第116話「蜂蜜亭」

「あっはっはっはっ!」

「テメェ、イカサマだろう。そのサイコロ見せてみろ!」

「もう決着はついただろう。みっともないぜ!」


 暖気をしっかりと逃がさない扉を開くと、明るい光と共に盛大な笑声が流れ込んできた。陽気な声が食器を打ち鳴らす音に重なり、酒と肉の焼ける匂いとが体を通り抜ける。

 煌々と魔導灯が輝く天井の高い屋内にはテーブルがいくつも並び、ほろ酔いの熊獣人たちが酒盃を掲げて遊びに熱中していた。


「いらっしゃい! って、あんた達もしかして例の探索者?」

「あ、はい……。四人なんですけど席あります?」


 店員さんらしき少女が、僕たちを見つけて目を丸くする。彼女も熊獣人で、癖のある波打った髪の下から丸い耳が見え隠れしていた。可愛らしいフリルのついたエプロンを着けて、空の食器を重ねて抱えている。

 当然のように僕らの存在は知っている様子だったけど、まさかやって来るとは思わなかったらしい。それでも困惑しつつ空いているテーブルへ案内してくれる。


「あんた達、案外図太いのね……。まあ食い逃げしないなら歓迎するわよ」


 ようこそ蜂蜜亭へ、と彼女は朗らかに笑う。その態度がこれまでのイメージとはずいぶんと違っていて、むしろ僕の方が驚いてしまった。


「てっきり嫌われてるのかと思ってました」

「まあ嫌ってる人もいるだろうけど。それよりも不審者っぽいからね」


 明け透けに語る少女はいっそ清々しい。彼女はむしろ外からやって来た僕らに興味を持っているようで、空いたテーブルの背もたれに腕を預けて身を乗り出した。


「コルトネを越えて来たんだって? この町に外の人が来るなんてほとんどないから、みんな警戒してるのよ」


 ヤブローカもそんなことを言っていた。ココオルクの商隊を含め、オギトオルクを訪れる者はいくつかの町の者に限られる。それも定期的にやってくる顔馴染みだけで、僕らのように前触れなく現れる旅人はまず居ない。

 そう考えてみれば、遠巻きに見つめてくる興味に満ちた視線も腹落ちした。彼らもまた、僕らが何者か分からなかったのだ。

 蜂蜜亭の看板娘はリュビーテリと名乗った。町の者からはリュビと呼ばれているらしい。


「ヤックは子供なのに探索者のリーダーみたいだし、アヤメたちは寒そうな服でしょ。どう考えても怪しさ満点よ」

「うぐぅ。アヤメ達はともかく、僕は大人なんだけど」

「小人族にしては大きいよね?」

「人間族だよ!」


 十四歳だというリュビも、僕と同じくらいの身長だ。獣人族というのは氏族にもよるが、誰も彼も体格が大きい。ヴァリカーヤの威圧感を思い出し、思わず震える。

 周囲をそっと窺ってみれば、他のテーブルはこちらに注意も向けずに遊びに興じている。――ように見えて、時折ちらりとこちらを覗いてくる。


「みんな外の人とどう接すればいいのか分からないのよ」

「そ、そっか……。なんか、ちょっと安心したよ」


 オギトオルクの住民達のことが少し分かった気がして、安心を覚える。リュビ以外の人が話しかけてくることはないけれど、威圧的な態度を向けられることもなかった。第一印象だけで判断することの危うさを噛み締める。


「それで、ご注文は?」


 リュビの声で、まだ料理を頼んでいないことを思い出す。緊張が抜けたからか、一気に空腹が出てきた。

 蜂蜜亭のおすすめを聞いてみると、猟期前であまり豪勢なものは出せないと答えが返ってきた。他の客はみんな、大鍋で煮込んだ根菜のスープと、ベーコン、揚げ芋なんかを食べているようだったので、僕たちもそれを注文する。


「そういえばヤブローカさんも猟期が近いって言ってたね」

「秋が終われば畑も雪に埋もれるからね」

「この辺りはよく降るの?」

「もちろん! 寒いし暗いし野菜も萎びたものばっかりだし、ほんと嫌だわ」


 熊獣人とはいえ、獣のように肉ばかり食べるわけでもない。むしろリュビは新鮮な野菜が好きらしく、長い冬季に今から憂鬱な顔をしていた。


「ヤック様、冬になるとコルトネ山を越えるのも難しくなります」

「そうだね。冬までにダンジョンの件が片付かないと、帰るのは春になるのか」


 リュビの話によると、本格的に雪が降り始めるのは一月後くらいから。それでも、僕の住んでいたあたりと比べればかなり早い。雪の量もかなりのものになるようで、今から森の動物たちは越冬のための支度に奔走しているという。熊や狼、鹿だけでなく、オコジョやイタチなどの小動物も毛皮として収入源と防寒着になる。

