第79話「コルトネに抱かれて」

 コルトネ山の中腹にある山小屋で一夜を明かし、早朝に目を覚ます。ドンドさんたちも随分お酒を飲んでいたはずなのに、翌日にはけろりとした顔で起きていた。


「俺たちはこのまま降って麓まで行く。山には魔獣こそ出ねぇが、岩が転がり落ちてくることもあるからな。気をつけるんだぞ」

「ありがとうございます。ドンドさんも気を付けて」


 ロバに荷物を積んで降っていく商隊を見送って、僕らも逆の方向へと歩き出す。まだ日も昇っていない山の斜面は、一歩間違えれば滑落する危険もある。アヤメとユリにもしっかりと気を張ってもらって慎重に進む。

 足元はゴツゴツとした岩や崩れやすい土が多くて不安定だけど、光さえあれば視界を遮るものはなにもない。木々もこの標高では育たないので、足元にまばらに草が群がっているくらいだ。


「アヤメもユリも大丈夫?」

「問題ありません。この程度であれば行動に支障はないでしょう」

「こちらも同じく。山道の歩き方にも慣れてきました」


 元々あまり心配していなかったけど、二人とも過酷な山道でも息一つ乱さず楽々と歩いている。空気も薄くなっているというのに、顔色さえ変えていない。

 アヤメは元々経験豊富なハウスキーパーで体力も底なしだ。ユリは元々が第二世代のバトルソルジャーだということもあって、あっという間に山道の歩き方を学習してしまった。

 結局、速度を抑える原因になっているのは僕の歩みだけだ。


「あの、マスター」


 荷物を背負い直して一歩一歩踏み締めながら歩いていると、後ろにいたユリが声をかけてきた。その青い瞳にはどこか困惑の色が浮かんでいるようだった。


「やはり荷物は私に任せていただけませんか。標準的な人間は100kg近い荷物を背負って、このペースで山を登れば、多大な負荷を受けます」

「うーん? でも、これくらいなら別に大丈夫だよ」


 たしかに僕は旅の荷物に鎧や剣といった武装を合わせて、大人ひとりと少しぶんくらいの重量を背負っている。とはいえ、迷宮探索帰りならもっと疲れている時にもっとたくさんの荷物を抱えていることもあるし、この程度なら別に苦痛も感じない。


「それよりもユリたちはいざという時に動けるようにしておいてほしいな。ほら、僕は戦いとかだと足手纏いだから」

「そうでしょうか……」


 一丁前に剣も吊り下げているけれど、僕に戦いの才能はない。剣に振り回されるようなありさまで、魔獣どころか地上に出てくる狼にさえ太刀打ちできないのだ。いざ戦いとなったら、僕は荷物と一緒に逃げ回ることしかできない。頼りになるのはユリたちだけだ。

 けれどユリはどこか納得のいかない様子で首を傾げている。


「相当な負荷がかかっているはず……なのですが……」

「これくらい探索者なら普通だよ。プロの荷物持ちならもっと担げるらしいからね」


 僕なんかは長年芽が出ないからしかたなく荷物持ちをやっていただけだ。それでも続けていればこれくらいはできるのだから、本職ともなればもっとすごいに決まっている。大迷宮と呼ばれるような、規模が大きくて産出する資源や迷宮遺物の量も桁違いの迷宮だと、そういったプロの荷物持ちも第一線で活躍しているらしい。いつかはそういうところに行って、本職の技術というものを見て学びたいとも思っている。


「ユリ、この時代の人間は我々の知る原生人類種と身体強度が異なるようです。あまり自身の知識にとらわれないように」

「そうですか……。わかりました」


 先頭を歩いていたアヤメが振り返り、ユリに何か言う。結局、ユリは納得こそしていなさそうだったけれど、一つ頷いて口を閉じた。

 その後はただ黙々と歩く。先頭にアヤメ、真ん中に僕、後ろにユリの布陣で。山道は斜面に沿って折れ曲がっているけれど、基本的に一本道で迷う要素はない。だんだんと日も昇ってきて、周囲も明るくなってきた。


「おお、かなり高いところまで来たね」


 休憩がてら足を止めて、後ろを振り返る。ずっと前の斜面ばかりみていると気付かなかったけれど、ずいぶんと標高が上がっている。これだけの距離を自分の足だけで歩いてきたのだと思うと達成感があった。


「水分と食料をしっかり摂ってください。今は自覚がなくとも、急に動けなくなる可能性もありますから」

「うん。アヤメたちもゆっくり休んでね」


 こまめに水を飲んで、栄養のあるものを食べる。ナッツ類を獣脂で固めた山登り用の携行食を事前に麓の村で買っていた。味が濃くて、過酷な活動を前提とした栄養の塊だ。

 活力を取り戻し、再び荷物を背負って立ち上がる。今日中にはきっと、ココオルクに辿り着けるだろう。


「さあ、行こうか」


 二人と共に登山道を歩き出す。


━━━━━


「よい――しょっと」


 午前中を歩き通し、昼にしっかりと休憩をとって、また数時間歩いた。そうして太陽の傾きが目立つようになった頃、僕らはようやく小屋根と呼ばれる尾根を越えた。

 コルトネ山はいくつかの尾根が連なる山脈で、小屋根を越えた先にはなだらかな斜面が広がっている。二つの尾根の叉にある土地は風も弱まり、天候もある程度落ち着いているらしい。

 そんな比較的穏やかな高地に迷宮都市ココオルクがあった。


「あれがココオルクですか」


 尾根の頂点から向こう側を見下ろし、ユリが感慨深く呟く。

 巨大な山嶺の中腹という過酷な土地にありながら、その町は予想よりもはるかに大きく栄えていた。立派な石造りの建物が集まり、赤い屋根が斜面を染めている。太い煙突を備えた建物がほとんどで、町の至る所から湯気や白黒の煙が立ち上っていた。


「そうだね。そして――」


 視線を町の上に向ける。峻険な断崖絶壁から黒鉄の塔が突き出している。滑らかで直線的な意匠は僕たちがこれまで見てきたダンジョンと同じだ。けれど、纏う雰囲気が少し違う。

 風に吹かれ、豪雪や日射を浴びながらも悠久の時を超えてここに在りつづけた未知の建造物。その内部に、人智を超越した物品を隠す謎の宝物庫。ココオルクに潤沢な鉄資源を供給し続けてきた鉱床。

 ゴーレム種の魔獣だけが存在する特殊な迷宮“黒鉄狼の回廊”。その僅かな一部分だけが、そこに屹立していた。


「あれが、僕らが挑むダンジョンだ」


 目標は、ユリとアヤメの特殊破壊兵装を修復すること。けれど、おそらく一朝一夕にはいかないだろう。アヤメもユリも、それは予感しているはずだ。だからこそ気を引き締める。

 まずはココオルクで宿を取り、探索者ギルドに顔を出してから、物資の補充。そして何より情報収集をしないといけない。


「町まであと一息だ。行こう」

「はい」


 コルトネ山の小屋根を飛び越えて、斜面を削って作られた山道を降る。

 町に近づくほど、激しい鎚の音が聞こえてきた。

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