第114話「オギトオルク」

 オギトオルクは小さな町だった。丸太を切り出した木造の家がほとんどで、床を地面より一段高くしている。来訪者というのはかなり珍しいのか、僕らよりも噂が先回りして、軒先から熊獣人の住民たちが顔を覗かせていた。


「探索者ギルドはそこじゃ。ではな」

「ありがとうございました」


 ヤブローカは事前に話していた通り、ギルドまでの案内を終えると帰ってしまった。残された僕らは、遠巻きに見つめる視線を背中に受けながら、街中でも一際立派なギルド支部の戸を叩く。

 熊獣人の体格に合わせたドアをくぐると、暖かい空気が身を包む。秋に入ったこの辺りは乾燥していて寒い。麻痺していた温度感覚を取り戻し、今更のように体が震えた。

 探索者ギルドの建物は、基本的にどの町の支部でも構造が同じだ。一階には依頼を受発注するための受付と掲示板がある。大抵は酒場も併設されていて、オギトオルクのギルドも同様だった。

 ぷんと蜂蜜酒の香りが漂い、パチパチと暖炉で薪が爆ぜる音がする。ランタンの穏やかに揺れる光は魔導灯ではなく蝋燭のものだった。

 けれど、室内には人の気配がない。


「なんだろう……」


 ギルドの一階は探索者の溜まり場になっている。迷宮の産出品を求める住民もやってくるし、商人が品物を並べていることも珍しくない。基本的に昼夜を問わず開放されているし、窓口業務も早朝から深夜まで、緊急性の高いものは常に受け入れる体制が整っている。

 だからこそ暖炉も火が入っているんだろうけど、なぜかカウンターにも職員の姿はない。


「お前たちがココオルクから来た探索者か」


 呆然としていると、上方からよく響く女性の声がした。同時に、ギシギシと踏み板の軋む音が続く。カウンターの横から二階に続く階段から、ブーツを履いた足が見える。革のズボンが見え、麻の服に包まれたがっしりとした上半身、そしてダークブラウンの髪を流した女性の顔が現れる。

 ラフな格好をしているけれど、赤い瞳に鋭い眼光を宿し、鼻筋の立った剛毅な雰囲気を纏っている。丸い耳が頭の上に見え、彼女も例に漏れず熊獣人であることは明らかだった。

 他のギルドと同じなら、2階には資料室ともう一つ部屋がある。そこからやって来た彼女の立場も、おのずと分かる。


「ギルド長さん、ですか?」

「そうだ。探索者ギルド、オギトオルク支部長のヴァリカーヤだ」


 階段を降りてきたギルド長は、縦にも横にも大きな女性だった。薄手の服に筋肉が浮き上がるような体格の良さで、正面から見下ろされると威圧感で足が竦みそうになる。

 熊獣人の年齢はあまり分からないけれど、おそらく支部長という役職の割には若いのではないだろうか。

 ヴァリカーヤは口の端を固く結び、僕たちの正体を探るような目を向けてきた。急いでユリへ振り返り、ココオルク支部長から預かった紹介状を渡す。


「ふむ……」


 文面がどのようなものかは分からない。ヴァリカーヤはじっと睨みつけるようにして文字を追い、しばらく沈黙が続く。

 薪の爆ぜる音がいやによく聞こえる。


「なるほど。どうやら、ココオルクでは活躍したようだな」


 手紙には、僕たちがココオルクの迷宮〝黒鉄狼の回廊〟で何をしたのかが記されていたらしい。迷宮の最奥まで向かい、その機構を初期化したというのが真実だが、支部長にはそこまで詳しい話はしていない。とはいえ、鉄の産出が主な収入源であるココオルクで一定の成果を出したということは認められているようだ。

