第99話「待ち人、来たらぬ」

「ダメよ」


 ゾッとするほど冷たい声だった。背中を氷で撫でられたような。

 青い瞳が光をなくしていた。


「ヒマワリ……」

「わたしはここで、みんなの帰りを待たないといけないの。それに今のわたしに、ゴーレムと戦えるだけの力はないわ」


 有無を言わせぬ気迫がある。何を言っても拒絶する、そんな予感があった。

 仲良くなったと思っていても、彼女は頑なだ。どれだけ相談に乗ってくれても、ここから動くことだけはない。彼女の決意は堅かった。


「――いいかげん、諦めるべきでは」

「っ!?」

「ちょ、ユリ!?」


 唐突に口を開いたのはユリだった。その言葉にヒマワリが表情を険しくして、僕も慌てる。彼女だって事情は知らないはずがない。それなのに、ユリはいつもと違って非情な声で冷たい言葉を浴びせていた。

 驚いたのはヒマワリも同じだった。彼女もここ最近はアヤメやユリと親睦を深めてきた。平時のユリは少し抜けたところはあるものの、こんな突き放すようなことを言うような性格ではないはずだった。


「な、何を――」


 衝撃が大きいのか言葉に詰まるヒマワリを、ユリは冷徹な目で見つめる。


「第二世代であるあなたが状況を理解していないとは思えません。ただ、考えないようにしているだけでしょう」

「黙りなさい」


 淡々とした口調。しかし、ヒマワリの制止を聞かず、ユリは言葉を続ける。


「あなたの仲間が消息不明となって、何千年経過したのか分かりませんが、もはや誤差の範囲でしょう。“工廠”のハウスキーパーはほぼ全滅しています。残ったのはあなた一人だけです」

「やめろって言ってるでしょ!」


 悲鳴に近い叫びだった。ヒマワリは膝から崩れ落ち、金髪を掻きむしる。青い瞳から雫が溢れる。


「……そんなこと、言われなくても――ッ!」


 彼女は理解していた。理解した上で考えないように、目を背け続けていた。

 いつか仲間が帰ってくると信じることしかできなかった。もはや望みはないと分かっていても、それを納得するわけにはいかなかった。現実を受け入れてしまったら、何もなくなってしまうから。


「分かってるのよ……」


 絞り出すような悲壮な声。

 ユリは怒っているのだ。ヒマワリに。彼女もそれを分かっているからこそ、逃げ出さない。ただ、その事実を受け入れるにはあまりにも大きすぎた。七千年という歳月は重すぎた。

 第二世代に限らず、機装兵はダンジョン内でマギウリウス粒子を補給できれば動き続けることができる。それはユリの師匠でもある聖女様によって証明された。しかし彼女でさえ、自動修復装置が破損するほどの傷は受けていた。戦闘に特化したバトルソルジャーでさえそうなのだ。ハウスキーパーがどうなるか、分からないはずがない。

 それでもヒマワリは待ち続けることしかできなかった。迎えに行くには、彼女は小さすぎたし、力もなかった。ダンジョンは際限なく広がり、ゴーレムは次々と生み出される。忘れられた隙間で待ち続けることしか、彼女に術はなかった。


「だったら、どうすれば良かったの」


 ヒマワリが痛々しい声で問う。

 何もできない自分は何をすればいいのか。一生答えの出ない問いだろう。七千年かけても結論は出なかった。

 しかし、ユリは簡単なことだと答える。


「マスターと契約すればいい。自分にできないことは、他人を頼ればいい」

「……え」


 七千年答えの出なかった問いに、答えが出た。

 ヒマワリの青い瞳が僕を見た。僕は頷く。


「頼りないかもしれないけれど、僕はマスターになれる。僕じゃなくて、アヤメやユリが助けてくれるよ。だから、僕じゃなくて僕たちを信頼してほしい」


 ヒマワリの手を取る。彼女の手は小さく、冷たかった。


「僕たちも、僕たちにできないことをやろうとしてるんだ。だからヒマワリを頼らせてほしい。代わりにヒマワリはヒマワリにできないことを僕たちに頼ってくれればいい」


 交換条件だ。お互いを補い、助け合う。

 アヤメだって、元々は八人一組の部隊で行動していたんだ。なんでも一人でできるように見える彼女でも、一人ではできないことがある。第二世代だってそれは変わらないだろう。

 だから僕はもう一度頼みかける。


「ヒマワリ。――僕と契約して、ハウスキーパーになってよ」


 ハウスキーパーはマスターを必要としている。そして僕もまた彼女を必要としている。

 お互いの利害は一致しているはず。あとは彼女が踏み出すのを待つだけ。

 ゆるく波打つ金髪に飾られた小さな顔に困惑と恐怖と不安が入り混じっている。これまでの行動を否定するのは、人間でなくても恐ろしいし勇気のいることだろう。だから僕は彼女の手を取る。


「決めるのはあなたです」


 ユリが言う。

 突き放すようなその言葉が、彼女の背中を押した。


「――分かった」


 青い瞳に決意の光が宿っていた。僕の手を握り返し、ヒマワリは強くはっきりと宣言した。


「わたしがあんたのハウスキーパーになってやるわ!」


 契約が定まる。

 僕が青刃の短剣を取り出すと、ヒマワリがそれに手を重ねた。


「マギウリウス粒子放射パターン認証を実行。対象を仮マスターとして承認。続いて、正式マスター契約段階へと移行」


 はっきりとしたヒマワリの声が、迷宮に響く。

 マスターを失った少女の前に立つのは僕だ。頼りないけれど、彼女を受け入れる。


「な、何をぼけっとしてるのよ! ほら!」

「うん。――分かってる」


 僕とヒマワリ。お互いの背丈は同じくらい。目線も同じ高さだ。薄く瞼を閉じた彼女の顔が近づいてくる。僕もそれを受け入れる。視界が包まれ、すぐに柔らかな感触が口元に触れる。

 情報が取られて、飲み込まれる。

 ヒマワリの中に、僕という存在が刻みつけられる。


「登録完了。認証完了。――ヤックをマスターとして登録しました」


 目を開くとヒマワリが不機嫌そうな顔をしている。怒らせたかと思ったけれど、彼女は頬を赤く染めていた。何か考えているのかもしれない。


「第二世代ハウスキーパー、HK-02FF03S66。あなたの下に絶対の忠誠を誓います」


 跪き、ヒマワリが朗々と宣言した。僕もそれに応える。


「よろしくね、ヒマワリ」


 背後ではユリが静かに見守ってくれている。アヤメは深い眠りに落ちたままだ。

 かくして僕はひまわりと正式なマスター契約を締結した。三人目のハウスキーパー。いよいよマスターとしての資質が問われているような気がして怖気付きそうになった。でも、彼女たちはみんな僕を信頼してくれているんだ。

 胸を張ってヒマワリと握手を交わす。

 探索者パーティ“青刃の剣”に新たなメンバーが加わった。

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