第70話「聖女の武技」
“銀龍の聖祠”第五階層。その最奥に佇む巨躯。青銅の鎧を身にまとい、その隙間から赤黒い血肉を覗かせる、グロテスクな風貌の巨人。四本の腕に剣と槍、鎚と盾を持つ、異形の騎士。
殺風景な部屋の中央で片膝を突き、微動だにしない。それでもなお、異様な圧力が恐怖となって振り撒かれている。周囲の輪郭が歪んで見えるほどの強い魔力を纏うそれを恐れて、魔獣たちも近づかない。
「おお、今はハイエンチャントアーマーが陣取っているんだな」
重苦しい静謐を破る、能天気な声。赤髪の聖女様は微塵も臆する様子なく、甲冑の巨人の眼前に歩み出た。
「アヤメ、本当にいいの?」
「問題ないでしょう。それよりも、背後からの襲撃を警戒する方が建設的と考えます」
第五階層のフロアボスを前にして、僕らは部屋の中に入ってすらいなかった。聖女様がボスとの一騎打ちを望んだのだ。アヤメもユリもそれに反論することなく、早々に武器を下げた。そんななか、僕一人だけが戦々恐々としている。
「ハイエンチャントアーマーって、エンチャントアーマーの上位種だよね?」
「そうなるでしょう」
その正体は鎧に寄生した肉塊だ。それ自体は柔らかく、魔石を潰せばすぐに倒せる相手ではある。けれど厄介なのは、彼らが鎧や武器に根を張り、その性質まで変えてしまうという点にある。
「あれはおそらく、ダンジョンの残骸を取り込んだ姿でしょう。青銅色ではありますが、ダンジョン壁と同等の堅牢性があると推察されます」
「えええっ!?」
淡々と語るアヤメの言葉に、僕は思わず大きな声を出す。慌てて口を押さえるけれど、そもそもここまでの道中で遭遇した魔獣は殲滅されているから、敵がやってくることはない。
とはいえ、衝撃はそのままだ。ダンジョン壁と同等の硬さの鎧なんて、実質的に無敵と同義だろう。アヤメの“
「素手であれに勝とうとしてるの?」
彼女は手に何も持っていない。いつもの白い布製の柔らかな神官服だけを纏い、ただ真っ直ぐに立っている。何も知らずに見れば、ただの自殺志願者にしか見えない異常な光景だ。
にも関わらずアヤメもユリも、そして聖女様自身が敗北を考えてすらいない。
「確かに聖女様は機体を著しく損傷しています」
槍を携えたユリが言う。
「ですが、その程度の制限があっても、アレが敵うことはないでしょう」
確信を持った言葉だった。
そして直後、状況が変化する。
「ゴ、ギ、ゴ……」
聖女様の目の前で、甲冑が揺れる。ボロボロと細かな欠片を剥落させながら、それまでの不動を解く。三つの武器と一つの盾、全身の甲冑。それらの動きが次第に滑らかになっていく。
立ち上がったそれは、聖女様をはるかに超える高さから睨み下ろした。暗い兜の下から、涙のように血が滴る。
「図体だけは立派なもんだ。とはいえ、相手が悪かったな」
まるで散歩に出かけるかのような気楽さで、聖女様が一歩足を出す。ハイエンチャントアーマーが剣を勢いよく振り下ろす。それは真っ直ぐに聖女様の脳天を狙っていた。
「さて」
とん、と。軽く彼女の手が揺れる。瞬間、大剣が巨人の手から弾け飛び、部屋の壁に衝突して甲高い音を響かせる。
あまりにも異常だった。まるで力んだ様子もなかったのに、ハイエンチャントアーマーが力で負けていた。そのことに本人すら認めきれず、次に槍が突き出される。
それを、聖女様はつま先で蹴り上げた。
「ゴ、ガッ」
ふわりと白い衣の裾が膨らんだ。ただそれだけにしか見えなかった。
次の瞬間、柄の折れた大槍が天井に突き刺さっていた。
巨人が一歩下がる。恐怖を感じているのは明らかだった。それでも魔獣の本能か、ボスとしての矜持か、それは低い雄叫びを上げながら前に進む。大鎚が重量に勢いを乗せて振り下ろされる。
「ゴオオオッ! ――ガッ!?」
途中、大鎚がぴたりと止まる。僕が状況を理解できたのは、遅れてのことだった。
「軽いなぁ。鍛錬が足りないんじゃないか?」
鎚の下、聖女様が片手をあげていた。その指先だけで、凄まじい重量を誇る金属塊の打撃を受け止めていたのだ。
余裕の笑みすら浮かべて彼女はぴんと指を弾く。大鎚が折れ、ヘッドが吹き飛ぶ。
たったの数秒で武器を無くしたハイエンチャントアーマーは明確に怯えていた。それでもなお、果敢に挑む。盾を構え、その巨体を武器として、彼女を圧殺しようと。
けれど、その時にはすでに聖女様の間合いに入ってしまっていた。彼女の手が届く範囲に。
「どれだけ固い殻に籠っていても。どれだけ守りに構えていても。――それが弱点になる」
聖女様が手のひらを青銅色の鎧にぺたりとつける。
次の瞬間。
「はっ」
わずかに振動が広がったような気がした。
直後、ハイエンチャントアーマーが崩れ落ちる。ガラガラと轟音を響かせながら、鎧が地面に転がっていく。
「衝撃だけを内部に伝えて、間接的に本体を攻撃したようです」
何も理解できていない僕を見かねてアヤメが解説してくれる。それだけ聞いてもにわかには理解し難いものだったけど。
聖女様は固い鎧に手で触れ、震えた。その振動を内部の脆弱な本体へと伝え、混ぜるように破壊する。防御力というものを無視した、力と技の暴力だ。
「さあ、奥に進もうか」
こちらを振り返り、聖女様が明るい調子で声を上げる。彼女の背後には崩れた甲冑の山ができあがり、隙間から血が流れ地に濡れ広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます