第115話「ヴィソカーヤ・コロンナー」
冷たく拒まれてギルドを出ると、いくつかの視線を感じた。探索者というのは職業柄、そういった気配には敏感になる。そうでなくとも、オギトオルクに入った時からそういったものはあった。窓の奥やドアの隙間から、外部の人間の様子を窺っている。
ギルドの扉を閉じて、そういえば小屋の場所を教えてもらっていないことに気付いた。誰か尋ねられる人がいればいいけれど、そんな雰囲気でもない。
「だから言っただろう。無駄だと」
「ヤブローカさん……」
嗄れた声に顔をあげると、ヤブローカが立っていた。足元にはポードが行儀よく座っている。帰ってしまったものかと思ったけれど、弓と道具を置いて戻って来てくれたらしい。商隊の小屋に泊まることを伝えると、案内してくれた。
「ありがとうございます」
「ふん……」
結果は奮わなかったとはいえ、町まで案内してくれた恩がある。お礼を伝えると、彼は鼻を鳴らしただけだった。
「迷宮で何か事故があったんですか?」
ユリの言葉にヴァリカーヤが反応していた。迷宮内で何かあったことは確かだろう。けれどヤブローカは黙して語らない。そのまま町の中を歩き、防壁の側にある小さな小屋の前までやって来た。
「ここで泊まれ。そこにある薪は使っていい」
他の住宅と同じく、柱で一段高くなった建物だ。小さいながらも暖炉もあり、軒下には十分な量の薪が積み上げられている。凍える夜も覚悟していただけに、ありがたいものだった。
とはいえ、依然としてヴァリカーヤに交渉の余地はなさそうだ。町の住民も立ち入りを許可してくれたとはいえ、積極的に関わろうという意思は見えない。むしろ警戒心をひしひしと感じさせる。ヤブローカだけが唯一のつながりだけど、彼も早々に立ちさろうとしている。
僕は藁にもすがる思いで彼の背中に声をかける。
「あの! ――えっと、食堂か酒場って、ありますか? 夕食を食べたいんですが」
「……一軒だけ酒場がある。大通りに構えているから、すぐに分かるだろう」
ギルドまでの道中にそれらしい建物を見た覚えがあった。ぎこちなく感謝を伝えると、彼はまたすたすたと去っていった。
「ヤック様、室内の安全が確認できました。暖炉にも火を入れています」
「ありがとう、アヤメ。とりあえず、ちょっと休もうか」
夕食にはまだ早い。けれど太陽はコルトネの背に隠れ、薄暗くなると一気に寒さを増してくる。僕は冷たい風に追われるようにして小屋の中へと駆け込んだ。
「はぁ、まさかこんなところで躓くことになるとは」
暖炉の火に当たりながら、力なく肩を落とす。予定では今ごろはギルドの資料室で下調べをしているはずだったのに。すっかり出鼻を挫かれてしまった。
〝銀霊の氷獄〟の場所も分からず、探しに行こうにも土地勘がない。最悪、彷徨ったまま野垂れ死ぬ可能性すらある。なのに現地のギルド長との関係も悪い。
「どうしたもんかなぁ」
「我々がギルドに忍び込み、迷宮の情報を探しましょうか」
「……それは最終手段だね」
アヤメが真面目な顔のまま物騒なことを言う。確かに彼女たちの実力があれば可能だろうけど、露呈すれば関係悪化どころの騒ぎではない。よくて即時追放、罰を受ける可能性すらある。
〝銀霊の氷獄〟を諦めるという選択肢もない。あそこの重要性はアヤメたちから聞かされているし、それを無視することはできない。
「〝銀霊の氷獄〟で何があったんだろう」
誰かが迷宮で死んだ。
探索者をやっていれば、珍しくもない話だ。僕が長年拠点としていた〝老鬼の牙城〟でも年に何人かは帰ってこない。僕ら探索者もそれは折り込み済みなのだ。自分の命を賭して、迷宮遺物や資源を手に入れる。生きて持ち帰れば、場合によっては凄まじい富を得られるのだから。
いくらオギトオルクが辺境の町とはいえ、迷宮の危険性は知っているはず。人が死んだからといって迷宮を封鎖していれば、厳しい冬を超えることもままならない。何か重大な事故が起きたのか、もしくは――。
「事件でも起きたのかな」
これもまた、よくある話といえばよくある話だ。
迷宮内で貴重な迷宮遺物でも見つけて、欲に目が眩んで仲間割れ。身に覚えがありすぎる。
とはいえ、考えにくい話でもなる。〝銀霊の氷獄〟に立ち入れるのはオギトオルクの探索者だけだとヴァリカーヤは言っていた。仲間を裏切ってまで迷宮遺物を手に入れたところで、それを持ち帰る場所がない。裏切り者として制裁を受ける他ないはずだ。
「マスター、少しいいですか?」
「どうかした?」
悶々と頭を悩ませていると、ユリが近づいてくる。彼女は一つ違和感があると言って、話し始めた。
「預かっていたココオルクのギルド長からの紹介状ですが、宛名がヴァリカーヤではありませんでした」
「へぇ? ヴァリカーヤがギルド長なんじゃないの?」
そもそも、紹介状は開封されておらず、中身はユリも見ていないはず。なのにはっきりと断言する彼女に首を傾げると、アヤメとヒマワリも頷いてみせた。
「そういえば、宛名はヴィソカーヤ・コロンナーとなっていましたね」
「なんで皆、内容を知ってるの?」
「あの女が読んでる時に裏から読んでたからよ」
「ええ……」
確かに少し紙面は透けていて、インクは見えていた。とはいえ全てが読めていたわけではないし、そもそも文字は反転していたはずだ。どんな目をしていたら、と驚くけれど、アヤメたちなら造作もないのかもしれない。
「ヴィソカーヤ・コロンナー……」
ココオルクのギルド長が、オギトオルクのギルド長に向けて書いた紹介状だ。となれば、ヴァリカーヤはギルド長ではない可能性が出てきた。町ぐるみで僕らを騙しているのだろうか? そんな必要があるのか?
また一つ謎めいた事実が出てきて余計に混乱してしまう。ヴィソカーヤの正体を町の人に尋ねて、素直に教えてもらえるとも思えないし。
ぐぅぅ……。
「……お腹空いたね」
考え事をしていると腹の虫が声をあげる。少し恥ずかしくなりながら周りを見渡すと、アヤメたちが優しい眼差しを向けてきた。
「夕食にしましょう。ヤブローカの言っていた酒場に行ってみますか?」
「そうだね。もしかしたら、何か話が聞けるかもしれないし」
小屋にも煮炊きができそうな設備はあったけど、あえて外に食べに行く。わざわざ備蓄を減らす必要もない。
僕が腰をあげるとアヤメたちもいそいそと準備を始めた。
小屋の外に出るとすっかり日が暮れていて、暗い町に家々の灯りが漏れ出している。冷たい風が吹きすさび、僕は外套の襟元をきゅっと閉じた。
少し歩いて酒場へ向かうと、静かな街中に賑やかな声が聞こえてくる。冷え込んでくると、家に籠るより酒場にいる方が快適なんだろう。オギトオルクの住民も、ずっと静かなわけではない。
「せめて美味しいものが食べたいね」
とりあえず、お金はある。それにドンドさんから餞別に貰ったお酒も持ってきた。最悪、何かおつまみだけ買って自棄酒を楽しめばいい。なんとも物悲しい気持ちになりながら、僕は酒場の戸を開けた。
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