第113話「閉ざされた迷宮」

 森の中で出会った熊獣人の男性は、名前をヤブローカといった。弓を携え、革のブーツと年季の入った毛皮の上着を羽織っている。腰には大振りなナイフと鉈、ランタンを吊り下げていた。見るからに熟練の狩人といった姿だ。そして実際、彼の歩みは森の中に慣れていて、足音が驚くほど静かだった。

 ヤブローカの足元に付き従っているのは、こちらも体格のいい猟犬だ。名前はポードというらしい。ふんふんと大きな黒鼻を地面につけて、しきりに匂いを嗅いでいる。

 今は猟期に入る直前で、ヤブローカも獣を狩ることはできない。けれど、キノコや山菜といった食料を集めるため歩き回っていたところ、僕らの存在に気付いた。ココオルクからの商隊がやってくる期日は決まっているうえ、四人という少人数でなければ荷車や馬も伴っていないことで不信感を抱いたそうだ。

 ヤブローカ自身は寡黙な人で、軽く自己紹介と何往復かの会話を終えると口を閉ざし、黙々と森の奥に向かって歩き続けた。


「でも、幸運だったね。ヤブローカと出会えなかったらオギトオルクには辿り着けなかったかも」


 沈黙が続き、僕はアヤメに話しかけた。

 オギトオルクの正確な位置はココオルクで見た地図にも書かれていなかった。コルトネ山の麓に広がる針葉樹林のどこかにあるとしか把握していなかったのだ。


「現地に着けばなんとなく分かるかもって思ってたんだけどね」


 楽観的な考えだったことを今、思い知る。尾根から見下ろした針葉樹林は広大で果てがない。森の中に入れば、商隊が残してくれていた道案内の目印もなくなっていた。商隊は何度も往復して覚えているから難なく進めるのだろうけど、僕らにはさっぱり道も痕跡も見つけられなかった。

 偶然にもヤブローカと出会うことがなければ、今頃深い森の中を涙目で彷徨っていたことだろう。


「正確な地図があればよかったのですが」

「それは無理な相談だな」


 アヤメの淡々とした言葉に、不意にヤブローカが答えた。

 僕らが顔を向けると、彼は前を見据えて歩きながら続ける。


「オギトオルクの正確な場所を記録することは許されん。辿り着くには、儂のような住民に案内されるか、ココオルクの者のように道を覚えるかのどちらかだ」

「外部との交流は、ココオルクの商隊以外にはないのですか?」

「もう二、三の集落から半年に一度程度、人が来る。それ以外にはほとんどない」


 ココオルクを含めても、人間族の片手の指で収まるほどの交流しかない。深い森の中に隠れるような立地は不便だろうと思っていたけれど、どうやらオギトオルクの住民が自ずとそう望んでいるらしい。

 それでも、オギトオルクは迷宮都市として知られている。実際に足を運ぶものは少ないと言っても、現地には探索者ギルドの支部もあるはずだ。近郊の迷宮〝銀霊の氷獄〟がギルドの管轄下にあるなら、僕らもそこに立ち入る権利は持っている。


「迷宮に入れないって、どういうことだろう」


 詳しいことはヤブローカも教えてくれなかった。ただ、僕らが立ち入れないことは確信しているように見える。何か事情があるのかもしれない。

 とにかく、ギルドに行かないと話は進まない。


「入口が崩落してる可能性は?」


 僕はヤブローカを追いかけながら、そっと囁く。

 ダンジョンというものは現代も理解できないほどの高い技術が使われ、その壁はたとえ数人がかりの大魔法を使っても傷ひとつ付かないほど頑丈だ。とはいえ、入口が岩石で塞がれてしまったり、湖の底に沈んでしまったり、周囲の環境が原因で閉鎖されてしまう例はたまにある。

 もしかしたら、〝銀霊の氷獄〟もそういった何かしらの事情があって入口が塞がっているのかもしれない。


「その場合なら、私が障害物を除去しましょう」

「岩くらいならマギウリウス粒子の供給を受けなくてもなんとかなるわよ」


 アヤメが拳を握り込み、ヒマワリも猟銃を抱えて軽く断言する。岩が塞いでいる程度なら、彼女たちが難なく解消してくれる。ダンジョン内部でこそ真価を発揮できるハウスキーパーだけど、地上でも人間を遥かに超えた膂力を持つのだ。

 けれど、おそらく事情はそう単純ではないだろう。膂力でいえば、獣人族――特にヤブローカのような熊獣人の力は凄まじいものがある。彼が背負っている弓は弦に獣の腱を使った強靭なもので、おそらく僕の力では引くことさえ難しい。それを難なく番えてみせるのだから、推して図るべしだ。

 そもそも〝銀霊の氷獄〟は外部との交流に乏しいオギトオルクでこそその重要性を増す。迷宮というのは近隣の迷宮都市に潤沢な資源を提供し、人々の生活を支える。そのまま生命線と言えるような迷宮の入口が塞がったのなら、住民総出で除去しようとしているはずだ。

