第73話「堅緻穿空の疾風槍」

 火焔が魔物の群れを焼き払い、周囲は一瞬にして混沌を広げた。


「ユリィィーーーーー!」


 その業火は容赦なく、ユリまでも呑み込んだ。うねる火焔の中に見えなくなった彼女の名を叫ぶ。声を張り上げ、喉が裂けそうになりながら。

 けれど、火焔の奥から現れたのは彼女ではなかった。


「シュルルルル……」

「ッ! アルヴレイヴァ」


 紅蓮の鱗に灼熱を纏い、金に輝く双眸でこちらを睨みつける。原始の火を宿す蛇、アルヴレイヴァ。聖女様が言っていた、“銀龍の聖祠”に眠る四体の強化魔獣の一角。

 額にある根本から折れた黒角は、かつて聖女様が激しい戦いを繰り広げ、仕留めきれなかった証。その強さは、身に纏う覇気が何よりも証明している。

 見るだけで圧倒され、逃げ出したくなる。けれど、僕はアルヴレイヴァの節だった腕が掴むものを見て、それ以上の衝撃を受けた。


「ユリ!」


 アルヴレイヴァの腕が無造作に掴んでいるのは、ボロボロになったメイド服に身を包んだユリだ。長い赤髪が焦げつき、四肢を力なく垂らしている。気を失っているようだ。

 魔蛇の火焔を間近で浴びたのだ。機装兵といえども無傷では済まない。彼女を助けなければ――。


「っ!」


 自分を殴り、立ち上がる。足が震えて、今にもへたり込みそうだ。

 アヤメは背後で戦っている。いくら彼女でも、こちらに駆けつけられない。だったら、最後の砦である僕が戦わないと!


「――ユリを、離せ!」


 剣を引き抜く。

 妖精銀の輝きが炎のオレンジに染まる。声を上げ、焦げた魔獣の骸を飛び越えてアルヴレイヴァへと走る。


「シュァアアアッ!」


 金眼の蛇が大きく顎を開いて、長い舌を振るわせる。ざらつく咆哮を上げ、長い体をくねらせる。ユリを側の壁に向かって投げつけて、僕の方へと迫ってきた。

 聖女様でも敵わない強敵だ。炎を吐かれたら、僕は抗うこともできずに焼死するだろう。それなら――!


「まずは、喉!」

「シャァッ!」


 妖精銀の長剣を、勢いよく投げる。剣の扱いはいまいちでも、投擲には自信があるんだ!

 狙うは炎蛇の喉もと。そこにある火炎器官。竜と同じく、やつはそこに火を宿している。そこを潰せば、火炎を封じることができる。

 アレクトリアに建てられた四つの霊廟。それは無駄なものなんかじゃない。そこには、聖女様が――アレクトリアの人々が伝えてきた歴史が刻まれている。アルヴレイヴァの喉についても、そこにしっかりと刻まれていた。

 妖精銀は他の金属と比べて驚くほど軽い。それでいて、分厚い革や薄い鉄程度なら切り裂けるほどに鋭利で頑丈だ。強化魔獣といえど、喉もとの薄い皮ならば――。


「ジャアアアッ!?」

「切り裂ける!」


 鋭い切先が喉に突き刺さる。仰け反るアルヴレイヴァの側へ駆け寄り、剣の柄を掴む。


「熱っ!?」


 柄に指先が触れた瞬間、一瞬冷たさを感じる。直後、襲ってきた痛みで、熱すぎる故の誤解だと理解した。

 アルヴレイヴァの体内は想像を絶する灼熱だったのだ。その温度は一瞬で精霊銀の剣を伝わり、革を巻きつけた柄に達した。僕が数メトの短距離を駆け抜ける間に!


「シュアァア!」

「うわっ!?」


 思考が乱れた隙を的確に突いて、アルヴレイヴァの鋭い爪が飛んでくる。僕は紙一重でそれを避けながら、剣を諦めることにした。武器に固執しても、寿命を縮めるだけだ。


「だったら――!」


 剣が使えなくても、僕には道具がある。

 大半は置いてきたけれど、いくつかはいざという時のために備えていた。心配性な性格も役にたつことはある。


「それっ!」


 懐から取り出したものをアルヴレイヴァの鼻先目掛けて投げつける。同時に僕はぎゅっと目を瞑り、耳を塞いだ。直後、凄まじい閃光と轟音が通路に吹き荒れる。

 アルヴレイヴァもたまらず悲鳴をあげて仰け反った。

 蛇に限らず、強い魔獣はえてして繊細だ。そんな奴の不意を付けば、大きな隙を作ることもできる。魔獣の目を焼き、耳を貫く。奴が動けなくなっている隙に、ユリを探す。


「ユリ、掴まって! とりあえず後ろに――」

「ます、た……」


 業火を浴び、壁に叩きつけられたユリ。けれど、彼女はなんとか一命を取り留めていた。彼女の腕を首に回し、体を持ち上げる。やっぱり、アヤメと一緒で外見の割にずっしりと重たい。でも、荷物持ちで鍛えた僕が運べないほどじゃない。


