第106話「チームワーク」
ユリが切り開いた道を、アヤメが駆け抜ける。近衛ゴーレムが阻もうと迫るが、ユリの槍と足がそれを完膚無きまでに叩き潰した。長い距離を一瞬で詰めて、アヤメは黒鉄狼の眼前に躍り出る。
うずくまり、身を丸めていた狼は立ち上がり、彼女を見ていた。忠犬のように前脚を揃えて座っているけれど、その威圧感は遠く離れた僕も圧倒されるほどだ。
アヤメが拳を構える。呼応するように、狼が喉を立てた。
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリと空気が震える。その衝撃が、狼の放った声であるという事実に驚きを隠せない。高い天井まで打ち付けられた吠え声は、ダンジョンの隅々に響き渡った。
開戦の合図だ。黒鉄狼が目の前に現れたアヤメを敵と認めた。それまで尻尾さえ動かさなかった狼が牙を剥く。同時に、アヤメが動き出した。
「ゴアアアッ!」
狼の前脚をくぐり抜ける。アヤメの拳が肉薄する。
放たれた鉄拳は青い光を放ちながら、黒鉄狼の腹に直撃。ドゴン、と鈍い音を響かせて、その硬い鉄を凹ませた。
「やった! アヤメの鉄拳が通じてる!」
「甘いわね。あの程度、なんとも思ってないだけよ」
思わず歓声を上げる僕にヒマワリが言葉を差し込んだ。
見違えるほど美人のお姉さんに変身した彼女は、身体を地面に横たえて銃を構えていた。長大で重厚な特殊破壊兵装は銃身から脚を伸ばし、体勢を支えている。ヒマワリはそれを抱き込むようにして、胸を地面に押し付けていた。
「特殊破壊兵装“千変万化の流転銃”、固有シーケンス実行」
ヒマワリの艶めいた唇が動く。
彼女の武器が励起した。アヤメたちの特殊破壊兵装がそうであるように、持ち主の意志に応じて真の力を解き放つ。
「マギウリウス粒子吸入120%――超高濃度圧縮鍛造開始――充填率計測中――」
感情の乗らない言葉。それは彼女が極限まで集中していることの証。
彼女の抱える銃の砲身が、根本からわずかに青く染まり始めたのに気が付いた。
キィィィ、とか細い音がする。ヒマワリの体内で何かの機械が猛烈に動き続けているのだ。
「ガアアッ!」
荒々しい咆哮で意識をアヤメに引き戻される。
籠手を十字に交差させた彼女に、黒鉄狼の牙が衝突したところだった。
「く……っ!」
深く後ろに片足を下げたアヤメでもその衝撃を殺しきれない。地面を薄く削り線を刻みながら、彼女は大きく後ろへ後退した。
すかさず追撃が来る。狼の前足がアヤメの頭上へと迫り、叩き潰さんと轟音を立てて地面を陥没させた。
「アヤメ!」
「この程度でやられるほど、第一世代も鈍くないでしょ」
思わず悲鳴をあげる僕。その隣でヒマワリは冷静に呟く。彼女の抱える銃の砲身の青が広がっている。
軽くヒールを打つ音が響く。アヤメが傷ひとつない姿で立っていた。黒鉄狼の猛攻を凌いだのだ。
「まだ時間がかかる……。もうちょっと耐えてもらわないと四人とも壊滅しちゃうわよ」
ヒマワリはもどかしそうに言う。銃身が青く染まる速度は遅々としていた。紙に水を染み込ませるようにゆっくりと広がっていく。まだ半分にも達していない。
アヤメの元へ黒鉄狼が飛び掛かる。容赦のない爪を、アヤメは紙一重で掻い潜る。
糸の上を渡るような緊張感だ。ヒマワリの提示した三分という時間が永遠のように長く感じる。
左右から繰り出される斬撃を、アヤメは籠手で弾くようにして受け流す。そしてわずかな隙間を見出した瞬間、容赦なく反撃を繰り出す。
「ギャンッ」
鼻先を叩かれた黒鉄狼が悲鳴をあげて仰け反る。生まれた大きな隙に思わず僕が声をあげてしまう。アヤメもすかさず肉薄し、拳を握り込む。
その時、狼の赤い瞳がわずかに細まった気がした。
「っ!? アヤメ、ダメだ!」
咄嗟に叫ぶ。直感に頼った警告だった。自分でもなぜそう叫んだのか分からないまま、趨勢を見守る。
肉薄したアヤメに対して大きく腹を見せていたはずの狼が身を捩る。滑らかに体を動かし、鉄の尻尾で周囲を薙ぎ払う。迂闊に近づいてきた者を容赦なく掃き飛ばす一撃だった。
「せぁあああああああっ!」
