第71話「閉ざされる扉」
聖女様の実力は桁違いなものだった。それは十分に理解しているつもりだったけれど、まだわずかな片鱗しか見ていないことをすぐに思い知らされた。第五階層のフロアボスをまさしく鎧袖一触で討ち倒した彼女は、第六階層でも破竹の快進撃を見せつけたのだ。
「さあ、急げ急げ! こいつらはいくらでも湧いてくるぞ!」
「ひ、ひいいっ!?」
入り組んだ通路の奥と後ろから際限なく現れるのは、ムカデのような魔獣の大群。ガチガチと凶悪なアゴを打ち鳴らし、カサカサと無数の脚を蠢かせて迫り来る。それを聖女様は拳と脚で軽やかに蹴散らしていた。
「はぁああああああっ!」
もちろん、多勢に無勢という言葉もある。聖女様一人ではこの大群を凌ぐことはできない。けれどこちらには頼もしい味方がいるのだ。
ユリが猛々しく声をあげ、槍を振るう。ムカデを突き刺し、貫通させたまま振り回し、同族を纏めて叩き潰すのだ。彼女の瞳は赤く燃え上がり、その動きは瞬く間に洗練されていく。
これまでの修行の経験も遺憾無く発揮する彼女は、もはや歴戦の槍使いへと成長を遂げていた。
「シャアアアアアッ!」
「ひいっ!?」
聖女様の隙を掻い潜って、一匹のムカデがすり抜ける。それは勢いのまま、後ろに居た僕へと飛びかかってきた。慌てて剣を構えるけれど、黒光りする外殻は非常に硬く、刃が立つ予感すらしなかった。
情けなく目を瞑ったその時。
「ふ――ッ!」
「シャギアァッ!?」
横から飛んできた鉄拳によって、ムカデの体が爆ぜる。スカートを翻して着地を決めたアヤメが、青い瞳をこちらに向ける。
「ヤック様、お気をつけください」
「は、はい……」
思わず腰が抜けそうになるのをなんとか気合いで持ち直す。こんなところで荷物になるわけにはいかない。
「僕も一匹くらいは――」
「マスターはお下がりください。ここは私たちにお任せを」
「ヤック殿は偉そうにしててくれればいい――さっ!」
気合を入れて剣を握り込む。けれど、ユリと聖女様が獅子奮迅の活躍を見せて、僕の元へはただの一匹も来なくなってしまった。申し訳ないやら情けないやらで泣きそうになってしまう。
「ヤック様。ここに居ても状況は変わりません。前進しましょう」
「う、うん」
アヤメの提案を受けて、僕は前方を見る。目的地は整備室。その場所は聖女様が知っている。無数に現れるムカデを相手していても際限がない。僕は腹を括って前進を決めた。
「聖女様、強引に突破しましょう!」
「ふふっ。それはいい考えだ!」
聖女様が勢いよくムカデの群れに飛び込み、蹴散らす。開かれた活路にユリが果敢に飛び込んでいく。僕も二人に続いて駆け出そうとしたその時、不意に浮遊感に襲われた。
「うわぁっ!? ちょ、アヤメ!?」
「ヤック様を守りつつ移動するには、これが合理的だと判断しました」
「だからってこれはちょっと!」
両腕で僕を抱えるアヤメ。彼女は澄ました顔で、僕を横抱き――いわゆるお姫様抱っこで持ち上げていた。物資の詰まったリュックを背負って、鎧も着込んだ僕を軽々と抱えて、彼女は軽快に走る。
「動かないでください。落としてしまいますので」
「ダンジョン内でこれはないよ!」
まるで重さを感じさせない足取りで、アヤメは瞬く間にユリたちに追いつく。振り返ったユリと聖女様も、少し驚いた様子で眉を揺らした。
「なるほど、その手があったか」
「バトルソルジャーにはない発想ですね」
「うぅぅ……」
二人の生暖かい視線を浴びて、思わず目を伏せる。そんな僕を抱き抱えたまま、アヤメは全く速度を落とさない。
結局、僕が走るよりも断然速く、さらにその速度を維持したまま、彼女たちは第六階層の入り組んだ道を迷いなく突き進んでいった。
「アヤメ、気をつけてね。僕は落とされても大丈夫だから」
「ご安心ください」
両手が塞がっているアヤメを気遣うも、彼女は平然として頷く。そんな彼女の目の前に、第四階層のものより一回り体格が良くなったスラッグドッグが飛びかかってきた。
