第110話「北の森の町」

 山の斜面に埋まるような形で作られた小さな避難小屋があった。普段はココオルクの商隊が身を休めるために使っているものだけど、僕らも使わせてもらうことにした。

 雪山の天気というのは変わりやすい。さっきまで素晴らしい晴天が広がっていたと思ったら、今やしっかりと閉じた戸板が悲鳴をあげるほどの吹雪に変わってしまっている。小屋の中に体を押し込むようにして、僕らは休息を取る。入り口のそばにある簡易のキッチンでアヤメが火を起こし、鍋をかき混ぜていた。


「もうすぐで食事ができますので、お待ちください」

「ありがとう、アヤメ。ユリとヒマワリも休んでていいからね」


 キッチンの火のおかげもあり、意外なほど小屋の中は寒くない。半分地中に埋まった構造も隙間風が吹かなくて快適だ。光がほとんど入らないのが少し困るけど、天井に魔導灯を吊り下げる鉤がついていた。

 ぼんやりと青い光を放つランタンの下で、ユリとヒマワリはそれぞれの作業に没頭している。ユリは僕の武器の手入れをしてくれているし、ヒマワリは古くなった服を繕ってくれている。

 三人ともメイド服を着ているだけあって、そういった作業はお手のものだ。僕が何か言う前に、気が付いたら身の回りの世話をしてくれている。少し気恥ずかしくもなるけれど、彼女たちの存在意義にも繋がる行動だと言われたら何も言えなくなる。大人しく旅の進捗でも見直しておこう。


「オギトオルクまで、まだしばらくかかるかな」


 手持ち無沙汰になった僕は、荷物の中から地図を引っ張り出して床に広げる。僕らの次の目的地はココオルクから山を越えて反対側に位置するオギトオルクという町だ。


「山を下って、麓の針葉樹林の奥にある町のようです。あと三日は歩くことになるでしょう」


 シチューとパンを運んできたアヤメが現在地からの距離を概算して日数を弾き出す。峻険な山を越え、雪道を進み、斜面を下る。商隊も使う安定した道とはいえ、かなり過酷な道のりだ。

 オギトオルクはコルトネ山麓に広がる針葉樹林の中にあり、規模としては小さい部類に入る。外部との交流もほとんどなく、ココオルクの商隊が木材を買いに来るのが唯一の外部とのつながりと言っていいほどだという。


「どんな町なんだろ。エルフでもいるのかな」


 外部と隔絶した種族というと真っ先に思いつくのはエルフ族だ。森一帯に魔術を仕掛けて人を遠ざけ、隠遁の暮らしを送る。パセロオルクでギルド職員をしていたマリアなんかはハーフエルフだから、かなり珍しい存在だ。

 とはいえエルフは基本的に暖かい土地を好むと聞く。自然が豊かで緑に溢れたような場所だ。同じ森とはいえ、雪もそれなりに降るらしい針葉樹林はエルフとはあまり結びつかない。


「住民のほとんどは獣人族のようですよ」


 妖精銀の直剣を研いでいたユリが顔を上げる。

 獣人族と一口に言っても、その種類は様々だ。猫獣人や犬獣人は割合どこの町でも見かけるけれど……。


「とにかく行ってみないと分からないんでしょ。さっさと食べてさっさと寝なさい」

「うぐ。それもそうだね」


 思案に耽っていると横から毛布が押しつけられる。ヒマワリがココオルクで買った毛布を寝袋に改造してくれていた。ここのところずっと寒くて寝付けなかったから、とてもありがたい。

 アヤメの料理を食べて体を内側から温めつつ、ヒマワリの寝袋に身を包んで壁にもたれかかる。

 オギトオルクを次の目的地に決めたのはアヤメたちだ。各地のダンジョンが限界を迎え、内部から獰猛な魔獣が溢れ出す災害――魔獣侵攻を抑止するため、僕らは旅をしている。アヤメが〝黒鉄狼の回廊〟の次に目をつけたのは、意外なほど小規模な迷宮だった。

 名前を〝銀霊の氷獄〟という。雪深い地域の森の奥にあるということで、おそらく現地の探索者以外はほとんど訪れないタイプの迷宮だろう。しかしアヤメもユリもヒマワリも、そんな小規模な迷宮にも関わらず重要度と危険性がかなり高いと満場一致で断言していた。


