第72話「扉の前の攻防戦」
整備室の扉に鍵がかかる。そこに表示された文字は読めないけれど、聖女と特殊破壊兵装の修復作業が始まったことは理解できた。
「アヤメ、ユリ……」
「ご安心ください、ヤック様。我が身に替えても、必ずお守りします」
特殊破壊兵装“|万物崩壊の破城籠手”を両腕に装備して、アヤメは淡々と告げる。できれば、彼女にも怪我をしてほしくないけれど。
ユリの方を見ると、彼女も槍を構えて準備は万端だ。
「バトルソルジャーとして、ハウスキーパーとして。――これまでの経験の全てを、今こそ発揮する時。ヤック様、ごゆるりとお待ちください」
「うん。ユリも気をつけてね」
ユリは堂々と、通路の真ん中に立つ。
整備室が動き出し、ダンジョン内を巡る魔力がここに集結し始めている。やがて、聖女様の予測の通り、ダンジョン中の魔獣が押し寄せてくるだろう。アヤメとユリには聖女様と特殊破壊兵装の修理が終わるまでその猛攻を凌いでもらわなければいけない。
整備室は長い通路の中央。アヤメとユリは前後それぞれに分かれる。僕は最後の砦、というか役に立たないので整備室のドアの前だ。マスターなのに、できるのは二人を応援することくらいというのが、どうにも歯痒い。
その時、アヤメが静かに顔を上げた。
「近づいてきました。これより、戦闘態勢に入ります」
ガツンと勢いよく両拳を突き合わせ、アヤメが走り出す。直後、廊下の向こうから狂乱した魔獣が飛び込んできた。
ダンジョン中から掻き集められた魔力を求める獣たち。
「あれは……グレイプニール!」
「問題ありません。敵性存在を排除します」
ロングスカートが風をふくみ、軽やかに広がる。
アヤメの眼前に飛び出してきたのはグレイプニール。スラッグドッグに似た外見をしているけれど、単独で行動する魔獣。逆に言えば、群れを成す必要がないほどの実力者。それは鋭いナイフのような牙を剥き、地面に爪を突き立てて猛突進を繰り出した。
「――ふっ!」
けれど、アヤメは焦らない。彼女が拳に纏った鋼鉄が、青い光を吹き上げる。勢いよく真正面から飛び込んできた凶狼の鼻先に、迷いなく鉄拳が叩きつけられた。
「ギュッ」
「まずは一体。排除完了」
断末魔も擦り潰すように、アヤメは淡々とグレイプニールの頭を潰す。逡巡も躊躇いもない鮮やかな手捌きで、一瞬で決着が付いた。けれど、アヤメは黒髪をたなびかせ、油断することなく前方を睨む。
グレイプニールは先鋒に過ぎない。嗅覚に優れた狼が動けば、その後ろから他の魔獣たちも追いかけてくる。その足音は無数に重なり、鈍感な僕の耳でもしっかりと捉えられるほどになっていた。
「マスター、後ろへお下がりください」
「う、うん」
アヤメが両腕を広げ、構えを取る。
廊下の奥から、無数の魔獣が雪崩るように飛び込んできた。
「
重く響く唸り声。アヤメの両腕が震える。光がさらに強くなり、熱を帯び始める。
ダンジョンを破壊する最強の拳が、完全体となって現れる。
けれど、魔獣の群れは止まらない。いや、止まれない。彼らは僕らの背後にある整備室の、濃密な魔力しか見えていないのだろう。それに、止まろうにも後ろからは続々と魔獣が迫っている。下手に足を止めれば、踏み潰されるのは火を見るより明らかだ。
だから――。
「排除します」
アヤメが動き出す。
強く床を蹴り、ダンッ! と大きな音を弾かせながら。自ら魔獣の群れへと飛び込み、同時に拳を叩き込む。風を潰す甲高い音と共に、魔物の黒い波が凹んだ。
