箱の中には大振りな工具。ギルドの建物は確かに年季が入っているけど、そこまでとは。

 てっきり荷物運びなんかの力仕事を押し付けられると思っていた僕は虚を突かれた思いだった。そもそも、大工仕事なんてやったこともない。

 けれど、戸惑う僕をヴァリカーヤが挑戦的な目付きで見ているのに気づくと、今更断ることもできない。


「任せなさい。わたしがしっかり仕上げてあげるわよ」


 僕に代わって意気揚々と言い放ったのはヒマワリだった。彼女はヴァリカーヤから工具箱を剥ぐように受け取ると、早速外へ向かう。


「建物の横の薪置き場に端材がある。自由に使っていいからな」

「ご丁寧にどうもありがと!」


 二階へ戻っていくヴァリカーヤを一度見て、僕はヒマワリの後を追いかける。ギルドの建物の側面には冬の間に使う薪がぎっしりと積み上げられた棚があり、そこに板の端材と梯子も置いてあった。


「ヒマワリ、本当に大丈夫?」

「あんたも弱気になってどうするのよ。第二世代に任せなさい!」


 あまりにも自信満々な彼女を見ていると、逆に不安になってくる。アヤメもユリも何も言わないし……。

 一人戦々恐々とする僕を置いて、ヒマワリは早速梯子を立ててスルスルと登り始めた。


「ヤック様もどうぞ」

「う、うん」


 彼女ひとりに任せるのも心配だ。アヤメに促され、屋根へと登る。

 地下はもはや日常になるくらい潜り慣れているけれど、高いところへ出るのは早々ない。〝黒鉄狼の回廊〟で途切れたベルトコンベアを跳んだ時のことを思い出して生唾を飲みながら、なんとか屋根に辿り着く。


「はぁ!? なんなのよ、この原始的な道具は!」


 屋根に立って工具箱を開いたヒマワリが、早速叫んでいた。

 僕の後から登ってきたアヤメが、そんな彼女を冷ややかな目で見る。


「汎用修復剤などあるはずがないでしょう。木造建築の修繕用データパッケージはインストールしているのですか?」

「そんな容量の無駄になるもの、入れてるわけないでしょ」

「それならば何故、あそこまで啖呵を切ったのですか」

「だって――ッ!」


 何か、詳しいことは分からないけどヒマワリの思惑が外れたらしい。彼女は金槌と木の端材を持って憤然としている。


「金属溶接なら余裕なのに」

「〝黒鉄狼の回廊〟ならば必須技能でしょうが、ここでは無用の長物ですね」

「ぬぬぬ……」


 唇を噛み締めるヒマワリから、アヤメが金槌を奪い取る。


「まあ、そんなところだろうと思いました」

「何よ。貴女は修理できるっていうの?」

「当然です。ハウスキーパーですから」


 ヒマワリもハウスキーパーだと思うけど。と喉から出かかった言葉を飲みこむ。

 アヤメはスカートをふわりと広げて屋根にしゃがみ込み、長年雨風に晒されてボロボロになった屋根に端材をあてがう。工具箱から釘を取り出し、狙いをつけて――。


「ちょ、ちょっと待って! アヤメ!? 何やろうとしてるの?」

「何って、屋根の補修ですが」

「穴開けそうな勢いだったけど!?」


 思い切り振りかぶったアヤメを慌てて止める。ダンジョンの壁も破壊するほどの彼女がそんな力を込めたら、屋根どころか建物自体が倒壊しかねない。二階の執務室にいるヴァリカーヤも、激怒どころでは済まないだろう。


「しかし……」

「しかしもおかしもないよ。もう」


 アヤメも冷静沈着なようでいて、案外こういう所がある。最近ちょっとずつ、彼女の性格のようなものが分かってきたところだ。

 ともかく、ここは僕が地道にやっていくしかないか。そう思った矢先、トントンと小気味良い音が真後ろでする。振り返ると、ユリが屋根の痛んだ箇所に当てがった端材を、軽やかに釘で固定していた。


「ユリは大工仕事できるんだ……」

「補修作業は初めてですが、屋根の破損箇所を封じれば良いと認識しました。この程度であれば、精密動作の応用の範囲内ですので」


 誇ることもなく彼女は釘打ちを続けながら言う。精密動作とはよく言ったもので、彼女は金槌を一回振り下ろすだけで完璧に釘を打ち込んでいる。おかげで、バスン、バスンと気持ちいい音が連続して爽快だった。


「それくらいなら、わたしだってできるわよ」

「精密動作はバトルソルジャーだけの専門技能ではありません」


 次々と屋根を補修していくユリと張り合うように、ヒマワリとアヤメも動き出す。彼女たちが動き出せば、あっという間に屋根の修繕も進んでいった。

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