第82話「泣き声の響く迷宮」

 情報を集め、装備を整え、体を休めた。いよいよ“黒鉄狼の回廊”に潜る段になって、僕は緊張していた。朝食の蒸かし芋を食べながら、頭はグルグルと考えを巡らせている。

 ゴーレムは僕らが初めて出会う敵だ。“黒鉄狼の回廊”にはゴーレム種しか出ないと言うけれど、逆に他の迷宮ではゴーレム種はかなり珍しい魔獣なのだ。その体そのものが迷宮遺物と言ってもよく、持ち帰ることができれば巨額のお金を稼ぐことができる。けれど、全身が金属で構成された魔獣を打ち倒すのは熟練の探索者でも難しい。


「ヤック様、体調が優れませんか?」

「あ、いや。大丈夫。ちょっと不安になってただけだよ」


 アヤメがこちらを覗き込んできて、気を取りなおす。僕が弱気になっていても意味がない。

 そもそも今回の目的はダンジョンの攻略ではない。アヤメとユリの特殊破壊兵装を修理できればそれでいいのだ。気負う必要はない。


「日程を調整しても良いと思いますが」

「ううん、大丈夫。――行こうか、二人とも」


 心配してくれる二人に感謝しながら、芋を飲み込んで水で押し流す。腹ごしらえも済んだし、準備は万端だ。

 “黒鉄狼の回廊”はココオルクの町を見下ろすように峻険な山肌から屹立している。名前の通り黒々とした金属製の構造物で、現代までその外装に傷を付けることができた者はいないと言われるほど頑丈だ。

 実際、アヤメたちの時代から残っているということは七千年以上もここにあったということ。厳しい山の風雨に晒されながら、ずっとここに佇んでいたのだ。

 そこに力強い歴史の気配を感じながら、僕らは山道を登っていく。迷宮に辿り着いてすらいないけれど、この折れ曲がった急登もしっかりと体力を奪ってくる。


「……記録にある周辺の地形と大きく異なっていますね」


 山道を登りながらアヤメが周囲を見渡して言う。彼女が知るのは七千年前の光景だ。その頃とは山の形も大きく変容していてもおかしくはない。

 “黒鉄狼の回廊”の入り口は、黒い塔の高いところにあった。そのままでは到底入ることもできない場所で、周囲にはココオルクの探索者たちが取り付けたであろう木組みの足場がある。


「もともとのエントランスがあった場所から、かなり地面が抉れているようですね」

「地滑りか、地震か。そういった自然災害によるものでしょうか」


 悠久の時は環境すら大きく変えてしまう。アヤメはこの光景を見て何を思っているのだろうか。彼女はあまり多くは語らず、木組みの足場を登って行った。


「この先からが施設内部になります。マギウリウス粒子の濃度もこれまでの施設と同様に高いレベルで安定しているようですね」

「気を引き締めていこうか」


 アヤメが雷撃警棒を握り、ユリが特殊破壊兵装“堅緻穿空の疾風槍”を構える。アヤメが特殊破壊兵装を使わないのは、それがかなりの消耗を強いる武器で、また大型で取り回しが悪いという理由からだった。

 とはいえ、通常の魔獣相手なら雷撃警棒で十分という話でもある。

 二人が先んじて迷宮の中へと踏み入り、僕の慎重にその後を追いかける。


「――ッ」


 迷宮は一歩入っただけで空気が変わる。魔力濃度が高いというのも大きな理由のひとつだけど、それだけでは説明ができないほどに。これまで死闘を繰り広げてきた魔獣と探索者、双方の強い思いが残っているような、そんな気がするのだ。

 気温も少し下がり、肌寒いほどになる。それでも急激に汗が滲む。明らかな異界に踏み込んだことを頭ではなく体で、理性ではなく本能で理解する。


「エントランス部分には敵影なし。このまま進みますか?」

「うん。マップの通りだと、この先の通路を抜ければ二階に続く階段があるはずだ」


 アヤメたちと共に薄暗い迷宮内を歩く。入り口に近い第一階層部分には動くものはない。むしろ探索者が持ち込んだのか非常用物資なんかを詰め込んだ木箱が積み上げられていた。

 どうやらこの迷宮は入ってすぐに魔獣に襲われるということはなさそうだ。


「エントランスは来客用の区画となっていました。その影響もあるのでしょう」


 アヤメが往時のことを思い出して語る。ゴーレム種として迷宮内を徘徊しているのは、“工廠”の製造区画で働いていた機械たちだ。その時の名残が今も引き継がれているのかもしれない。

 広い入り口から続く廊下を進むと地図の情報通りに階段がある。真正面にはシャフトもあるようだけど、動かないようだ。

 階段を降りて第二階層へと侵入する。ここから先は敵の危険がある。そう思った矢先、けたたましい甲高い音が響いた。


――ピピピピピピッ!


「ユリ!」

「はぁあああっ!」


 階段を降りたすぐそば、通路の陰に何かがいた。僕の腰くらいの高さの円筒状のもの。側面から細長い足を四本出して、体の上の方に赤い光がいくつも連なっている。

 アヤメが叫び、ユリが応じる。

 赤髪を揺らして飛び出したユリは手にしていた槍を勢いよく突き出し、その魔獣の腹を貫いた。騒音が止まり、静寂が戻る。けれど僕らは油断なく周囲を警戒しながら、今倒した魔獣の正体を調べた。


「“赤目の泣き虫レッドティアーズ”! 急いで別の場所に!」

「はいっ!」


 頭に叩き込んだゴーレムの種類。その中から該当するものを探す。見つけ出したのは、広域に響き渡る泣き声で他のゴーレムを呼び寄せる、厄介な性質を持つものだった。


「元々は警備機械だったものです」

「十分に役割を果たしてるみたいだね!」


 赤目の泣き虫の声はすでに放たれている。留まっていたら、四方八方から殺到する魔獣の群れに押しつぶされるだろう。そんな経験はもう懲り懲りだった。


「アヤメ、この近くに安全そうな場所は?」

「私の最新の記録とは大きく内部構造も変わっていますが……」


 アヤメは入り組んだ通路を駆け抜けながら思考を巡らせる。この施設に来たことがある彼女が頼りだった。


「マスター、前方から無数の足音が!」

「右に行こう!」


 ユリが機敏に敵の存在を察知してくれるから、早めに回避することができた。それでも、あちこちから金属の足音が迫ってきて気が気ではない。

 ユリの槍は赤目の泣き虫の金属の体を貫けたけれど、あれが一番硬いはずもないだろう。


「――ッ!」

「アヤメ?」


 その時、アヤメが何かに反応した。

 怪訝な顔をして周囲を見渡す彼女に気付いて、僕はその手を握る。早く逃げなければ魔獣の群れに押しつぶされてしまう。けれどアヤメは目を閉じて耳を澄ませる。その様子を見て、僕とユリも口を噤んだ。


「……泣き声」

「泣き声?」


 また別の赤目の泣き虫が出たのだろうか。いや、それにしてはアヤメの様子が違う。

 彼女は僕の手をぎゅっと握り返すと、これまでとは別の方向へ迷いなく走り出した。


「アヤメ!? う、うわぁああっ!?」


 僕は彼女に引き摺られるようにして、黒鉄の迷宮を駆け抜けていく。

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