第111話「銀霊の氷獄」

 すっかり晴れた雪の斜面をゆっくりと下る。突き抜けるような青空に気分も爽快だ。ヒマワリが用意してくれた寝袋や道中に用意された山小屋のおかげでよく眠れて、数日にわたる山下りでも体力にはかなり余裕があった。


「ヤック様、足元に気を付けてください」

「大丈夫だよ、これくらい――うわぁっ!?」

「……しっかり掴まっていてください、マスター」


 調子に乗って足を滑らせ、呆れ顔のユリに抱き抱えられたりもするけれど。アヤメ達からの視線が突き刺さって恥ずかしい……。

 三人も昨日はしっかり休息は取れたのか、動きがキビキビしている。まあ、基本的にみんな疲れをほとんど見せないけれど、なんとなく付き合いが長くなって分かるようになった。


「まったく、危なっかしいわね。怪我なんてしないでよ」

「ごめんね。気を付けるよ……」


 特にヒマワリは今日も絶好調だ。僕の後ろから危なげなく下ってくる。僕よりも小柄な体で重い荷物を背負っているとは思えないような軽快さだ。

 コルトネ山の下り道も雪の中に立つポールを目印にして進む。先行するアヤメが道を確認し、ユリと一緒に下り、後ろからヒマワリがついてくる。足跡もない深い雪もアヤメが踏み締めて道を作ってくれるおかげで、僕たちはその後ろをついていくだけでいい。


「これだけ綺麗な雪だと、ソリでも使って一気に駆け降りたいね」


 生まれてこの方、雪にはあまり縁のない暮らしを送ってきたけれど、ココオルクでソリというものを見た。あのあたりも季節によっては雪が降るらしく、その時はソリ滑りで遊んだりするらしい。


「ソリはかなり速度が出ます。亀裂や障害物が雪に埋まって見えない場合もあるので危険ですよ」

「そういうものなの? ちょっと楽しそうだと思ったんだけどな」


 ユリに諌められたけれど、やっぱり少し好奇心が刺激される。いつかは思い切り滑ってみたいものだ。


「――それに、もうすぐ雪も終わりです」


 ユリが前方、斜面の下を指差す。高度を下げるほどに雪の白はまばらになり、灰色のゴツゴツとした山肌が露出する。降雪地帯ももうすぐ終端だ。雪の上では快適そうなソリも、岩肌を駆け下りるには不向きだろう。それくらいは、未経験の僕でも分かる。


「雪が無くなれば道も整備されたものを歩けるでしょう。もうしばらく、頑張ってください」


 アヤメに励まされ、僕は大人しく歩みを進める。やがてしっかりと踏み締められる土道に変わり、更に歩けば緑もまばらに生えてきた。疲労は溜まっているけれど、息苦しさもかなり緩和されている。

 一気に季節が変わったような様相に、山を登り始めた時と同じような驚きを覚えた。

 そういえば、季節はまだ夏の峠を越えたばかりだ。涼しい風が頬を撫でる。秋になれば、木々の葉も落ちて実りをつけるのだろう。年中迷宮に潜ってばかりの探索者暮らしでは、日々の季節を実感することも少ない。こうした豊かな季節の移り変わりの実感も、旅をする醍醐味なのかもしれない。

 目眩く景色の移り変わりに感動しながら歩き続けると、やがて灰色の森が現れた。雪山からも霞がかって見えていた広大な森林だ。ココオルクの商隊が踏みならした道は、木々の向こうへと続いている。


「獣が出てくるかもしれません。マスター、気を付けてください」

「うん。ユリたちもね」


 見晴らしのよかった山とは打って変わって、薄暗く視線もあまり通らない。槍を握り直すユリからできるだけ離れないようにする。迷宮の中に棲む魔獣と、外に棲む獣は違う。基本的には魔獣の方が強いと考えていい。とはいえ、事前の調べではこの森に熊が出てくるという話もあった。

 魔獣だろうが熊だろうが、僕一人では到底相手にできないことは明白だ。


「アヤメ、オギトオルクはこの先だよね?」

「はい。周辺の地形を見ても、この道で正しいと思われます」


 ということは、進まなければならない。僕らが目指すのは森の奥にある迷宮都市なのだ。


「〝銀霊の氷獄〟……第四〇三閉鎖型特殊環境実験施設は、我々の知る中でも特別な役割を持つ施設でした」


 緊張を和らげるためか、アヤメが落ち着いた声で話し始める。僕らが目指すオギトオルク近傍の迷宮は、もともとそんな名前をしていたらしい。四〇三という番号が付いているのはつまり、僕の古巣である〝老鬼の牙城〟の一つ前の施設ということだろうか。


