第89話「黒色の不定形」

 アヤメとユリの二人は互いに死角を補いながら、次々と迫り来る検査を撃破していく。アヤメは先に向かうほど検査は簡単になっていくとは言っていたものの、僕にとっては少し首を傾げたくなるような難関ばかりだ。


「アヤメ、早く!」

「ありがとうございます、マスター」

「いいから!」


 ゆっくりと降りてくる天井を支えていたアヤメを急いで呼ぶ。急場凌ぎで支えにしたダンジョンの廃材がギリギリと悲鳴をあげていた。こんなもの、どんなゴーレムでも押しつぶされそうなものだけど、本当にこれが検査なのだろうか。


「ふぅ、なんとか潜り抜け……あれ?」


 隔壁を超えて一息ついた僕は、そこで妙なものを発見する。


「ユリ、それって……」

「穴ですね。品質検査ラインの外につながっているようです」

「ええ……」


 小部屋のつるりとした壁に開かれた亀裂。強い衝撃が加わったのか、風化したのか、とにかく分厚い壁を貫いて向こう側が見えている。その側に立っていたユリは慎重に内部を覗き込み、ひとまず見える範囲に脅威がないことを確認して頷いた。

 とはいえ、重要なのはそこじゃない。ゴーレムからすれば、僕たちの信仰方向の逆が順路になっているわけで、ということはこの部屋の先にあるいくつもの試練を潜り抜けないといけないはず――なのに何故か壁に穴が空いている。


「もしかして、この穴からダンジョンの他のエリアに行けたりする?」

「狭く入り組んでいますが、おそらく管理用通路のようです。となれば、ダンジョン全域に広がっている可能性は大いに考えられます」

「ええ……」


 アヤメの冷静な分析が余計に鋭く突き刺さった。つまり、第二階層にいたゴーレムたちはわざわざ試練を受けて選別されるでもなく、裏道を通って来ていたのだろう。


「第二階層に繋がる通路は障害物もあり我々のサイズでは通れないようです。ただ、第二階層に現れる小型のゴーレムであれば、問題なく通れるでしょうね」


 第二階層に小型のゴーレムしか徘徊していない理由も分かった。ある意味では強さが制限される理由でもあるけれど。結局のところ、真面目に品質検査ラインを通過しなければならないのは僕たち探索者だけだったというオチだ。


「それじゃあ、ここから先に進めば」

「この先の検査は回避できるでしょう。それに、管理エリアならば武器庫にもアクセスしやすいはずです」

「そっか、なら行かない選択肢はないね」


 僕らの目的は特殊破壊兵装を探すこと。それを持ち帰り、ヒマワリに渡さなければならない。少し休んで水を飲み、気を取り直して立ち上がる。


「狭い通路で何が出現するかも分かりません。お気を付けて」

「うん。アヤメとユリもね」


 品質検査ラインから横道に外れて、狭く薄暗い通路を歩く。僕の手にあるランタンと、等間隔で天井に埋め込まれた小さな照明だけが頼りだ。人が二人並べばギリギリといった程度の狭い道で、アヤメは籠手を格納することを余儀なくされた。今はいつもの雷撃警棒を携えている。


「アヤメの武器は取り回しが悪いのが玉に瑕だね」

「“万物崩壊の破城籠手”は比較的シンプルな設計思想に基づいて開発された特殊破壊兵装ですので。元々、このような閉所での使用は想定されていないのです」


 大きな鋼鉄の拳である“万物崩壊の破城籠手”は、その見た目の通り質実剛健をひたむきに追求した武器だ。豪快に振り回し、爽快に打破する。アヤメの冷静沈着な性格とは少し合わないような気もするけれど、その破壊力は凄まじいものがある。

 特殊破壊兵装はダンジョンコアの初期化のために使われる。アヤメと“万物崩壊の破城籠手”が安置されていた“老鬼の牙城”の最奥は広々とした地下洞窟だった。あそこなら、あれだけ大きな武器でも存分に振るえる。

 一方、ユリの持つ“堅緻穿空の疾風槍”は狭い通路での使用も想定されているようだった。槍という武器そのものの特性でもあるけれど、突く、切る、叩く、薙ぎ払うと様々な使い方ができるのはバトルソルジャーの高い戦闘能力を前提にしているからだろうか。


「マスター」


 前を歩くユリの槍を眺めていると、不意に彼女が立ち止まる。すわ敵影かと身構える僕たちに、彼女は指を口の前で立てて声を潜めた。僕らも急いで口をつぐみ、彼女が指し示す先へと目を凝らす。

 通路の先、壁に穴が開いている。どうやら僕らが入ってきたように、品質検査ラインの壁が破られているらしい。品質を検査する前に壁を検査した方がいいんじゃないだろうか。


「っ!」


 そっと近づいて穴を覗き込んだ僕は、思わず叫びそうになった口を手で塞ぐ。

 裏道と比べれば品質検査ラインは明るい。天井から魔導灯らしき強い光が降り注ぎ、壁や床も白いからだ。そこに魔獣がいた。

 蹲った黒猫のような丸い影。それが検査ラインの小部屋の隅で蠢いている。そこには壊された機械のような金属片が小山を作っていた。

 “黒鉄狼の回廊”にはゴーレム種しか存在しないはず。しかし、小さな穴から覗く小部屋にはおよそ金属らしくない不定形の生物が蔓延っている。その姿はまるで……。


「スライム?」


 不定形の粘菌型魔獣。強烈な腐食能力を持つ物も多く、天井からぼとりと落ちて探索者の肉を溶かす。防具を着込んでいてもその隙間から浸透してくる、非常に厄介な魔獣だ。

 そんなものがこの迷宮に出没するなんて、事前の情報にはなかった。


「あれはナノマシン? 通常の挙動とは大きく異なるようですが」

「製造用自律機械を侵蝕しているようです。生物的に見れば捕食行動のようにも見えますが、ナノマシン自体に高度な知能はなかったはずです」


 アヤメとユリも警戒心を露わにしながら、彼女たちの言葉で分析をしている。その間にも黒色のスライムたちは鉄屑の山の上でモゾモゾと身を震わせている。山が崩れると一緒に麓まで転がり落ち、また手探りで登り始める。ガシャガシャという金属音だけが空虚に響いている。


「あれはまさか、金属部品を取り込んでいるのでしょうか」


 ユリが眉を揺らす。

 黒色スライムの中には、金属の角や鱗を身につけたものもいた。まるで捕食した金属をそのまま体に反映したかのようだ。


「異常行動をするナノマシン……。今後はあれも警戒しなければなりません」


 ゴーレムだけでも、アヤメやユリは苦戦していた。そこに不定形のスライムまで加われば厄介なことは間違いない。

 僕らは壁の向こうのスライムたちに気取られないように足音を殺してその場を離れた。


「あれは、アヤメたちでも倒せるのかな」

「……ナノマシン集合体は、核となる中枢統率モジュールがあるはずです。それを破壊すれば、結束が解けて分解されるでしょう」


 新たな敵の存在に不安を抱く。アヤメは考えながらその対処法について口にした。


「しかし、金属部品を取り込んだナノマシンは、当然防御を固めるでしょう」

「破壊するのは、我々の武器では難しいかもしれませんね」


 ユリの指摘に対してアヤメは素直に頷く。

 ゴーレムもスライムも、彼女たちの武器が想定している対象ではない。相性不利だったところが著しく不利になったというこの状況は、ある意味変わらないとも言えるかもしれない。


「早く特殊破壊兵装を見つけましょう。“工廠”の武器ならば、あれらへの対処も想定されているはずです」


 アヤメの言葉だけが希望だった。

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