 ほっと胸を撫で下ろし、本題に入ろうと口を開きかけたその時、ヴァリカーヤの目線が僕に突き刺さる。


「しかし、〝銀霊の氷獄〟への立ち入りは認められん。ここまでご苦労なことだったが、冬に入る前に戻れ」

「え、えええっ!?」


 すっかり立ち入りを認められるものだと思っていた僕は、思わず大きな声を出す。ヴァリカーヤは堂々と立ち、毅然とした顔で見下ろしていた。


「我々は迷宮の調査のためやってきました。もし、何らかの事情で〝銀霊の氷獄〟に立ち入ることができないのであれば、その障害を解消する助けになれるかもしれません」


 困惑する僕に変わり、アヤメが語る。けれどヴァリカーヤの意志は固く揺らがない。


「元々〝銀霊の氷獄〟はオギトオルクの探索者以外の立ち入りを禁じている。外部の人間が入ることは許されていない」

「そんな! ギルド管轄の迷宮は原則、どこでも立ち入りが自由なはずですよ!」


 じろりと赤い目が僕を見る。


「原則は原則だ。こちらではこちらの流儀に従ってもらう」


 交渉の余地はなさそうだった。ヴァリカーヤは今すぐ帰れという拒絶の意思を隠そうともしない。色々と言葉が喉元まで迫り上がってくるけれど、結局口にすることはできなかった。


「――迷宮の資源を持ち出されることを危惧しているならば、それはありません」


 再びアヤメが口を開く。その言葉に僕もはっとした。

 〝銀霊の氷獄〟は全二階層の小さな迷宮だ。その詳細な位置はココオルクのギルドにさえ共有されていない。それは、オギトオルクの暮らしの根幹を支える重要な位置にあるからだろう。

 そもそも迷宮は、迷宮都市に恵みを与える。オギトオルクは厳しい冬を迎える極限の土地にある小さな町だ。例えば外部の探索者がやって来て迷宮の産出物を持ち帰ると、冬を越すことが難しくなる可能性すらある。

 だから、ヴァリカーヤは僕たちの立ち入りを禁じているのではないか。もしそうなら、ダンジョン内の物品を持ち出さないことを条件にすれば、あるいは。


「そういう問題ではない」


 見えかけた光明は、吹雪に晒した蝋燭の火のように呆気なく消える。固く厳しい態度を変えないヴァリカーヤの冷淡な声にアヤメがじっと目を向け、しばらく睨み合い――というには静かな時間が過ぎる。


「も、もしかして、迷宮でなにか異変が起きたんですか? それなら、尚更、僕たちに調べさせて欲しいんです」


 最悪の展開は、迷宮に異常が起きているということ。それが原因で立ち入りが制限されているなら、異常の究明と解決のため、アヤメたちの力が必要不可欠となる。異常をそのまま放置すれば、問題はオギトオルクだけに留まらないのだ。


「だめだ」

「お願いです。い、一日だけでも!」

「帰れ」


 懇願しても、彼女は頷かなかった。このままでは絶対に意見は覆らないだろう。


「――迷宮で誰か死にましたか」

「っ!」


 不意にユリが口を開いた。その指摘を受けて初めて、ヴァリカーヤのきりりとした眉が揺れる。図星だった。鉄壁の牙城にわずかな穴が開いた。

 オギトオルクは小さな町だ。おそらく、迷宮探索者の数も少ないのだろう。迷宮で探索者が命を落とすことは珍しくないとはいえ、この町では重大な問題となる。ヴァリカーヤはギルド長として、迷宮を閉鎖することにした。


「……今日はもう日も暮れそうです。一晩、泊めていただいてもいいですか?」

「商隊が使う小屋がある。そこを使え」


 これ以上押しても状況は悪くなると悟った。一度撤退するべきだろう。アヤメたちも僕を止めず、静かに引き下がる。

 一晩時間を稼ぐことはできた。その間に、なんとか方策を練らないと。

 僕たちはヴァリカーヤの視線を背中に感じながら、オギトオルクの探索者ギルドを後にした。

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