「うひゃぁっ!?」
「――この程度であれば、十分に対処可能です」
思わず悲鳴を上げる僕。けれど、アヤメは僕を抱えたまま軽やかに脚を蹴り上げ、襲いかかってきたスラッグドッグを天井まで蹴り飛ばしていた。
特殊破壊兵装はとても強力な武器だけど、そもそもアヤメはそれを使わなくてもかなり強い。忘れかけていた基本的なことを思い出す。その後もアヤメは次々と華麗な足技で魔獣を文字通り蹴散らしていた。
「ふふっ。さすが、エスコートはハウスキーパーに敵わないな」
「あんまり見ないでください……」
「もちろんです。これこそが私の使命ですので」
猪型の魔獣を正面から殴り飛ばしていた聖女様がこちらを一瞥して口角を上げる。恥ずかしくなって手で顔を覆うも、アヤメはむしろ誇らしげだ。
前人未到の第六階層にも関わらず、驚くほど緊張感がない。
聖女様が迷うことなく通路の分岐を進もうとする。その時、僕は咄嗟に声を上げた。
「待って!」
「なにっ?」
ぴくりと動きを止める聖女様。僕は周囲に視線を巡らせて、確信する。
「その先は危ない。たぶん、強化魔獣がいる」
「ほう?」
聖女様の目つきが変わる。天下無双の活躍を見せる彼女でさえ、構えずにはいられない。
「なぜ分かる?」
「分かりにくいけど、足跡が残ってる。それにこの壁の擦れた跡も」
アヤメの腕から飛び降りて、僕は地面を指し示す。無数の魔獣たちが駆け回ったせいで荒れ放題だけど、わずかに特徴的な足跡が残っている。前に三本、後ろに一本の鳥のような足跡。これに似通う魔獣は今まで一種類しか見ていない。
聖女様もじっくりとそれを見て、納得したようだった。
「なるほど、これは確かにそうだ。――よく気づいたな」
ハイペースで走りながら、さらに戦闘も繰り広げられるなかだった。だからこそ聖女様は少なからず驚いたようだった。
僕は少し面映い気持ちになりながらも頷く。
「痕跡を見つけるのは得意なんですよ。これでも探索者ですから」
特に未踏破領域においては、わずかな一つのミスが生死を分ける。道を一本間違えただけで、通路の先が魔獣の胃袋に繋がっているのだ。だからこそ、目を皿のようにしてわずかな痕跡も探す。どんな状況においても。むしろ、極限に近い状況であるほど、重要なことだ。
「なるほど。――ヤック殿もただの凡百というわけではないか」
「うっ。そう問われると自信はないんですけど」
この程度、熟練の探索者なら息をするようにできなければならない。そんな思いで頭を掻くと、聖女様は首を横に振った。
「強さとは、ただ魔獣を殺す術を知ることじゃない。数多の艱難辛苦に耐え、生き延びること。そのための技術を持つ者は、間違いなく強者と言える」
「ありがとうございます。そう言っていただけると」
僕は二流どころか三流にも満たない探索者だ。それでも、三流なりに努力してきたつもりだ。その努力が認められたような気がして、少し目頭が熱くなる。
「ヤック殿の言うとおり、この奥には厄介な気難し屋がいるようだ。道を変えて、迂回しよう」
「了解しました」
聖女様が進路を変える。ユリもそれに従う。
「ヤック様」
「や、やっぱりそうしないとダメ?」
「これが一番安全ですので」
両腕を前に広げてこちらへ迫るアヤメ。少しだけ抵抗してみせるも、彼女は有無を言わせず僕を抱き抱える。
そうして、僕は再びお姫様抱っこをされて、ダンジョン第六階層を進むこととなった。
とはいえ、これも僕が恥ずかしいだけで悪いことではない。アヤメの速度、というか機装兵の速度は探索者が未踏破領域を進むのとは比較にならないほど速い。聖女様とユリが次々と魔獣を撃破するから、安全でもある。僕自身も冷静に周囲を見渡すことができるから、わずかな痕跡も見逃さずに済む。
外から見られた時の絵面だけが気になるけれど、そもそもここには僕ら以外は魔獣しかいないのだ。
「さあ、もうすぐだ」
