第112話「冷淡な猟師」
アヤメが前に立つ。ユリが槍を構え、ヒマワリが背中に掛けていた猟銃を握る。緊迫が走るなか、僕だけは足が竦んで動けない。腰の剣に手を伸ばすも、引き抜くことができない。
「何者だっ!」
アヤメの誰何が森に響き、影に溶ける。返答はない。
「見つけた。前方五〇メートル、樹上よ」
ヒマワリが声を抑えて伝え、ユリ達が目を前に向ける。針葉樹の枝葉が生い茂り、陽の光もほとんど届かない。薄暗い森の中は異様な空気に包まれ、どこに何が潜んでいるかも分からない。
「マスター、発砲の許可を」
僕の隣で直立するヒマワリは、静かに許可を求めてくる。僕が頷けば彼女は躊躇なく引き金を引き、その武器を使って鉄の玉を声の主に当てるだろう。
「だめ」
だから、手を横に伸ばしてそれを止める。ヒマワリが不満げに眉を動かすのが見えた。
けれど魔獣でもない人を撃たせるわけにはいかない。彼女のおかげでどの方向にいるのかは分かった。共通語が使えるなら、対話の余地はある。
「あの、ぼ、僕らは探索者です。この森にある迷宮に潜りたくて、やってきました」
声が裏返りそうになるのを抑えながら来訪の目的を伝える。
〝銀霊の氷獄〟とその迷宮都市オギトオルクはこの森の中にある。そして、周囲に他の集落はないはずだった。となれば、声の主はオギトオルクの住民である可能性が高い。
「〝青刃の剣〟というパーティです。ココオルクから、コルトネを越えてやって来たんです」
返事はないが、アヤメ達が警戒を解いてないからきっと動いていないはず。声は届いていると思う。来訪の目的と身分を明らかにして、敵意がないことを示す。
「……ココオルクから?」
「は、はい!」
木々に響くような声が返ってくる。困惑しているようだった。
たしかにコルトネの急峻な尾根を越えてやって来る者は少ないだろう。商隊であれば警戒することもないが、僕らはたった四人で、しかも武装しているメイドさんという奇妙なメンバーがいる。
首に掛けていた探索者ギルドのタグも掲げてアピールすると、しばらく沈黙が流れ、やがて何かが飛び降りる音がした。
「――密猟者、というわけではなさそうだな」
ざふ、ざふ、と足音が近づいてくる。僕はアヤメ達に武器を下ろすように促す。
やがて、暗がりから人影が現れた。足元に荒い息をする猟犬を従え、手に大振りな弓を携えた、大柄な男の人だ。弓に矢は番えておらず、声もさっきと比べて穏やかだった。
「すまんな。猟期が近づいていて、殺気立っておった」
ガサガサと枝を押し除けて、声の姿の全貌があらわになる。それを見て、僕は思わず息を呑んだ。
服の上からでも分かる屈強な体で、低く落ち着いた声からは想像できないほど力が溢れている。何よりも、頭頂に見える丸い耳と特徴的な顔立ち。
「獣人族……。熊が出るって、そういうこと?」
「なんだ。何も知らずに来たのか?」
思わず溢れた言葉を機敏に拾い、壮年の男性が呆れた声をあげる。
彼は人間族とは違った姿の種族――尻尾や耳に獣の特徴を持つ獣人族のようだった。それも、町でよく見る犬獣人や猫獣人とは違い大柄な、熊獣人だった。
「オギトオルクは獣人の町だ。ほとんどが熊獣人だぞ」
「そうだったんですか……。ごめんなさい、詳しく知らなくて」
「いいさ。元々ココオルクの連中以外とはほとんど繋がりもない町だ」
山の向こうの辺境と言っていい土地にある町だけあって、外部との繋がりは乏しいらしい。生活は森と迷宮からの恵みで成り立っているのだろう。
熊獣人の男性は弓を肩にかけ、僕たちをまじまじと見つめる。やっぱり、アヤメ達の格好は珍しく映る。
「お主ら、迷宮に潜ると言ったか」
「は、はい!」
来訪の目的、〝銀霊の氷獄〟に入りたい旨を伝える。大抵の探索者は一箇所の迷宮を専門にするとはいえ、基本的にギルドに所属していればどの迷宮にも立ち入ることができる。町に行けば、目的はほとんど達したも同然だ。
「残念だが引き返せ。外の者は迷宮に入れん」
「ええっ!? そんな……」
毅然とした対応に思わず大きな声が出る。
〝銀霊の氷獄〟は小規模な迷宮だ。外の迷宮探索者が入って、資源を外に持ち出すわけには行かないのかもしれない。もしくは特殊な環境だから、〝黒鉄狼の回廊〟のように現地の探索者でないと活動できないのかもしれない。
「その、ちょっとした調査が目的で。資源を持ち出すわけではなくて」
「そういう話ではない。とにかく、立ち入り禁止だ」
なんとか弁明しようと言葉を尽くすも反応は変わらない。困りきった僕の代わりに前に出たのはアヤメだった。
「ひとまず町まで案内していただけませんか。迷宮の管理は都市のギルド長に一任されていると把握しています。まずは対話を行いたい」
「……ほう」
迷宮の立ち入りは近傍の迷宮都市にある探索者ギルドの支部長が管轄している。かなり形骸化している規則だけど、アヤメは細かく覚えていたらしい。彼女の堂々とした主張に、熊獣人の男性も反応を変える。
口元に浮かべた笑みは、どういう意味を含んでいるのか。
「歓迎はされんぞ。無駄足を踏むことになる」
「それはこちら次第でしょう」
硬い反応にもアヤメは堂々と返す。僕なら既に尻尾を巻いて、すごすごと帰っているところだろう。ちらりとユリ達を見てみれば、誰一人として諦めていない。彼女達がそうなのに、マスターがしょげている場合じゃない。
「お願いします。重要な用件があるんです」
改めて頭を下げる。
じっと僕を見下ろす視線を感じながら、沈黙を耐える。
「……儂に頭を下げても無駄じゃ」
けんもほろろな言葉に、心が折れかける。
「――直談判したいなら、すればいい」
「っ!」
驚いて顔をあげると、彼はこちらに背中を向けて歩き始めていた。足元の厳つい顔立ちの猟犬が、ぴったりとそれに従っている。
「案内はしてやろう。矢を向けた詫びだ」
「あ、ありがとうございます!」
つまり、町までは行ってもいいということ。
僕はほっと胸を撫で下ろし、彼の後を追いかける。アヤメ達も一緒に。
「なんとかなったね」
「……これからかもしれません」
油断しきった僕とは違い、彼女達はまだ神経を張り詰めているようだった。それでも光明は見えた。僕らは深い森の奥へと足を踏み入れる。
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