「逃げ、て、くださ……」

「ユリを置いていけない。一旦、アヤメのところにいこう」

「だめ、です……」


 ユリの言葉はおぼつかない。離れようとする彼女を強引に抱き抱えて、歩き出す。

 聖女様の修復完了まではまだ時間がかかる。けれど、アヤメと合流できれば、まだなんとかなるかもしれない。


「やっく、さま」

「置いていけるわけないでしょ。僕は君のマスターなんだから」


 彼女を背負い、強引にでも運ぶ。マスター契約を交わしたのなら、見捨てない。仲間は助ける。

 けれど、そんな僕らの背後に、ゆっくりと巨影が立ち上がった。


「ヤック様、逃げてください!」

「なっ!?」


 不意に背中を押される。ユリの手だと気付いたのは、視界がぐるりと回転した後のことだ。逆さまの視界で、僕はユリがアルヴレイヴァの長い尻尾に叩かれ、吹き飛ぶのを見た。


「かはぁ――!」

「ユリ!」


 ボールのように宙を飛ぶユリの体。床に転がり、動かない。アルヴレイヴァの復活が、予想よりもはるかに早かった。強化魔獣の名前は、伊達ではなかった。みくびっていた。侮っていた。ユリが身を挺して僕を守ってくれた。


「はぁっ……はぁっ……!」

「シュルルルル……」


 振り返ると、眼前に蛇が迫っていた。こちらを睥睨し、細長い舌を出し入れしている。喉に刺したはずの剣は抜き捨てられ、その目には明確な怒りが宿っていた。

 思わず生唾を飲み込む。もう小手先の細工は通用しないだろう。奴は完全に、こちらを殺す気でいる。


「シャアアアアアッ!」


 大きく口を開き、アルヴレイヴァが吠える。上下二対の牙が輝き、喉の奥で火炎が踊る。凄まじい再生能力で、すでに火炎器官を取り戻したのか。

 紅蓮の体がおおきくうねり、勢いよくこちらに迫る。僕に噛みつき、至近距離で焼き殺そうと。その機敏な動きに抵抗する暇はない。僕が後ろへ逃げるよりも早く、それは迫る。

 死を覚悟して、思わず目を閉じた。その時だった。


「――せいっ!」

「ジャッ!?」


 赤い影が飛び出した。それは蛇の頭を蹴り飛ばし、通路の奥へと吹き飛ばした。

 僕の前に立ちはだかったのは、白い衣を纏う赤髪の女性。場違いなほど艶やかで、見惚れるほど美しい人。


「聖女、様」

「オーバーホールは後回しだ。まずは先客を片付けないと、ゆっくり眠れないだろう?」


 こちらを見下ろし、彼女は不敵に笑う。白い衣が翻り、傷だらけの体が現れた。


「そんな、修理は――」

「あっちを優先させた。そのほうがいいと、私が判断した」


 彼女の視線が僕を通り越す。

 開かれた整備室の扉の前に、それが突き刺さっていた。青い光の輝きを宿す、長柄の槍。傷だらけで真っ二つに折れていた槍は、見違えるほどに修復されていた。

 そして、その側には力なく倒れるユリの姿がある。聖女様は彼女に向かって、気軽な調子で声をかけた。


「さあ、ユリ。起きろ。――仕事の時間だ」

「…………了解、しました」


 ぎこちない動きで、ユリが立ち上がる。全身の至る所が破損しているにも関わらず、彼女はゆっくりと立ち上がり――槍を掴む。


「エネルギー……充填、完了。特殊破壊兵装リーサルウェポン堅緻穿空の疾風槍ガストスラスト”……展開」


 青い光が、腕を伝う。ユリの体に、強い力が流れ込む。それは彼女の体内を勢いよくめぐり、枯れた大地に流れ出した水のように吸い込まれていく。ユリと槍、両者が密接に繋がりあい、お互いを補強していく。

 力を失っていた足が地面を踏み締め、曲がっていた背中が真っ直ぐに伸び、弛緩した腕に活力が漲る。

 その手に握られた槍が、軽やかに回る。


特殊破壊兵装リーサルウェポン堅緻穿空の疾風槍ガストスラスト”、完全展開」


 青い光が翼のように広がった。特殊破壊兵装が、真の輝きを取り戻す。

 当然、アルヴレイヴァもそれを黙って見ているわけがない。


「シャアアアアアッ!」


 通路の奥まで突き飛ばされていた蛇が、地面を這い猛烈な勢いで迫る。

 だが、その前には赤髪の聖女が立ち塞がっている。


「はぁっ!」


 固く握りしめた拳が、真正面から蛇を叩く。鱗を散らし、体を陥没させる力。槍の修復を優先したとは思えないほどの威力。これでまだ全盛の力ではないというのが、信じられない。


「せっかくだ。腕の一本くらいくれてやる!」


 反撃とばかりに頭を突き出したアルヴレイヴァの喉に、聖女様は腕を突き込む。大胆な動きで最も柔らかな体内を抉った。だが、炎蛇の炎は彼女の腕も容易に溶かす。引き抜かれた彼女の腕は、肘から先がなくなっていた。

 それでも、彼女の猛攻は止まらない。


「あたしばかり見てたら――終わりだぞ」


 猛禽のような笑みを浮かべる聖女様。アルヴレイヴァが己のミスに気が付いたのは、彼女の高い蹴りが喉を抉った時のことだった。


「特殊破壊兵装、固有シーケンス実行」


 十分に力を溜めたユリが、解き放つ。


「――“荒天の破突”」


 澄み渡った破音。清らかな衝撃が、僕と聖女様を飛び越す。矢のように放たれた長槍の穂先が、蛇の喉元に噛み付いた。風が吹き乱れ、紅蓮の鱗を激しく散らす。槍は容易く蛇を食いちぎり、その頭と長い胴体を分離した。

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