第97話「敗北」

 第七階層の最奥にあったのは頑丈な鉄の扉だった。壊れた機械が山のように積み上がった廃棄場の奥に何があるのか。僕たちは気を引き締める。

 道程は順調とは言い難くも、なんとかここまで来ることができた。それはアヤメやユリの実力もさることながら、ココオルクのギルドで手に入れた資料の力も大きいし、何より相談役として親身になってくれたヒマワリのおかげだ。僕らは彼女の知識を基に作戦を練り、敵を分析し、倒してきた。

 けれどここから先は全くの未知になる。ギルドの記録においても、第七階層最奥の鉄扉を開けることができた探索者は皆無。ここが実質的な最終地点と言われる所以が、この分厚い壁だった。


「特殊破壊兵装“万物崩壊の破城籠手”、完全展開」


 その眼前にアヤメが立つ。

 彼女は両手に大きな金属の籠手を纏っている。従者のように付き従い、滑らかに空中を浮遊する巨大籠手。それがいま、青い光の輝きを強くしている。カカカ、と金属が鳴り、籠手の機構が動く。潤沢なマギウリウス粒子を吸い込み、吐き出し、青い尾を伸ばす。

 ユリは油断なく周囲を見渡している。アヤメに邪魔が入らないように、襲いかかる魔獣を全て討ち倒すために。けれどその心配も杞憂に終わるだろう。絶大な魔力が――本来無色透明であるはずの力の粒子が可視化されるほど濃密になった魔力がアヤメを包み込んでいる。それは破壊的な力の証として周囲に示威する。

 スクラップの山がうずたかく積み上がり、薄暗い第七階層。その周囲から魔獣たちが逃げ出している。


「固有シーケンス実行」


 アヤメが言葉を紡ぐ。

 特殊破壊兵装“万物崩壊の破城籠手”は、超近接特化型で破壊力を突き詰めたシンプルな設計思想をしているという。第一世代のアヤメが使うことを想定しているものである以上、第二世代ハウスキーパーのような高度な演算による支援は得られない。だからこそ、質実剛健を求め、無駄を削ぎ落とした。

 だからこそ――。


「“破壊の号鐘”」


 その威力は絶大だった。

 青い光を纏った鉄拳が、分厚い鉄壁に衝突する。轟音が響き渡る。それだけに留まらず、剛風が周囲の鉄屑を薙ぎ払った。


「マスター、こちらへ」

「うぎゅっ!?」


 ユリが僕の肩を掴み、自分の方へと引き寄せる。彼女の腹に鼻先を押し付けるような形で、衝撃波と飛んでくる瓦礫から隠れる。一瞬、盾となるユリの背中が心配になったけれど、彼女は平然とした顔だ。

 衝撃が収まり、僕は恐る恐るユリの体から顔を覗かせる。爆心地となった扉の前にアヤメが立っている。メイド服の白いフリルが、衝撃の余波を受けて少し汚れていた。


「道が開きました、ヤック様」


 彼女は振り返って、何でもないような顔で言う。

 アヤメの背後に、大きく曲がった分厚い鉄の扉があった。これまで何千年もの間、ただの一度も開くことのなかった扉が捩れ、歪み、隙間が開くのを許していた。その奥に見えるのは、前人未到の虚空。ココオルクの探索者たちでさえ知らない第七階層の深奥だった。

 その底知れない闇の中から、僕は心臓を締め付けるような強い力を感じ取った。理由は分からない。強いて言うなら、これまでの探索者としての経験だろうか。この扉の先に凄まじいものが潜んでいる。


「グルルルウ……」


 けたたましく鳴る警鐘は正しい。扉の奥、闇の向こうから低く唸る獣の声がした。

 アヤメとユリが武器を構える。それは扉の外へ出てくるつもりはないようだった。僕らが入ってくるのを待っているとも言える。

 僕らは視線を交差させる。行くべきか、退くべきか。扉が開いたからといって、喜び勇んで飛び込む必要はない。普通に考えれば一度戻り、体勢を立て直すのが定石だ。

 でも、本当にそれでいいのか。僕らには時間がない。まだ特殊破壊兵装の修復もできていないし、ヒマワリの仲間も見つけられていない。何より、壊れてしまったこの迷宮の制御システムを直すには、ここを乗り越えなければならない。


「行こう」


 僕が言う。マスターが決断しなければならない。


「かしこまりました」

「行きましょう、マスター」


 逡巡なく二人は頷く。

 アヤメが拳を握ったまま、扉の隙間に足を入れる。隙間といっても、彼女が籠手を展開した上で悠々と入れる程度には大きな穴だ。僕とユリもその後を追いかける。

 中に入ると熱気が肌を撫でた。

 部屋の主は余裕があるのか、すぐには襲ってこない。それに乗じて、僕はすぐに荷物の中から刻印魔石を取り出して投げた。床を転がる石が魔力を放ち、光を周囲に広げる。数個バラバラに転がしたら、広い部屋の全容も明らかになる。


「ここは……」

「廃棄されたゴーレムを破砕、溶解し、金属素材へと戻す施設のようですね」


 周囲を見渡し、アヤメが冷静に分析する。

 その説明で、僕もなぜ第七階層にあれほどのスクラップが積み上がっていたのか理解した。次々と破損したゴーレムが送り込まれてくるのに対して、それを処理する機構が扉で封じられていた。だから、あそこに沈殿していたんだろう。


「ということは、フロアボスは……」

「グルルルッ」


 ユリが言い終わる前に目の前の闇が突然裂けた。凄まじい熱気と鮮やかな炎が吹き上がり、その奥から赤熱した金属の巨獣が飛び込んでくる。巨大な溶鉱炉の蓋を押し上げて現れたのは、僕らよりもはるかに大きな四足獣に似たゴーレムだ。


「お気をつけください。あの口に捕捉されると危険です」

「見ればわかるよ、それくらい!」


 全身、スクラップを押し固めて四本の足を生やしたような歪な外見。何よりも目を引くのはその口だ。無数の歯が幾重にも並び、グルグルと回転している。あれに捕まれば上下左右からがっちりと挟み込まれて、そのまま粉々に砕かれてしまうだろう。

 アヤメの分かりきった警告を聞きながら、僕は急いで後ろに下がる。


「グルァアアアッ!」


 破砕機の口を大きく開いた機械獣が、轟音を響かせながら飛びかかってきたのだ。四肢の先端に並ぶ鋭利な爪も、鉄板程度容易く引き裂いてしまうだろう。そもそも、あの巨体に押し潰されたら熟れたトマトのように原型すら残らない。

 僕はおとなしく後ろに下がって、二人の邪魔にならないように息を潜めるほかになかった。


「敵性存在確認。排除します」

「はぁああっ!」


 アヤメとユリが同時に駆け出す。巨獣の背後では唸り声を上げながら溶鉱炉の蓋が開閉している。あそこに落ちても一巻の終わりで間違いない。

 それでも、二人は臆することなくそれぞれの武器を突きつけた。


ガキンッ

「っ!」

「くぅ……っ!」


 だが、それは巨獣の躯体を構成する鉄に阻まれる。空気に冷やされ黒々とした鋼鉄の体は、アヤメの鉄拳もユリの槍も通さない。あまりにも手応えがなさすぎたのか、二人の眉がわずかに揺れる。

 これまでのゴーレムとは一味違う。


「ガァアアッ!」


 応酬が始まる。巨獣が軋み、細かな金属片を剥落させながら前足で薙ぎ払う。アヤメとユリは危なげなくそれを回避するが、間髪入れず追撃が繰り出された。


「くっ、閃光魔石投げるよ!」


 僕は少しでも支援するため、用意していた魔石を投げる。刻印の通りに魔力が流れ、閃光が広い部屋に広がる。


「だめだ、まるで効いてない!」

「グルゥゥアアッ!」


 しかし、巨獣の動きは僅かにも鈍らない。爛々と赤く輝く双眸は揺るがず、見開かれたままだ。粘着玉を取り出そうとして思い直す。あの巨体に投げたところで、意味はなさそうだった。

 どうすれば……。思考が絡まる。


「はぁあああっ!」


 目の前で激しい衝突音がする。アヤメの鉄拳を巨獣は眉間で受け止めていた。真正面から拳を撃ち込まれてなお、平然として牙を回転させている。


「――固有シーケンス実行。“荒天の破突”ッ!」


 その時、アヤメを囮に巨獣の腹へ潜り込んだユリが鋭く槍を突き込んだ。

 膨大な魔力を纏った強烈な刺突。強化魔獣の鱗さえ穿つ最強の槍の一撃。それが巨獣の脇腹を容易く貫通する。――はずだった。


「なっ!?」


 カンッ、と強い音。ユリさえも貫通を確信していた一突きが、鋼鉄に阻まれた。

 動揺するユリに赤い目が向く。まずい、と思った。


「ユリ!」


 咄嗟に叫ぶ。足は動かなかった。

 巨獣の鋭い爪が彼女に迫る。


「――撤退を!」

「なっ!?」


 その時、目を見開くユリの体が横から突き飛ばされた。アヤメだ。咄嗟に彼女は身を翻し、巨獣の前足をくぐり抜けてユリの元へと駆けつけた。そして、彼女の体を乱暴に突き飛ばした。

 ゆっくりと倒れるユリの目の前、アヤメの背中を鉄の爪が捉える。


「アヤメェエエエッ!」


 思考が真っ白になる。

 メイド服が破れ、白い肌も裂ける。金属の細かなパーツが溢れ、周囲に散乱する。アヤメの背中に深い溝が刻まれる。彼女は苦悶も悲鳴もあげない。ただ、ユリを見て、僕をチラリと見た。


「撤退を、ユリ。マスターを守ってください」


 どこまでも冷静なアヤメの言葉。ユリは弾かれたように立ち上がり、こちらへ駆けてくる。彼女が何を考えているのか、何をしようとしているのか、分かってしまう。

 だから、僕は彼女に捕まる前にその手を握る。


「アヤメも、一緒に!」

「っ、ヤック様――」

「いいから!」


 何か言いたげなアヤメを封殺し、僕は彼女の体を引きずる。リュックサックは投げ捨て、彼女だけを背負う。巨獣がこちらにのしかかってくる。


「ユリ!」

「お任せください!」


 槍が巨獣の鼻先を掠めた。その注意が一瞬、ユリの方へ向かう。その隙に僕はアヤメを担ぎ直し、入り口に向かって走った。ユリも十分に距離を稼いだところで身を転じ、こちらへ駆けてくる。

 しつこく追いかけてくる巨獣の足元で、バチバチと小さな火が爆ぜた。ばら撒いた刻印魔石だ。


「グルァウ……!」


 巨獣が怯んだその隙に、僕らは扉の隙間から飛び出す。

 人ひとりが通るには大きな隙間だけど、巨獣がくぐるには小さすぎる。ゴンゴン、と力強く頭を叩きつける音が響くなか、僕とユリは脇目もふらずに走り続けた。

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