「寒冷地での生物の環境適応を観察するため、強力な冷却機構を備えていました。そして、副次的な効果を期待して、実験環境以外の設備も増設されていました」

「実験環境以外?」


 迷宮はアヤメ達の活躍した時代――七千年前の古代文明の遺物だ。今よりもはるかに発展した技術を持ち、隆盛を誇った時代。当時の人々はさまざまな施設を作り、そこで実験を行っていた。

 閉鎖型特殊環境実験施設では通常をはるかに超える負荷を生物に与えることで、それにどう対応するのかを調べていたらしい。詳しいことは分からないけれど、今に残る迷宮のほとんどはそんな実験をしていて、その被験体の生き残りが今も跳梁跋扈する魔獣だ。

 〝銀霊の氷獄〟では寒い環境での魔獣の動きを調べていた。けれど、もう一つ重要な役割があった。


「冷凍設備を利用した、危険物の保管です。使用を誤れば甚大な被害が予想される物品を、厳重に守っていました」

「危険物……。迷宮遺物ってこと?」

「現在流通しているそれらよりも、影響ははるかに大きいでしょう。それこそ――あの山を吹き飛ばすものもあるはずです」


 アヤメは振り返り、天を衝く山嶺を見上げる。枝葉から垣間見える雄大な矛先のような岩山は、到底破壊できそうにない。けれど、彼女の言葉にはどこか確信があり、ユリもヒマワリも否定しない。

 淡々と告げられた言葉に、きゅっと肝が冷える。

 アヤメ達が早急に対処すべき迷宮として挙げた理由が理解できた。


「ただ、保管に失敗していた場合には迷宮の存在ごと消えているはずですので、逆説的に安全は維持されいてると考えても良いでしょう」


 安心できるのかよく分からないけれど、アヤメはそう続ける。もしコルトネ山を吹き飛ばすような爆弾がすでに爆発していたなら、そもそも僕らはそこに向かうことすらできない。とはいえ、爆弾が安全なのか、今にも爆発しそうなのかは分からない。


「……大丈夫、だよね?」

「おそらく」


 いつもは断言することの多いアヤメも、今回ばかりははっきりとしない。それが余計に不安を掻き立てる。まさか、小さな迷宮に世界の命運を左右するような秘密が隠されているとは思いもしなかった。

 安心するどころか、余計に緊張してしまう。


「ユリとヒマワリも、〝銀霊の氷獄〟には行ったことあるの?」

「いえ、私は戦術立案のための検証業務が主ですし、そもそも活動する前に施設が停止してしまいましたので」

「私も施設からは出たことないわね」


 二人とも話としては知っていても、実際に足を運んだことはないという。実際に訪問したことのあるアヤメだけが頼りになるけれど、施設自体も長い年月の中で大きく変化している可能性は大きい。ヒマワリのいた〝黒鉄狼の回廊〟もアヤメの記憶から構造をかなり変えていたようだし。


「〝銀霊の氷獄〟にもハウスキーパーはいるのかな?」


 これまで訪れた迷宮は、どこもハウスキーパーがいた。とはいえ、〝銀龍の聖祠〟では聖女様とユリだけ、〝黒鉄狼の回廊〟に至ってはヒマワリだけしか生き残っていない。今までも他の迷宮で彼女達のような存在が見つかったという話はほとんど聞いたことはないし、生き残りと相見えるのは絶望的かもしれない。


「これは推測ですが……」


 遠慮がちにユリが口を開く。しっかりと前置きした上で、彼女は自分の考えを話し始めた。


「〝銀霊の氷獄〟のハウスキーパーは、危険物保管のため特殊な訓練も受けているはずです。こうして迷宮が残っているのは適切な保管が続けられている可能性も高く、であれば保管要員のハウスキーパーが今も活動を続けている可能性はおおいに考えられるかと」

「私もユリと同意見です。今回の訪問は、活動中のハウスキーパーから大断絶の情報を集めることも期待しています」


 大断絶は七千年前に突如発生した災害だ。これを機に前時代の文明が崩壊し、迷宮やハウスキーパーといった残滓を残しながら滅亡した。その後に僕らが現れるまで、アヤメ達は眠り続けていた。

 大断絶の詳細は何も分からない。なにせ七千年前のことで、今よりはるかに発展した文明が滅ぶほどの事件だ。アヤメはその災害の詳細を調べることも旅の目的に設定していた。あの災害を生き延びて働き続けたハウスキーパーであれば、何か手掛かりを持っているのではないか。そんな希望も抱いている。


「つまり、何がなんでも〝銀霊の氷獄〟に行かないといけないんだね」

「そういうことです。ヤック様にはご負担をかけることになりますが」

「いいよ。僕が決めたことだから」


 アヤメと一緒に旅に出るのは僕が決めたことだ。それに、また大断絶が起きたら、僕らは成す術なく滅ぶしかない。それはどうしても避けたかった。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。

 決意を新たに森の中へ足を踏み込む、その時。


「止まれっ!」

「うひゃぁっ!?」


 突然、森の暗がりから刺々しい声が飛び込んできた。

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