「とりあえずこの後は山を下ることになります。登る時よりも体にかかる負荷は大きくなりますので、しっかりと休んでください」

「うん。そうするよ」


 シチューを食べ終え、食器を片付け――ようとしたらアヤメに取られたので大人しく寝る体勢に入る。

 僕もほとんど荷物持ちだったとはいえ、迷宮探索歴はそれなりに長い。それでも空気の薄い高地を歩き続けるというのは予想以上に疲れが溜まる。お腹がいっぱいになって油断すると、すぐに瞼が重くなる。

 アヤメたちもウトウトとし始めた僕を止めることはなく、結局そのまま眠りにつくことになった。



「……おやすみになりましたね」


 穏やかな寝息を立て始めたヤックを見て、アヤメが呟く。彼女の目はマスターの精細な生体反応を捉え、意識レベルが落ちたことも瞬時に見抜く。雪の中を歩く道は彼に自覚できる以上の疲労を与える。酸素も乏しく、寒さも厳しい高所は、迷宮内とはまた違った危険に満ちた環境だ。

 アヤメは壁にもたれかかって眠る主人の体を優しく抱きあげる。その気になれば岩も砕けるほどの力を宿す腕だが、高性能なマニピュレーターは繊細なコントロールによって柔らかい豆腐でも崩さず保持することができる。

 そのままヤックを毛布を敷いた上に横たえ、その胸が上下するのを見守る。


「二人とも、休息をとっていいですよ」


 同じくヤックをじっと見つめているユリとヒマワリに呼びかける。しかし反応は驚くほど鈍かった。

 ユリは槍を握りしめたまま、さも当然といった顔でヤックの側に座り込んでいる。


「護衛の任務があります。アヤメこそ、エネルギーが不足しているのでは?」

「私のエネルギー残量はまだ許容範囲内です。そもそも、バッテリーパックも十分な量がありますので、問題ありません」


 深く眠るヤックの頭上で、アヤメとユリがじっと視線を交差させる。

 妙に緊迫する空気のなかで唯一、ヒマワリがいそいそと身をかがめてヤックのすぐそばに横たわった。休んでいいと言ったはずのアヤメも、そんな彼女の行動に目を揺らして見つめる。


「ヒマワリ、何をやっているのです」

「何って休息を取ろうとしてるだけよ。それに、ここは随分寒いじゃない?」


 室温は火を焚いていることもあり極寒というほどではない。隙間風はないが、換気も問題なく行われている。寝袋があれば十分に快適な範囲だろう。しかしヒマワリはあえて判断基準を柔軟に変えて断言する。

 アヤメとユリが見ている前で、彼女はヤックに密着するようにして寝転んだ。


「寒冷地ではこうして体温を保持するのも業務の一つなの。そう言うわけだから」


 静かな衝撃が走る。


「それなら私の方が適任でしょう。あなたの小さな機体ではヤック様を包み込むことはできません」

「筋肉量の多い私の方が発熱効率は高いはずです。ここは私が」


 そもそも、ハウスキーパーもバトルソルジャーもスキンの断熱性能が非常に高いため、触れただけでは冷たく感じるはずである。だが三人はあえて胸に収まる動力炉の活動量を引き上げて、排熱を活発にさせる。


「抱き心地がいいのは第二世代のこのサイズなのよ。あんた達は黙って休んでなさい」


 ぎゅっとヤックに密着し、勝ち誇るヒマワリ。アヤメとユリの二人は、凍えるような瞳で彼女を見下ろす。しかし強引にヒマワリを排除しようとすれば、ヤックの安眠を阻害する恐れがある。無数の手段を検討し、全てに却下を出しながら、二人は頬を赤くする。

 高速で頭を回転させているアヤメ達を、ヒマワリは愉悦の笑みで見ている。


「んん……。暑……」


 その時、寝入ったはずのヤックが小さく呻く。

 火が燃え盛る炉に、発熱する機械人形が三機。狭い小屋の乏しい換気ではすぐに熱が篭ってしまう。雪山とは思えない熱気に汗を滲ませ、寝袋の中で身を捩る少年を見て、アヤメ達も冷静になる。より正確に言えば冷却機構を動かし始める。

 すぐに三人は元の体温――金属のように冷たい体に戻り、ヤックは表情を和らげた。


「三時間ごとの三交代制です」

「……仕方ないわね」

「次は私に任せてください」


 アヤメの結論に、他二人も首肯する。無為な争いで主人の安眠を害することがあってはならない。それよりも平和的な協定の下で平等に奉仕の喜びを享受する方が良いだろう。三人の見解が一致した瞬間であった。

 夜はまだ長い。吹雪は朝には晴れるだろう。

 ハウスキーパーたちは深く眠る主人を見守り続ける。

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