 オギトオルクの住民には猟師も多く。雪が深々と降り積もる季節も休んでいられない。むしろやるべき事は多いくらいだ。


「あの小屋で冬が越せるかしら」

「毛布だけでは厳しいかもしれません」


 ヒマワリとユリは、充てがわれた小屋を思い返して不安な顔だ。まだ軽く見て回った程度とはいえ、隙間風が吹き込みそうな予感はしている。

 リュビが運んできた素朴な料理を口に運びながら、これからどうしようかと相談を重ねる。雪が積もれば屋根から降ろさないといけないし、防寒具も今のままでは不安が残る。何より、食料もお金も越冬するには心許ない。

 ちょっと目論見が甘かったかもしれない、と不安になってきたその時、不意に背後から声がかかった。


「席は空いているか?」

「わっ!? っと、ヤブローカさん!」


 現れたのは老年の熊獣人。僕らを案内してくれたヤブローカだった。彼も夕食はここで摂るようだ。周囲に席は空いていたけれど、わざわざ声をかけてくれたことに思惑を察して椅子を引く。


「すまんな。壁際は寒いんだ」


 すかさずやってきたリュビに手慣れた様子で注文をして、ヤブローカは僕たちを見る。


「どうだ、美味いか」

「はい。あまり食べたことのない味で、体が温まります」

「そうか」


 根菜をじっくりと煮込んだスープは、シンプルながらも奥深い味わいだ。いかにも家庭料理といった素朴さが身に染みる。ベーコンは少し塩気が強く、酢漬けのキャベツと一緒にパンに挟んで食べると美味しい。

 ヤブローカはすぐに運ばれてきた料理に取り掛かりながら、また少しずつ話し始めた。


「ギルドには断られたんだろう」

「ええ。冬に入る前に帰れ、と言われました」


 ヴァリカーヤの言葉を思い出し、弛緩していた心がまた引き締まる。彼女をどうにか説得して迷宮に入りたいが、どうすればいいか見当もつかない。ヤブローカは彼女の冷淡な反応を確信していたのだろう。驚くこともなく、静かにスープを口に運ぶ。


「〝銀霊の氷獄〟はオギトオルクの探索者しか入らん。数で言えば、十人程度で、年寄りも多い」


 全二階層の小さな迷宮ということもある。産出される恵みも〝老鬼の牙城〟や〝銀龍の聖祠〟には程遠いはずだ。オギトオルクの住民を支えるのがギリギリなんだろう。


「僕らは迷宮の産品を持ち出すつもりはないんです」

「そうか……。しかし、それを信じられるはずもない」


 ヤブローカの言葉は素っ気なく、必要最低限なものだった。それだけに説得は難しいことを思い知らされる。あくまで僕らは、この町の外からやってきた人に違いない。


「迷宮で起きた事故について、教えてください」

「ちょ、アヤメ!」


 黙々と食事をするヤブローカに、アヤメが単刀直入に切り出す。慌てて止めようとしたけれど、もう遅い。怒られるかと思って身構える。しかも、アヤメはヤブローカを見つめたまま更に追及する。


「ギルド長、いや、前ギルド長のヴィソカーヤさんと関係がありますね?」

「アヤメ!」

「――ふん」


 怒声を覚悟した。けれどヤブローカは静かにスプーンを置いて、こちらへ顔を向けた。


「ヴィソカーヤのことを知っているのか?」

「名前だけ存じております」


 そうか、と彼は口の中で呟く。そしておもむろに僕の方へ――僕の手元に置いてあった酒瓶を見る。出発祝いにドンドさんから貰った強めのお酒だ。自棄酒にしようかと思ったけれどそういう雰囲気でもなくなり、結局まだ栓を開けていない。

 僕が慌てて開栓して木の杯に注ぐと、ヤブローカは舐めるように一口飲んで息を吐いた。


「――確かに、ヴィソカーヤは先代のギルド長だ」


 酒を対価ということにして、彼は話し始める。


「彼女はヴァリカーヤの母親で、前の冬の終わりに〝銀霊の氷獄〟で死んだ」

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