先頭を走る聖女様が声を上げる。
強化魔獣だけでなく、第六階層には遠くから一方的に攻撃してくるような、このパーティとの相性が良くない相手もいるけれど、痕跡を見つけてはルートを細かく切り替えたおかげかこれまで厄介な魔獣には遭遇していない。
そうしてついに、僕らは目的地へと辿り着く。
長い通路の中ほどにぽつんと現れる扉。
「これが――」
「整備室だな」
整備室。
破損した機装兵や特殊破壊兵装を修復するための施設。聖女様の傷を癒やし、折れた槍を再構築する場所。
「ここに入って、フルメンテナンスを実施すれば、私の自動修復機能も復旧する。ただし、フルメンテナンスは三日間かかる」
長い時間だ。三日の間、聖女様は無防備な状態に晒される。
「しかも、整備室が起動すれば施設中のマギウリウス粒子がここに集中する。セーフティエリアとは逆に、魔獣を引きつけるようになると思えばいい」
さらに厳しい言葉が続く。
つまり僕たちは三日間の間、無防備な聖女様を守り抜かなければならない。集まる魔力を目指して死に物狂いで殺到する数多の魔獣たちを相手に。
「準備しよう。少しでも、アヤメたちの負担を軽減しないと」
長い戦いになる。持ち込んだ物資のほとんどは今まで手付かずだ。つまり、ここから先で全て使い切る。
リュックの中には食料や水の他に、糸や刻印魔石も大量に詰め込まれている。僕はアヤメと一緒に、通路の端から幾重にも罠を仕掛けていった。糸を通路に張って、それが切れたら魔石が爆発するような、簡単な仕掛けだ。これでも、整備室を目指す魔獣なら引っかかるだろうと聖女様が太鼓判を押してくれている。
「一応拠点も作っておこう。ここで休めるとは思えないけど」
更に、整備室の扉の前にはバリケードも築く。三日間の長丁場となると、疲労も凄まじい。休憩が取れる場所がなければ。気休め程度と分かっていても、それが精神的な支えになってくれる。
「準備、できました」
物資のほとんどを使い果たし、陣地を構築する。普通の探索ではほとんど使わないようなもの、それこそ迷宮内で遭難したような極限状態じゃないと出番のないような技術を使ったものだ。
それを見て、聖女様も苦笑を隠せない。この程度、魔獣の波に襲われたら木っ端のごとく弾け飛ぶのは明らかだ。
「ヤック殿。あなたは我々にとっての要だ。アヤメもユリも、あなたがいなければ力を発揮できない」
「ええ。分かってます」
僕はマスターであり、アヤメたちは僕のハウスキーパーだ。主人がいてこそ、従者が活きる。今回の作戦において、僕は絶対に生き延びないといけない。
「必ずヤック殿を守れ。――できるか、ユリ」
「はい」
聖女様がユリに顔を向ける。彼女の問いに、ユリは頷き、僕の方を見る。
「マスターの指示があれば、必ずや遂行しましょう」
その言葉に聖女様はふっと小さく吹き出した。
「なるほど……。ハウスキーパーらしくなったな」
「アヤメの教育によるものです」
アヤメは両腕に嵌めた鉄拳を構える。青い光がその表面を走り、強い力を滲ませている。言葉は不要。準備万端。その意思を聖女様も感じ取った。
「――それじゃあ、あとは任せた」
彼女が触れると、数千年もの間沈黙を保ち続けた扉の表面に青い光のラインが走った。それは複雑な模様を描きながら明滅し、消える。そして、僕には読めない文字が浮かび上がる。
「施錠解除。整備室、起動」
聖女様の指示に従い、扉が開く。左右に広がる廊下の壁や天井に青いラインが広がっていく。それは迷宮全域へと及び、隅々から魔力――マギウリウス粒子を掻き集める。
静寂の中にあったダンジョンが、脈動を始める。
扉の奥には台座が一つ。その周囲には無数の腕のような機械が床や天井から伸びている。
「三日後に会おう」
聖女様が部屋の中に入る。彼女が敷居を越えた途端、扉は勢いよく閉じた。
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