けれど、アヤメの一撃を持ってしても完封とはならない。攻撃の間隙を突いて、小型の魔獣が飛び出してくる。アヤメは身を翻し、飛び込んできたそれらを蹴り飛ばす。
「問題ありません。排除続行します」
魔獣が吹き飛び、壁のシミになる。アヤメは淡々と拳を構える。
ひとまず、あちらは大丈夫そうだ。
「――ユリ」
「ご安心ください」
後ろを振り返ると、ユリが槍を構えて立っている。彼女の武器は特殊破壊兵装ではない。ダンジョンで見つけた彼女たちの時代のものだけど、少し不安は残る。でも、彼女はそんな様子はおくびにも出さず、真剣そのものの表情で立っていた。
「私はバトルソルジャー。アヤメ以上に、戦闘を得意としています」
これまで、アヤメからハウスキーパーとして修行を付けられていたユリだけど、本来は聖女様と同じ戦闘特化型機装兵だ。この“銀龍の聖祠”で経験を積み上げてきた彼女は機体も洗練されている。それこそ、第二世代の強み。銭湯の中で研磨される、自己進化能力の真価。
「それに、私にもヤック様がいますから」
ユリはそう言って、僕の正面に向き直った。改めて目の前に立たれると、彼女との身長差を如実に実感してしまう。せめて、もう少し伸びて欲しいんだけど……。
「うわっ!?」
密かに悔しがっていると、柔らかな感触に顔が埋まった。それが、ユリの胸だと気付いたのは直後のことだ。後ろでアヤメが激しい戦いを繰り広げている音がするなか、ユリは僕をぎゅっと抱きしめてきた。
「ゆ、ユリ?」
「――ありがとうございます。ヤック様。まさか私がマスターを得られるとは、予測できませんでした」
僕を抱いたまま、ユリは噛み締めるようにいう。機装兵といっても、やっぱり個体差があるのだろうか。アヤメよりも感情が強く伝わる。
見習いメイド服の生地越しに、彼女の固い体の感触があった。
「マスターに仕えることの喜びは、ハウスキーパーもバトルソルジャーも変わらない。私はそう経験し、理解しました。マスターがいることで、私は完全な私になれる。ですから、ヤック様」
腕が離れ、僕はユリの青い瞳と目が合う。
「どうぞ、ご命令を。私は忠実に従います」
「うん。――僕たちを守って、ユリ」
彼女は膝を突き、うやうやしく首を垂れる。まるでお伽話の騎士のように、彼女は凛々しく誓いを上げた。
「我が身に替えましても」
爆発音が響き渡る。通路の先に仕掛けたトラップが作動した知らせだ。
ユリはすかさず槍を取り、身を翻す。彼女の目の前、通路の先から魔獣がやってくる。
「敵性存在確認。戦闘態勢へ移行。――任務を遂行します」
瞳が赤く輝く。
彼女の体が引き締まる。全身を包む強靭な筋肉が収縮し、一瞬で最大の力を発揮する。
次の瞬間、彼女は音だけをそこに残して飛び出した。バトルソルジャー。戦うために生まれた生粋の戦士が、その真価を発揮する。
「ガァアアッ!」
刻印魔石の爆炎の中から魔獣が飛び出す。だが、その牙が突き立てられるよりも早く、喉笛を槍が貫いた。
「せやぁああっ!」
槍を振り回し、魔獣を投げ飛ばすユリ。それは後続の魔獣たちもまとめて押し阻む。だが、その山を乗り越えて次から次へと魔獣は現れる。
それでも彼女は鮮やかな槍捌きで、次々と魔獣を突き殺す。息の根を絶たれた魔獣の骸を壁にして、その侵攻を押し阻むのだ。
「ユリ!」
僕もただ陣地のなかに蹲っているわけにはいかない。戦況を見て、リュックの中から刻印魔石と取り出して投げる。強い閃光が放たれ、暗闇を白く染め上げる。魔獣たちの悲鳴が響き渡るなか、ユリが次々と槍でとどめを刺していく。
「ありがとうございます!」
「構わないから。気をつけてね」
