第78話「迷宮の噂話」
迷宮“黒鉄狼の回廊”とその迷宮都市ココオルクは、この辺りで一番高い山であるコルトネ山の中腹にある。
頭頂を白く染める急峻な山脈の斜面ということで、そこに至るにはかなりの労力を要する。宿場町アクィロトスで一泊した僕たちは乗合馬車でコルトネ山麓の村へと向かい、そこからは徒歩での登山を始めることになった。
「ヤック様、足元が不安定です。やはり私が背負いましょう」
「大丈夫だよ。これでも荷物持ちとしては結構経験も長いんだから」
登山道は斜面を横切るようにして作られた九十九折りの細いものだ。舗装なんて当然なく、ボロボロと崩れてしまうところも多い。
アヤメは幾度となくこちらを振り返って身を案じてくる。けれど、この程度なら僕もそこまで苦労はしない。これでも体はしっかり鍛えているのだ。
「標高が上がると寒くなるからね。アヤメとユリは大丈夫?」
「問題ありません。我々は氷点下20度程度までであれば支障なく活動可能ですので」
「そ、それはすごいね……」
乾いた風が強く吹き付ける山肌は、気を抜けばすぐそこに滑落の危険がある。僕らは慎重に、けれどペースが落ちすぎないように気をつけながら着実に高度を上げて行った。
「あった、山小屋だ!」
ココオルクまでは人の足で二日くらいは掛かってしまう。だから、その道程には簡素ながらも雨風を凌いで身を休めることのできる山小屋が用意されていた。
斜面を削って切り開かれた土地に木造の建物が鎮座している。ボロボロの屋根と周囲に転がる岩がこの土地の過酷さを表していた。
僕らが到着した夕方には、すでに先客がいた。小屋の軒下にロバが繋がれていて、屋内から騒がしい陽気な声が漏れ聞こえてきている。少し身構えながら中に入ると、広い大部屋で車座になって酒盛りをしている人たちがいた。
「おや、見ねぇ顔だな。旅人かい?」
入り口近くに座っていたおじさんの一人がこちらに気付いて声をかけてくれる。
「お邪魔します。ココオルクを目指して登っている、探索者のヤックと言います」
「おお、探索者か。後ろの姉ちゃんたちもおんなじか」
彼はアヤメたちのメイド服姿に少し驚いた様子だったけれど、暖かく僕らを迎え入れてくれた。
「俺はドンドってんだ。上と下を行ったり来たりしてる運び屋さ」
「運び屋……。ロバの側に置いてあった荷物は皆さんのものですか」
ドンドさんはきつい酒精の香りを放つ杯を煽り頷く。
「ココオルクから麓の村に持って行って売る鉄材さ。あんたみたいな探索者が迷宮から持ち帰ったモンを溶かして固めたインゴットだよ」
話を聞けば、ドンドさんたちはココオルクと麓の村に二点を往復する商隊の一員だという。“黒鉄狼の回廊”から持ち帰られた迷宮産の鉄をココオルクの製錬所で纏めてインゴットにして麓まで運び、それを食料や生活物資に変えてまた運ぶ。山腹にある迷宮都市の生命線と言ってもいい。
「しかし、外から探索者が来るのは珍しいな」
「あはは。それはまあ、そうですよね」
何度もこの登山道を往復している彼らは、外からココオルクへやってくる人々もよく知っている。そんな彼らからしてもココオルクに迷宮探索者がやってくることは珍しい。
そもそも、探索者というのはそう頻繁に拠点を変えることがない。大抵は一つの迷宮を専門にして、一つの迷宮都市に腰を落ち着けるものだ。たまに流浪の探索者というのもいないわけではないけれど。
理由は単純で、頻繁に探索する迷宮を変えても危険が増すだけだからだ。
特に“黒鉄狼の回廊”は外から探索者が目指しにくい迷宮として知られている。高い標高という立地もあるけれど、出てくる魔獣がゴーレムだけというのが一番の理由だろう。ただの狼と鉄でできた狼とでは、戦い方も全く異なる。
「“黒鉄狼の回廊”はどんな感じですか」
話ついでに現地住民の声も聞いておく。こういう地道な情報収集が後々役に立つのだ。
すでに随分と呑んでいるのか顔を赤くしたドンドさんは首を捻る。
「そうだな。俺ぁ実際に潜ってるわけじゃねぇから詳しいことは分からんが……」
“黒鉄狼の回廊”に潜るのは、それを専門にしてる探索者だ。大体は一族としてココオルクに先祖代々住んでいて、親もその親もずっと探索者という家系の者らしい。そうして、ゴーレム狩りに特化した技術や武器を研ぎ澄ましているのだろう。
「最近はどんどん魔獣どもが手強くなってるらしい。実際、俺たちが運ぶ鉄の量もちょっとずつ減ってきてるしな」
「魔獣が強く?」
「怪我人も増えてきて困ってんだ。しまいには迷宮の奥で女の泣く声を聞いたって奴も出てきてるようだしな」
呆れた様子で頭を振るドンドさん。彼自身は与太話の類だと思っているんだろう。
実際のところ、迷宮と怪談というのは割と珍しくない取り合わせだ。外界から隔絶された場所で薄暗く、魔獣も闊歩している。迷宮遺物を巡って、パーティが内輪揉めすることも多い。何より、探索者が何人も死んでいる。かつての仲間の声を聞いて探した先で殺されたとか、啜り泣く女性の声を聞いたとか、そういった逸話は案外珍しくない。
人の声を真似る魔獣がいるという話も聞いたことがあるし、こういう真偽不明の話も結構重要だったりする。
「アヤメ、工廠で
「完全に否定はできませんが、低いと考えます」
それよりも気になったのは、魔獣が手強くなっているという話。“黒鉄狼の回廊”においてはゴーレムのことだ。
僕らの本来の目的は、制御から外れて暴走を始めた迷宮で、魔獣が外にまで飛び出す魔獣侵攻という現象を未然に防ぐこと。けれど、“黒鉄狼の回廊”はもともと“工廠”と呼ばれる施設で、魔獣侵攻の原因となる魔獣自体が本来は存在しないはず。
「ゴーレムが強くなっているっていうのは、どういうことだろう」
「分かりません。“工廠”が私たちの予測と異なる挙動をしているのでしょう」
ドンドさんの語る迷宮の異変にアヤメとユリも不穏な気配を感じ取ったらしい。真剣な面持ちで頬を赤く染め、考えを巡らせている。
「わざわざ外から来たってことは、あんたら腕には自信があるんだろう? 期待してるぜ」
「あはは。お手柔らかにお願いします」
がはは、と豪快に笑うドンドさん。
僕自身はおそらくゴーレムに対して手も足も出ないだろう。頼りになるのはやっぱりアヤメとユリだ。そこが悔しくて情けないのだけれど、事実だから仕方ない。
「ほれ、兄ちゃんも呑め! コルトネの風は身に染みるからな。強い酒で体を温めるんだ」
「えっ!? いや、その僕は――」
上機嫌に酔っ払ったドンドさんが、こちらに酒瓶を向けてくる。明日も同じくらいの道のりを歩かないといけないし、二日酔いになるわけにはいかない。けれどどう断っていいものか、と悩んでいると横からアヤメが割り込んできた。
「申し訳ありませんが、ヤック様はひどくお疲れです。奥の部屋をお借りします」
「うん? お、おう。まあしっかり寝ねぇと慣れてない奴は体を壊すからなぁ。布団もあるから、ゆっくり休め」
アヤメの有無を言わせぬ気迫に少したじろぎながらも、ドンドさんはそれならばと酒瓶を下げる。別段、高山病が心配になるほど虚弱というわけでもないけれど、ここはアヤメの支援に乗じて撤退することにする。
「ありがとうございました。それじゃあ、お先に」
そう言って、そそくさと奥の小部屋に逃げ込む。実際、山道で疲れているのは本当だ。今日の夕食は簡単に携帯食料で済ませ、さっさと寝ることにする。
「アヤメたちもしっかり休んでね」
「はい」
「お気遣いありがとうございます、マスター」
そう言いながらも夜通し見張りをする気満々の二人に苦笑しながら、僕は備えられていた毛布に包まる。しっかりと寝て、疲労を取って、まずはココオルクに到着するまで。
僕は決意を新たに、素早く眠りに落ちていった。
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