 つまり〝銀霊の氷獄〟は物理的に塞がっているわけではない。何か、別の事情がある。


「わふっ!」


 グルグルと考えていると、不意にポードが鳴いた。意識を目の前に戻すと、深い森の向こうに開けた土地が見えてきた。木々を切り倒し、切り株を掘り出して作った広場だ。近くには川の流れも見える。そして、広場の中央に丸太を並べて作った囲いがあった。櫓のついた門もあり、頑丈な扉がぴったりと閉じられていた。

 まるで要塞のような威圧感を抱かせる都市の防壁に、ヤブローカは堂々と近づく。見通しのいい広場に姿を現すと、櫓から毛皮を羽織った熊獣人がひょっこりと顔を出した。


「ヤブローカか。ずいぶん早かったな」

「客を連れて来た。開けてくれ」

「何ぃ?」


 ヤブローカの低い声に、若い熊獣人の男性は眉をひそめる。振り返ったヤブローカに目で促され森の影から姿を現すと、彼は幻獣でも見るような目をこちらに向ける。


「なんだぁ? 人間族……。ココオルクの奴らじゃなさそうだな」

「ココオルクからやってきたそうだ。〝銀霊の氷獄〟に入りたいらしい」


 ぺこりと頭を下げる。やっぱり、最初から不信感を隠すこともなくジロジロと見られている。話し声が聞こえたのか、櫓からさらに数人の熊獣人が頭を覗かせた。人間族の僕からすると毛並みが黒っぽいか茶色っぽいかくらいの違いしか分からないけれど、総じてあまり歓迎されている様子はない。


「迷宮探索者のヤックです。四人で〝青刃の剣〟というパーティを組んで活動していまして」

「探索者ねぇ。残念だが、〝銀霊の氷獄〟は閉鎖中だ。大人しく帰りな」


 ヤブローカの時と同じく、とりつく島もない。やはり〝銀霊の氷獄〟は何かしらの事情があって立ち入りが制限されているらしい。とはいえ僕らもそれを聞いて、簡単に踵を返すわけにはいかない。


「あの、せめてギルドに挨拶させていただけませんか。僕たちは各地の迷宮を調査していて、もしかしたらお手伝いできることがあるかもしれません」


 〝銀霊の氷獄〟に世界が滅ぶような危険物がある、とは言えない。言ったところで信じてもらえないだろう。嘘は言っていないけれど、真実というほどでもない言葉で濁すほかない。予想通り、門番たちはより一層不信感を増したようだ。


「そんなトンチキな格好で、とても偉い学者には見えねぇがな」

「た、確かに学者ってわけではないんですが……」


 彼らの目は、僕の背後に立つアヤメたちに向いている。急峻な雪山を超えてきたわりにはメイド服という格好が、あまりにも奇異に映る。しかし彼女たちにも矜持があるようで、メイド服を着替えさせるというわけにもいかない。

 ここで押し問答を繰り返していたら、いつ街中に入れるとも分からない。


「チッ。ねえ、一発ぶち込んだら大人しくなるんじゃない?」

「絶対やめてよ!? そんな手荒なことしたら、それこそ迷宮に入れないよ」


 痺れを切らしたヒマワリが物騒なことを言い出す。彼女が実力行使に移る前になんとか話を進めなければ。

 そもそも、僕らは〝銀霊の氷獄〟の正確な位置も知らないのだ。どのみち迷宮に入るためにはオギトオルクの人の協力を取り付けるのが必要不可欠になってくる。

 どうしようかと頭を悩ませていると、それまでずっと黙っていたユリが前に出た。


「失礼。我々はココオルクのギルド長から紹介を受けて参りました。――ひとまず、こちらのギルド長との面会だけでも許していただけませんか」

「えっ」


 彼女が懐から取り出したのは、ココオルクのギルドの紋章で封蝋された手紙。初めて見る品に、目を丸くする。呆気に取られる僕を他所に、彼女はそれを高く掲げる。すると、櫓から身を乗り出して見ていた門番たちも驚いたようだ。


「なんだ。そんなものを持ってるなら早く言えよ」

「要件を済ませたら、とっとと帰れよ」


 唖然とするほど呆気なく門が開く。ユリは早々に封筒をしまいこみ、澄ました顔で歩き出す。慌てて彼女の後を追いかけて、手紙の存在を問いただす。


「い、いつの間にそんなの用意したの?」

「マスターがドンドたちと話している間に預かっておりました。ココオルクのギルド長は、こちらのギルド長とも交流がありますし、町の状況も把握していたので」

「そういうのがあるなら早めに言ってよ……」


 紹介状で入門が許可されるなら、僕は何のために頑張っていたんだろう。

 どかっと疲れがのしかかるなか、僕はいよいよオギトオルクへと足を踏み入れた。

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