第117話「先代ギルド長」

 ヴィソカーヤ・コロンナー。探索者ギルドのオギトオルク支部で支部長を務めており、豪快な女性だったらしい。元々構成員数が十数人という規模の小さな支部では、お互いが顔見知りどころか家族のようなものだ。ヴィソカーヤは探索者たちをうまく取りまとめ、〝銀霊の氷獄〟から迷宮産品を集めていた。彼女の手腕はなかなかのもので、小さな迷宮から多くの恵みを享受することができたのは、その能力によるものも大きいとヤブローカは断言した。

 そもそもオギトオルク支部では、代々コロンナー家がギルド長を世襲的に務めていた。大きな都市のギルドではあまりない例だ。ヴァリカーヤがギルド長に就任したのも、その流れを踏襲したからだろう。

 しかし問題になったのは、その代替わりが予期せぬものだったということだ。


「ヴィソカーヤはギルド長ではあったが、たびたび自ら迷宮に足を運んでいた。そもそも若い頃――彼女の母親や祖母がギルド長だった時は一人の探索者として活動していた」


 ギルド長は事務仕事が本業とはいえ、引退した元探索者という経歴は珍しくない。むしろ現場を知らなければ軋轢を生むという考えもある。そうでなくとも、人手の乏しいオギトオルクでは、ギルド長といえど執務室に篭りきりというわけにはいかなかった。

 ヴィソカーヤはギルド長に就任した後も、ベテランの探索者と共に迷宮へ潜り、必ずと言っていいほど毎回大きな成果を携えて戻ってきた。彼女の娘であるヴァリカーヤも、度々同行していたという。


「ヴァリカーヤ氏も、確かに手練の風格がありました。かなり大物の武器を使うようですね」

「よくわかったな。コロンナー家は代々身の丈ほどもある戦斧を使う」


 長柄の武器というのは、基本的に狭小な空間が続く迷宮内では不利だ。僕の持つ要請銀の直剣が五十センくらい。腕の長さを越えてくると壁や天井に引っかかったり、鞘から抜くのに手間取ったりして、致命的な隙を晒すことになる。とはいえあまりに短すぎると、それはそれで扱いにくいけれど。

 ヴァリカーヤは僕どころかアヤメの背丈も越える体格だった。腕も足も相応にがっしりとしていて、獣人らしい逞しさに満ちていた。とても机に向かうのが本業とは思えない。

 たしかにあれだけの体格があれば、多少の取り回しの難はあっても重量のある武器で破壊力を高めた方がいいのかもしれない。

 晩冬のある日、その日も先代ギルド長のヴィソカーヤは戦斧を担いで迷宮へ向かったと言う。


「元々、その頃には代替わりの話は出ていた。その際には当代と後継が、〝銀霊の氷獄〟で引き継ぎを行うことになっておった」

「引き継ぎ?」

「儂も詳しいことは知らん。――とにかく、ヴィソカーヤは迷宮に行き、そこで死んだ。供をしていた奴が言うには、妙に凶暴な魔獣に襲われたという話だ」


 ヤブローカの言葉にどきりとする。

 迷宮は放置すると魔獣が力をつけ、凶暴化してしまう。その結果、迷宮の中で留まることがなくなり、外へ流れ出す。魔獣侵攻という災害で、近郊の迷宮都市が壊滅することもあるものだ。

 僕らはそんな暴走を止めるためにやってきた。凶暴な魔獣が現れたということは、危険が近づいている可能性が高い。


「急な先代の死で、ヴァリカーヤは突然にギルド長となった。だが彼女は迷宮に変化が起きて危険が生じたと判断して、封鎖を決定したのだ」


 迷宮は時折形を変える。時には大規模な構造変化に巻き込まれて死ぬ危険も高まるため、しばらく迷宮を封鎖するということもあり得る。

 けれどヤブローカの話を聞いた僕は違和感を抱いていた。


「迷宮が変化した証拠や兆候はなかったんですよね」


 強い魔獣が現れたことは、迷宮が変化したことと線で結ぶには弱い。単純に力をつけた魔獣がたまたま現れただけという可能性の方が高いからだ。魔獣に名前が付けられ、討伐依頼が貼り出されることはあっても、それで迷宮封鎖とはならないはずだ。

 ヤブローカは頷く。けれど、事実としてヴァリカーヤは迷宮を封じた。


「母親が死んだのだ」

「……そう、ですよね」


 おそらく、理由はそれだけで十分だろう。

 迷宮で探索者が死ぬことは、そう珍しいことではない。本望と思う者すら少なくないだろう。けれど、肉親を失った場所となれば、話は変わってくる。

 それでも……。


「それでも、迷宮に入りたいんです。いや、入らないといけないんです」


 僕は意を決して、再び訴える。強い魔獣の出現はむしろ魔獣侵攻の兆候という可能性の方が高い。〝銀霊の氷獄〟が崩壊すれば、それはオギトオルクが滅びるだけで済む話ではなくなる。

 ヤブローカに言って、ふと疑問に思う。なぜ彼は、外からやって来た僕らに内情を語ってくれたのだろうか。酒の代価というわけではないだろう。

 僕の疑問を察したのか、彼は杯を置いてアヤメに目を向けた。


「――儂が若い頃の話だ。駆け出しの猟師とも言えんような未熟な時分に森へ出かけて、遭難したことがある」


 脈絡なく始まった昔話に驚きつつも傾聴する。

 彼は遠い過去に思いを馳せて、ぽつぽつと続けた。


「例年に輪をかけてよく雪が降り、猟もうまく進まなかった。少しでも足しになればと思って、無謀にも繰り出した。とはいえ、猟犬も居らず、土地勘もない。足跡はあっという間に雪に埋もれるし、日が暮れるのも早かった。気が付けば、自分がどの方向に向いているのかさえ分からなくなった」


 雪は音を消し去る。仲間を呼ぶこともできず、暗い闇の中を小さな灯りだけを掲げて彷徨った。いかに屈強な熊獣人とはいえ、体力の限界が来ていた。


「悪いことは重なるものだ。夜の森を彷徨っていた儂は、魔獣に襲われた」

「魔獣に!?」


 衝撃的な言葉だ。魔獣は普通、迷宮の外には出てこない。出てくるとすれば、魔獣侵攻のような取り返しのつかない災害が発生した時だけ。

 けれど、彼によれば魔獣は一体だけ。とはいえ疲弊した彼にとってはあまりにも強大すぎる敵だった。弓を射掛けるも厚い毛皮がそれを阻み、逃げようにも雪に足を取られる。魔獣は狩りを楽しむように、ジリジリと距離を詰めてきた。


「――ここで死ぬのかと思った。覚悟して、いっそ食えと身を晒そうとした。彼女が現れたのは、その時だった」


 魔獣の鋭利な牙がヤブローカの首筋に迫ったその時、両者に割り入るものがあった。激しい音が衝突し、直後に魔獣の悲鳴がした。凄まじい打撃が続き、やがて魔獣は力尽きて雪に倒れた。


「彼女というのは……」

「分からん。町の者ではなかった。人間族のように見えたが、驚くほど美しかった」


 オギトオルクにも少数ながら人間族はいる。けれど、夜の真冬に森に出る者はいない。ましてや、獣よりも遥かに凶暴な魔獣を封殺するほどの実力を持った女性など。

 詳しい容姿は、疲弊しきって視界も朧げだった当時のヤブローカには分からなかった。そのシルエットと、凛然とした声、力強く助け起こしてくれた手の感触だけが、ほのかに残っている。


「よく似ているのだ」


 彼はアヤメを見て言う。

 もちろん、彼女ではないはずだ。けれどその言葉に驚きを覚えた。

 これだけの話を語られれば、アヤメたちでなくとも察することがある。


「ハウスキーパーが、生きている……」


 迷宮に眠る機械人形。精緻な人の形を取りながら、人を遥かに越える力を持ち、迷宮を守る女性たち。〝銀霊の氷獄〟のハウスキーパーが魔獣を追いかけていたとしても、おかしくはない。


「儂は気を失い、目が覚めると町の近くの木の根本におった。それから幾度となく探したが、終ぞ見つけられなかった。――お主らを見た時は驚いた」


 その女性は、アヤメとよく似ていたという。

 もしハウスキーパーであるならば可能性は十分にある。ユリやヒマワリも同じ型ならば同じ容姿をしていると言っていた。〝銀霊の氷獄〟のハウスキーパーが第一世代であるならば、アヤメと似ていてもおかしくはない。


「何か事情があるのだろう。――受けた恩を返すだけだ」


 ヤブローカは彼女とアヤメを重ね、その時の感謝をアヤメに告げた。


「〝銀霊の氷獄〟の所在は儂にも分からん。知っておるのは探索者だけだ。案内が欲しいなら、信頼されるように動け」


 端的な言葉を残し、ヤブローカは杯を飲み干す。そしてゆっくりと立ち上がると、テーブルに代金を置いて去っていった。

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