第98話「応急処置」

「アヤメ、アヤメ! しっかりして。大丈夫だから」

「ヤック様……」


 重傷を負ったアヤメを背負って迷宮を走る。ユリだけが頼りだ。彼女がゴーレムを払ってくれている隙に、狭い通路を逆走する。

 アヤメは血こそ流していないものの、ぐったりとして動かない。背中がえぐれるほどの傷を受けて、今もポロポロと細かな部品が溢れていた。


「私は、大丈夫です。ヤック様は――」

「アヤメを置いて逃げるわけがないだろ!」


 彼女が何を言おうとしているのか分からないほど僕も馬鹿じゃない。彼女を掴む腕に力を込めて、絶対に離さない。

 彼女は大丈夫だとうわ言のように繰り返す。けれど、そんなはずがない。ハウスキーパーはマスターが近くにいないと本来の力を発揮できない。そのことを僕はよく知っていた。


「僕のせいだ。もっと作戦を練って……準備も足りてなかった……」


 後悔ばかりが頭の中を渦巻いていた。ユリがゴーレムを叩き飛ばすのを見ながら、足を動かすことだけに集中する。

 いくらアヤメでもこの傷は重傷だ。ハウスキーパーがどれほど強くても、これで無事なはずがない。実際、彼女は自分を置いていくように言いながらも、体は動かせていない。

 置き去りにすれば、ゴーレムによって“排除”されてしまうのは目に見えていた。


「はぁ、はぁ……っ!」


 荷物持ちとして鍛錬は怠らなかった。人の重さと同じくらいの重量を背負っていたのは、いざとなれば人を背負って動けるようにという意識もあったからだ。

 アヤメの体は、その体格に似合わずずっしりと重たい。全身が金属でできているのだから、当たり前だ。それでも、僕なら運べる。

 喉が裂けそうなほど乾いていた。足の感触が薄くなっていた。それでも走り続ける。飛び出してきたゴーレムを蹴飛ばして走る。


「マスター!」


 第三階層。空中で途切れたベルトコンベアの向こう側でユリが叫ぶ。

 僕は無我夢中だった。逡巡することなく勢いのまま跳躍する。

 たった一メトの距離だ。飛べないはずがない。


「ユリ、ヒマワリのところへ」

「了解しました」


 アヤメはハウスキーパーだ。迷宮の外に出ても傷は癒えない。それならいっそ、ヒマワリのいる安全地帯に駆け込んで手当てをした方が可能性は高いはずだった。

 僕とユリは一心不乱に迷宮を駆け抜け、その場所を目指す。広大な迷宮の片隅、ゴーレムたちにさえ忘れられた狭間。瓦礫を積み上げて入り口が隠されたその場所に、勢いよく飛び込む。


「ヒマワリ!」

「きゃぁっ!?」


 騒々しく駆け込んできた僕らにヒマワリは驚いて飛び上がる。そのまま文句を言おうとした彼女も、僕が背負うアヤメを見て目を丸くする。


「ちょっと、あんたそれ――」

「アヤメが危ないんだ。助けてくれないか」

「助けてって言われても……」


 安全地帯に辿り着き、とっくに限界を迎えて気合いで持ち堪えていた体が動かなくなる。崩れるように倒れ込んだ僕から、ヒマワリは慌てて背中のアヤメを引きずり下ろした。


「とりあえず自己修復機能は生きてるわ。でも、マギウリウス粒子の吸入機構が壊れてる」

「つ、つまり……?」

「今は息ができないような状況ってこと」


 改めて確認するほどアヤメは重傷だった。背中が抉れ、内側が露出している。呼吸も荒く、確かに息ができていないようだった。

 ハウスキーパーは自己修復機能がある。マギウリウス粒子――魔力の満ちた空間にいれば、しばらく休むだけで傷も癒えると言っていた。けれど今のアヤメは、その自己修復に使うマギウリウス粒子が取り込めていない。


「どうすれば……」

「マギウリウス粒子を外部から吸入させる。――仕方ないわね」


 ヒマワリは躊躇しなかった。彼女は突然、大きく息を吸い込むと、震えているアヤメの口に顔を近づける。二人の唇が密着し、ヒマワリが吸い込んだ空気が、アヤメの方へと注ぎ込まれる。

 呼吸の止まった人間に息を送り込むのは、実際に行われる処置だ。それと同じようなことを、ヒマワリがアヤメにやっている。自分が取り込んだマギウリウス粒子を、直接アヤメに送り込んでいるのだ。

 長い時間をかけて、ヒマワリはアヤメに息を注ぎ続ける。自分の中のものが枯渇したら、すぐにまた胸いっぱいに吸い込んで繰り返す。ユリはその様子を油断なく見つめていた。


「ふぅぅ……」


 呼吸の音だけが静かな部屋に響く。

 何度も何度も、ヒマワリは同じことを繰り返す。

 僕はそれを見ていることしかできない。マギウリウス粒子を取り込めない僕は、アヤメを助けることができない。彼女には何度も助けられたのに。その無力感が何よりも悔しかった。


「ふぅぅ……んがっ!?」


 三十分以上経った時、突然ヒマワリが悲鳴を上げる。見れば、彼女は額を抑えてアヤメの方を睨んでいた。


「あんた、人がせっかく――」

「ありがとうございます。ですが、もう大丈夫です」


 睨みつけるヒマワリに、アヤメが感謝の言葉を伝える。

 ゆっくりと起き上がる彼女に僕は慌てて近づいて背中を支えた。


「アヤメ! もう平気なの?」


 困惑する僕に彼女は頷く。


「変換器の修復がおおよそ完了しました。あとは自力吸入で修復ができます」


 言っていることはあまり分からなかったけれど、とりあえず一命を取り留めたということだろう。ユリもほっと胸を撫で下ろしている。


「良かった……。ごめん、アヤメ。僕がもっと――」

「ヤック様に責任はありません。私の実力不足です」


 でも、と反論するも、彼女も譲らない。

 そもそもこんなところで押し問答を続けている暇もない。アヤメの背中の傷は相変わらずで、そちらの修復はこれからだ。


「ごめん、アヤメ。今はゆっくり休んで」

「ありがとうございます」


 重傷なのには変わらない。アヤメも休息を優先させるためか、目を閉じて意識を落とした。彼女が穏やかな呼吸を繰り返すのを見て、僕はヒマワリの方へと向き直った。


「ありがとう、ヒマワリ。君のおかげで助かったよ」

「ふんっ。感謝してるなら良いわよ」


 相変わらず素っ気ない態度だけれど、彼女は命の恩人だ。感謝してもし足りない。


「本当にありがとう」

「ええい、うざったいわね! ――わたしだって、もう仲間が死ぬところなんて見たくないのよ」


 頭を下げ続ける僕に対して、ヒマワリはそう言った。その乾いた言葉に僕もはっとする。

 彼女はずっと、何千年もここにいた。様子を見てくると言って出ていった仲間達を待ち続け、いつ帰ってきてもいいようにと信号を出し続けていた。――それでもやっぱり、どこかで考えていたのだ。


「ヒマワリ」

「何よ。別にアヤメが回復するまで居てもいいわよ」

「そうじゃなくて。その――」


 言葉を選ぶと、上手く話せない。彼女にどう伝えるべきか悩んでしまう。

 それでも言わなければならないと思った。

 彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめて、思いを決めて口を開く。


「僕と契約して、ハウスキーパーになってほしい。――僕と一緒に、この迷宮の奥まで行ってほしいんだ」


 青い瞳が大きく開かれ、揺れる。

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