律儀にお礼を伝えてくるユリに苦笑しながら、僕はアヤメの方へと目を向けた。
「ふっ」
轟音。ダンジョンの通路が揺れうごき、魔獣の群れが纏めて潰される。
特殊破壊兵装“万物崩壊の破城籠手”を完全展開したアヤメの力はあまりにも圧倒的だった。ダンジョン内の潤沢な魔力を取り込み、大ぶりな拳でテンポよく打撃を繰り出す。
そのたびに波のように押し寄せていた魔獣がスクラップにされていく。
「あっちは、まあ、大丈夫かな」
まさに破壊と粉砕といった圧倒的な殺戮を繰り広げるアヤメにひとまず安堵する。ユリを注視していた方が良さそうだ。
「アヤメ、そっちはよろしくね。危なくなったら支援するから」
「お任せください」
背中越しに声をかけると、彼女は冷静に拳を突き出しながら頷く。そっちはアヤメに任せることにして、僕は再びユリへと目を向けた。
特殊破壊兵装を持たないユリは、アヤメと比べて力不足が否めない。卓越した槍捌きを見せてくれるけれど、それでも徐々に押されていく。ある程度こちらへ近づいてきたら、僕が刻印魔石を投げて敵を怯ませ、その隙に彼女が前線を押し上げる。
しかし、そんな動きも少しずつ間隔が開いていく。魔獣の波が衰えているわけではない。むしろ、圧力は刻々と高まっている。それでも――。
「はぁあっ! はっ、はっ!」
――それよりも早く、彼女が成長しているのだ。
目を真紅に染めたユリ。彼女の槍は一突きごとに加速していく。その軌道は冴え渡り、的確に敵の魔石を打ち砕く。骸すら残さない必殺の刺突で、次々と打ち倒していく。
ひらりと舞うメイド服。その下にある長い脚が引き締まり、太くなり、力を増強させる。長い髪を振り乱し、軽やかに舞うように。彼女は魔獣の群れの中で踊り、乱れ、そして一匹たりとも通さない。
「すごい……」
思わず見惚れてしまうほどの鮮やかな戦いぶりだった。
ダンジョンの廃材を使った簡素な槍は耐久性こそ随一だけど、刃は鈍く取り回しにも難がある。にも関わらず、ユリがそれを扱えば、まるで神槍の如く武威を発揮する。
鋭利な刃が更に研ぎ澄まされていく。無駄な動きが削ぎ落とされ、武の本質が浮かび上がる。まるで、一塊の巨岩から、美しい彫像が現れるように。
「くっ」
苦悶の声に、はっと我に返る。咄嗟に刻印魔石を投げ、爆発で魔獣を怯ませる。
見れば、ユリが肩に傷を受けていた。破れたメイド服の下から、鈍色の金属部品が見える。
「ごめん、ユリ!」
「問題ありません。戦闘は継続可能です!」
ユリは槍を構え、果敢に戦い続ける。
彼女は急激に成長している。けれど、アヤメや聖女様の域には到達していない。だんだんと、傷も増えていく。
それでも彼女は闘志の炎を燃やし、臆することなく挑む。
人間ならばとっくに疲弊し、倒れていた。けれど、彼女は機敏に動き続ける。汗の一滴も滲ませず、髪を乱しながらも集中は途切れない。人智を凌駕する戦いぶりだ。
戦いは過熱し、彼女の動きは加速していく。木っ端の如く突き殺される魔獣たち。ユリの槍は、追随を許さない。
「……っ!」
ちり、と。違和感が脳裏をよぎった。それが何なのか分からずも、探索者としての直感が警鐘を鳴らす。
次に、僅かに焦げた臭気があった。
僕は顔をあげ、叫ぶ。
「ユリ、下がって!」
直後――。
火焔が通路を埋め尽くし、魔獣たちの断末魔が突き上がる。目を見開きこちらを振り返ったユリまでもが、容赦なく迫る炎の波に包まれた。
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