アヤメがそれに絡め取られる直前。猛々しい声と共に近衛ゴーレムが飛んできた。それは勢いよく狼の顔面に衝突し、ゴツゴツとした体をめり込ませる。油断していた狼が今度こそ本気の悲鳴をあげて飛び上がる。アヤメは間一髪、尻尾の薙ぎ払いを避けた。
「……助かりました、ユリ」
「片付けるのに時間がかかりました。ここからは私も加勢します」
アヤメの隣に立つのは、堅緻穿空の疾風槍を構えたユリ。彼女は全ての近衛ゴーレムを蹴散らし、アヤメに追いついた。
黒鉄狼が苛立ちをあらわにして二人を睥睨する。敵が増えたところで、彼に恐れや怯えはないらしい。むしろより敵意を高め、牙を剥いている。
その時、狼に変化が現れた。
「グルルルルッ」
濡れた体を揺らし飛沫を散らすように狼が体を揺らす。その動きに合わせて滑らかに体毛が広がった。獣のような姿をしているが、それは鉄屑を喰って肥大化した不定形の魔獣だ。体を構成する金属を揺れ動かし、鋭利な先端を外側に向ける。
それは黒鉄狼が本気で戦いに挑む時の武装なのだろう。刺々しい金属が無秩序に逆立ち群がっている。触れるだけでズタズタになりそうな凶悪な姿だ。
そしてそれは――近接特化型のアヤメにとって一番相性の悪いものだった。
もしくは狼は彼女の戦い方を分析した上でその姿を取ったのかもしれない。どちらにしても、アヤメに眉間の距離を縮めさせるほどだ。
ずらりと牙の並んだ口が嗤う。アヤメを庇うようにユリが槍を構えて前に出る。けれど、アヤメはそれを手で制した。
「問題ありません。あの程度でこちらを圧倒できるという浅はかな考えは、徹底的に叩き潰しましょう」
「何を――」
ユリが眉を寄せる。アヤメは走り出していた。
黒鉄狼が泰然と待ち構える。そこへ飛び込むような勢いで走り、そして……。
「は、ぁぁああっ!」
彼女に追従していた万物崩壊の破城籠手が手を開く。それは主の意のままに指の一本一本までが細やかに動くのだ。これまで拳を固く握り締め、敵を殴り飛ばしてきた。けれど、それだけが能ではないことを今示す。
アヤメが手を伸ばしたのは、フロアの片隅に転がる巨大な鉄の柱だ。区画整理の過程で積み上げられたスクラップの中から、純粋な凶器となるそれを手にして勢いよく引き抜く。
散らばるスクラップの破片を見て、黒鉄狼の顔が強張った。けれど、その時にはすでにアヤメが鉄柱を振り下ろし始めていた。
「グルァアアアッ!」
雄叫びを上げる黒鉄狼。その脳天目掛けて鉄の塊が叩き付けられる。
アヤメの特殊破壊兵装では黒鉄狼の固い装甲を貫くことはできない。しかしそもそも、彼女は自分で黒鉄狼を倒そうと考えていない。彼女はただ、時間を稼ぐだけでいい。
特殊破壊兵装を純粋な膂力の強化に使い、粗野な武器を振り回す。彼女の真髄は拳闘術ではない。その滑らかに動く巨大な手を使った臨機応変な戦い方だ。
「ギャンッ」
勢いをつけて放たれた鉄の柱は、その重みも加わって凄まじい衝撃を狼に伝える。悲鳴をあげて吹き飛ぶ狼に疾風が迫る。
「“荒天の破突”ッ!」
堅緻穿空の疾風槍、固有シーケンス。膨大な魔力で絡め取った風を纏い、一気に解き放つ。その貫通力は分厚い鉄板も容易く破る。それに加えて、槍本来の長さよりもさらに先へと刺突が届く。
二人の息のあった連携で、黒鉄狼は翻弄されていた。
いける。これならヒマワリの準備が整うまで時間が稼げる。
状況の好転を知って、ヒマワリに目を向ける。
「ヒマワ――!?」
その時、僕は偶然見つけた。ヒマワリの背後、僕らの注意の外側から忍び足で迫るゴーレム。小さな短剣だけを携えた、暗殺者のような機械。
咄嗟に妖精銀の剣を引き抜く。アヤメもユリも狼から離れられない。そもそも距離が離れすぎている。ヒマワリは動くことができない。彼女を守れるのは、僕だけ。
「ガガガガガ!」
僕に気付いたゴーレムが軋音を鳴らす。剣を持つ手が震えるけれど、ヒマワリを守らなければ。
「ちょっとヤック、何かあったの!?」
「大丈夫。僕がなんとかするから!」
ヒマワリは地面にうつ伏せになったまま、こちらに目を向けることもできない。
僕は声まで震えそうになるのを押さえつけながら、短剣をこちらに向けるゴーレムを睨みつけた。
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