第69話「折れた槍」
「なるほど。随分と変わり果てたもんだな」
“銀龍の聖祠”第三階層に帰還した僕たちを聖女様は両手を広げて出迎えてくれた。そんな彼女の目の前に、僕は丁重に布に包んで持ち帰って来たものを置く。細心の注意を払いながら布を広げて中身を見せると、聖女様は感慨深くため息を吐いた。
大きく四つに折れた柄に、砕けた穂先。全体が大きく歪み、風化している。往時の勇姿は見る影もない残骸にも関わらず、彼女はそれが何であるかを即座に理解していた。
「
探し求めていた特殊破壊兵装は、無惨な姿で発見された。焦土と化した瓦礫の山から掘り出されたものは、無数の欠片に砕けた槍だった。もはや全てのパーツを揃えることも不可能で、回収できたのは全体の八割程度だ。
あまりにも衝撃的な結果に、ユリはずっと沈痛な面持ちのままだ。けれど、聖女様はそんな彼女に柔らかな笑みを向ける。
「よくやったな、ユリ」
「ですが……」
「いや、大丈夫だ」
慰められると思ったのか顔を上げて食い下がるユリに、聖女様は首を振る。
「これだけあれば十分だ。コアも生きている。お前が見つけられたのも、これがお前を呼んだからだ」
「それは……」
ユリがボロボロの槍を見る。
もはや武器としての体裁すら成していない、ガラクタのような姿だ。それでも彼女はあの凄惨な殺戮の現場で、瓦礫に埋もれていたこれを見つけた。彼女とこの槍が共鳴したのだ。
「時は来た、そういうことだ。第六階層に向かい、整備室を起動する。そこでフルメンテナンスを受ければ、この槍も在りし日の姿を取り戻す」
聖女様は希望を捨てていなかった。自身も目的地として定めている、第六階層の整備室。そこに至れば槍もまた完全な復活を遂げると確信していた。
「ありがとう、ユリ、アヤメ。そして、ヤック殿」
彼女は順に僕らの顔を見て、一言ずつ感謝の声をあげる。
「いよいよ大詰めだ。第六階層には、私も同行しよう」
そして、彼女の依頼の最終段階が始まった。
━━━━━
「しばらく、聖祠を閉じられると?」
アレクトリアの大神殿。その管理者を務める神官長のロウドさんは毛深い眉を寄せて怪訝な顔をした。槍が見つかり、第六階層へ向かう準備が整った僕たちは、いよいよ最終段階に向けて動き出した。その一環として、神殿そのものを封印しなければならないと聖女様が言ったのだ。
「はい。短くて三日ほどの間、全ての門を閉じ、何人たりとも立ち入りを禁ずる。とのことです」
「そうですか……」
ロウドさんはアレクトリアと“銀龍の聖祠”、そして聖女様の秘密については知らない。けれど、大神殿の管理を任される要職にあり信頼は厚い。僕が聖女様からの依頼で動いていることも知っている。
長い髭を撫でながら、彼はしばらく思案する。
「まさか、私の代でお隠れになられるとは」
「聖女様は事前に仰ってたんですか?」
「いつになると明確に仰ったわけではありませんが。私が神官長となるはるか以前、十代以上も前の神官長のころから」
人間にとっては想像を絶するほど長い時間。けれど、聖女様にとってはつい最近のこと。その頃には、聖女様は自分の体に限界が近いことを悟っていた。だから、今日のような日が来ることも予測していた。
聖女様が整備室でフルメンテナンスを受けている間、“銀龍の聖祠”は無防備だ。抑止力を失った魔獣の群れが、ダンジョンの外へと流れ出さないともかぎらない。そんな時のことを想定し、聖女様は教会の力を利用し、大神殿という蓋を作っていたのだ。
大神殿の門扉を全て封印すれば、ダンジョンの出入り口はなくなる。少なくとも、聖女様のフルメンテナンスが完了するまでの時間は稼げることになる。もちろん、門扉にまで魔獣が到達するという事態になれば、中にいる僕らがどうなるかということは考えるまでもないけれど。
「分かりました。封印は確実に行いましょう」
全てを聞いて、ロウドさんは粛々と頷いた。彼にとって聖女様が姿を隠すということは、大きな不安を伴うだろう。それでも、彼女のことを信じている。
「よろしくお願いします」
僕は彼の敬虔な姿に胸を打たれながら、感謝を告げた。
その後の動きは迅速で、それでいて静かなものだった。ロウドさんの名前によって大神殿からアレクトリアの街へと発表があり、数日間聖女様が隠れられると知らされた。それに対する反応は様々で、驚き、不安、悲しみ、怒りと様々な感情を持った人々が大階段へと押し寄せた。
神官たちがそれを押し留めるなか、大神殿は一つひとつの門扉を閉じていく。
「施錠、施錠。物理障壁、電子障壁。マギウリウス粒子遮断隔壁。防御装甲壁。動かすのは久々だが、こっちはまだ自動修復機能も生きてるな」
大神殿のすぐ下にある“銀龍の聖祠”第一階層。僕らが寝泊まりをする宿舎もある広大な縦穴が、ゆっくりと閉じていく。何枚もの分厚い床が縦穴を区切っていくのだ。
その様子を眺めながら、聖女様は満足そうに頷いた。
「施設の設備が稼働状態にあるとは。ただの自動修復機能だけでは風化を防ぎきれないはずですが」
一方でアヤメは驚いたように何度か目を瞬かせる。ダンジョンというのは彼女たちが生まれた時代――今より数千年も前の時代から存在する遺跡だ。故にその機能が損傷していてもおかしくはない。むしろそうであるはずだ。
「エンジニアがいないから、全部自分でちょこちょこ修理はしてたんだ。重要なところさえなんとかなれば、あとは自動修復機能と修復素材の投入でなんとか賄える」
「そうは言っても専門外の業務でしょう。素晴らしい対応力です」
本来はダンジョンの整備などを担当する専門家が必要なところを、聖女様は己の身一つで対処していた。彼女は「時間だけは余ってたからな」と言って笑っているけれど、それがどれほど困難か想像すらつかない。
アヤメもパチパチと手を叩き、彼女に賞賛の声を送っていた。
「さて、あとは戸締まりを確認するだけだ。そっちも準備はできてるのか?」
壁の中に突っ込んでいた手を引き抜きながら、聖女様がこちらに話を向けてくる。
第六階層進出に向けて、僕らも準備をしてきた。基本的な未踏破領域探索の準備に加えて、今回は防衛戦の用意もしなければならない。必然、用意するべき物質も多岐にわたることとなった。
「ロウドさんのおかげですぐに揃いました。あとは最終確認が終われば、すぐに出発できます」
「よし。それじゃあいよいよだな」
不敵に笑う聖女様。ついに第六階層へ向かう算段がついた。
とはいえ、僕の中にはひとつ不安なことがある。
「あの、聖女様。僕らはまだ第五階層のフロアボスを倒していないんですが」
第四階層にアシッドスネイルがいたように、第五階層の最奥にもその生態系の頂点に立つ強力な魔獣――フロアボスがいるはずだ。けれど、僕たちは“堅緻穿空の疾風槍”の残骸を持ち帰っただけで、それと対峙すらしていない。
第六階層に入るには、フロアボスの撃破は必須だ。にも関わらず、聖女様は余裕の顔だ。
「ヤック殿は心配しなくていい。――その程度が障害になるほど、弱くはないからな」
真紅の唇の下から覗く白い歯。猛犬のそれのように鋭く尖った歯。
聖女様は青い瞳の奥に好戦的な色を滲ませていた。
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