第95話「小さな体」

 翌朝。泥のように眠っていた僕はゆっくりと目を覚ます。どれだけ深く寝入っていても朝が来ると目が覚めるのは、僕の数少ない特技かもしれない。

 ベッドから抜け出すと、すでにアヤメとユリは起きていた。というか、二人とも元々睡眠時間が僕よりもはるかに短くて済む。羨ましいかぎりだ。


「おはよう、二人とも。準備ができたら、早速行こうか」


 簡単に朝食を済ませ、支度を整えて外に出る。ギルドで迷宮探索の計画書を提出して、“黒鉄狼の回廊”に向かう。昨日も通った道を辿って向かった先は、第二階層の奥にある小さな隙間。忘れ去られたような区画の狭間だ。

 ヒマワリはそこで、昨日と同じ姿勢のまま蹲っていた。


「おはよう、ヒマワリ」

「……本当に来たのね」

「もちろん」


 どこか呆れたようなヒマワリの声。アヤメがぴくりと動いた。彼女が起こり出す前に、さっそく本題を切り出すことにした。


「それで、どうかな。僕らと一緒に戦ってくれないかな」

「……ごめんなさい」


 返ってきたのはそんな言葉だった。

 予想はしていたから、さほど驚きはなかった。むしろ後ろでアヤメが動き出したことのほうに焦りを覚えて、慌てて手を挙げる。


「アヤメ、大丈夫。――ヒマワリ、理由を聞かせてもらっても?」


 できるだけ刺激しないように、穏便な雰囲気で話しかける。ヒマワリはボロ布に身を包んだままぎゅっと眉を寄せて俯いた。


「わたしは、仲間を見捨てられない。それにわたしは――これが使えないから」


 彼女は手のひらを開く。そこにあったのは特殊破壊兵装“千変万化の流転銃”――その待機状態である銀色の徽章だ。

 意外な言葉に思わず目を張る。

 この特殊破壊兵装は“工廠”のハウスキーパー、つまり第二世代であるヒマワリが使うことを想定して作られたものだったはずだ。アヤメはこれを使えないけど、ヒマワリなら問題なく扱えるものだと思っていた。

 僕の胸中を見透かしたように、ヒマワリは事情を話す。その表情はどこか諦め切ったような悲しげなものだった。


「わたしは第二世代ハウスキーパーだけど、完全体ではないの。わたしだって、本当の姿はアイツみたいなお姉さんなんだから」


 きっと睨みつけるのはアヤメの方向。僕と同じくらいの背丈しかないヒマワリは、第一世代であるアヤメに何やら対抗意識を持っているらしい。


「ええと、それで?」

「だから、今のわたしには力がないのよ。こんなちんちくりんな体じゃ、何にもできないわ」

「ち、ちんちくりん……」


 僕と同じくらいの背丈を示して、ヒマワリははっきりと言い切った。別に僕に向かって言ったわけじゃないだろうけど、少し胸が痛む。


「マスターはちんちくりんではありませんよ。体も頑強ですし、体力もあります。現生人類種としてははるかに屈強と言っていいでしょう」

「そ、そう。ありがとう、ユリ」


 何故だろう。ユリの言葉がつらい。


「とにかく今のわたしはコレを満足に使えない。ただの役立たずなの。だからここのいるしかできることはないの」


 ヒマワリは頑なだった。根を張ったようにそこから動く様子がない。

 多分、彼女が完全体ではないという話は本当なのだろう。


「君が動けるようになるには、僕は何をすればいいのかな」

「何をって……。何もできないわよ」

「……そうなのかな」


 ふんと鼻を鳴らすヒマワリをじっと見つめる。彼女の意思は固いようだった。一晩考えて、余計にそう思ってしまったのかもしれない。

 残念だけど、諦めるしかないか。

 そう思って一歩下がったその時、アヤメが近づいて来た。


「アヤメ?」

「――これを」


 僕の横を通り過ぎて、彼女はヒマワリの前に立つ。ずっと睨みを利かせていた彼女が間近までやって来て、ヒマワリは少し動揺していた。けれど、アヤメが懐から取り出したものを見てはっと目を見開く。


「これって……メイド服?」


 僕も驚いて思わず口にする。

 アヤメが手にしていたのはメイド服だった。白と黒の布地で丁寧に仕立てられた一式だ。でもそれは、ヒマワリの体格を考えるとあまりにも大きい。アヤメやユリがちょうど着られる大きさだろう。


「昨日、ヤック様がお休みの間に作りました」

「そんなことをしてたの」


 アヤメは僕が寝ている間に、一晩でこんな立派なメイド服を作っていたのか。確かに荷物の中にはメイド服を修復するための布地なんかも詰まっていたけれど。

 ユリはこのことを知っていたようで、驚く様子もない。


「でもこれ、ヒマワリには大きすぎるよ」

「いいえ、ぴったりですよ」


 アヤメはメイド服をヒマワリに押し付ける。有無を言わせぬ気迫に押し負けるようにして、ヒマワリもそれを受け取った。


「着替えてください」

「でも……」

「着替えてください。たとえあなたのマスターではなくとも、ヤック様は私たちのマスターです。そのような格好は非礼と自覚してください」

「……」


 冷たい言葉にヒマワリは押し黙り、いそいそと着替え始める。僕は慌てて後ろを向いて、着替え終わるのを待つ。


「――着替えたわよ」


 不機嫌そうなヒマワリの声。

 恐る恐る振り返ると、ボロ切れを脱いでメイド服を纏った少女が落ち着かない様子で立っていた。

 それを見て、アヤメの言葉の意味が分かる。それはボタンやベルトでサイズが調整できるようになっていて、小柄なヒマワリの体にぴったり寄り添うように裾を上げられていた。


「すごい。似合ってるよ、ヒマワリ!」

「ふんっ。は、ハウスキーパーなんだから、当たり前でしょ!」


 すごいのはアヤメだ。実際にサイズを測ったわけでもないだろうに、目測だけでここまでピッタリな服を用意するなんて。

 それにヒマワリも強気な言葉を放ちながらも満更でもなさそうだ。やっぱりハウスキーパーはメイド服が正装なのだろう。


「で、でも、こんなもの貰ったからって、マスター契約は結ばないわよ!」


 ひとしきり自分の装いを確かめた後、ヒマワリは思い出したように目を鋭くさせる。もう少しでそのまま押し切れそうな気もしたけれど、流石にそこまで甘くはない。流石は第二世代と言ったところだろうか。


「それはあなたの覚悟を問うものです。自分に必要ないと思うなら、脱ぎ捨てても構いません」

「それ、どういうことよ」

「そのままの意味です。理解できるまで考えればいいでしょう」


 突き放すようなアヤメの言葉。けれど、そこには優しさを感じた。

 一方のヒマワリは眉間を寄せて不満げだ。


「あなたがここに留まるというのなら、確かに我々にそれを辞めさせることはできません。――我々だけでこの施設を破壊します」

「っ! ……好きにすればいいわ」


 二人は対立する。アヤメは言いたいことは全て言ったというふうに、くるりと背を向けた。ユリも何も言わずにそれに従う。


「……ごめんね、ヒマワリ」

「なんであんたが謝るのよ」

「君に無理強いさせようとした。僕は君のマスターじゃないし、君のことは何も分からないままだ」


 彼女は唇を噛んでいるようだった。彼女の華奢な肩を軽く叩き、別れの合図とする。

 僕はアヤメたちの待つ方へと歩き出す。

 ヒマワリの協力が得られない以上、僕らは僕らだけでこの“黒鉄狼の回廊”を攻略しなければならない。時間が惜しかった。

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