第68話「焦土の痕跡」

 強化魔獣がどこかへ去ったのを見届け、周囲の安全をしっかりと確認して、僕たちは近くのセーフティエリアへと移動した。ダンジョン内にいくつか存在する、魔力が遮断された小部屋は、魔獣が入ってこない唯一の安全地帯だ。

 アヤメやユリも力が大きく制限されてしまうけれど、今は身を休めることが先決だった。


「強化魔獣……。明らかに異質な存在です」

「僕でも実感できるくらいだからね。聖女様は毎年あんなのと戦ってたなんて……」


 いまだにあの威容が瞼の裏に張り付いている。アヤメもユリも、あれの秘める力を強く実感しているようだった。

 だからこそ聖女様の所業の凄まじさがよく分かる。彼女は四体も存在する強化魔獣と毎年戦い続けているのだ。僕らはただの一体を目の当たりにしただけでも動けなかったというのに。

 あれは人が挑んでいい相手じゃない。例えば僕が対峙すれば、なんて考えることすらできないほどの存在だ。


「とにかく、あれと戦うのはやめた方がいいね」

「異論ありません」

「せめて特殊破壊兵装を手に入れなければ、見つかることも危険でしょう」


 今後の行動方針を定めつつ、ひとまずは身を休める。手早く組み上げた携帯コンロに火をつけて、片手鍋に水と乾燥させた食材を投げ込む。調理というほどのものでもないけれど、簡単なスープができあがった。


「はい、アヤメ。ユリもどうぞ」

「ありがとうございます」

「い、頂きます」


 カップに注いで、アヤメとユリに配る。二人は食事を摂る必要こそないけれど、温かいものを食べれば気持ちも落ち着くだろう。

 僕も自分のぶんを用意する。二人と一緒にそれを飲めば、緊張で強張っていた体が少し柔らかいだような気がする。


「次の候補地に特殊破壊兵装はあるのでしょうか」


 両手で包み込むようにカップを持ちながら、ユリが小さくこぼす。

 特殊破壊兵装“堅緻穿空の疾風槍”を手に入れることができれば、僕らは早々に第六階層へと向かうことができる。逆に、見つけられなければ、あの銀鱗の強化魔獣が闊歩する中を探し続けなければならない。


「最も危惧するべきは、特殊破壊兵装が強化魔獣の縄張り内にあることです」


 考えたくもない未来をアヤメが容赦なく口に出してしまった。僕とユリは思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。

 強化魔獣はアヤメとユリの二人がかりでも――当然、そこに僕が加わったとしても――到底敵わない相手だ。それに対抗しうる可能性があるのは、二人が二つの特殊破壊兵装を持った場合のみ。それなのに、“堅緻穿空の疾風槍”が強化魔獣の足元にあるとなると、袋小路に陥ってしまうことになる。


「それだけはないように聖女様に祈っておこう」


 第三階層で待っている聖女様に向かって手を合わせる。何千年とアレクトリアの平和を守り続けてきた彼女は、もはや本物の神性すら帯びていてもおかしくはない。

 アヤメやユリまで真面目な顔をして、聖女様のいる方角に向かって祈りを捧げている。今頃、聖女様もくしゃみくらいはしていそうだ。


「とはいえ、実際に見つかったらどうやって逃げようか」


 改めて座り直し、銀鱗の強化魔獣を思い浮かべる。聖女様の話が正しければ、彼女と同じかそれ以上の年齢であるはずだ。にも関わらず、その肉体には老いや衰えといった色が一切見えなかった。不死身の存在であると言われても、すんなり信じてしまいそうだ。


「私が殿となって――」

「ダメだよ。三人全員、無事に帰るのが最低条件だからね」


 率先して犠牲になろうとするアヤメを先んじて封じる。彼女の献身はとてもありがたいけれど、たまにやり過ぎなように感じることがある。アヤメ自身が、自分の命を軽視しているのだ。


「閃光の刻印魔石なんかをばら撒けば、なんとかなるかな?」

「あれだけ多くの目があれば、視覚への依存も大きいように思えますが……。その程度で怯むならば、聖女様も苦労していないでしょう」

「そうだよねぇ」


 ユリの冷静な分析に、非情な現実を思い知る。

 結局、いろいろと話し合ったところで有効な手立ては見つからない。そもそも、あの強化魔獣に関する情報が少ないのだ。


「とにかく、荷物はすっぱり諦める。刻印魔石をばら撒いて、追いかけるだけ無駄だと思ってもらうように祈るしかないね」

「ヤック様はお祈りがお好きですね」

「これしかできないんだよ」


 力なき者にできることは祈ることだけ。なんとも情けない話だけれど。


「よし、それじゃあ出発しようか」


 スープを飲んで、体も休まった。気力も少しは回復した。ずっと留まっているわけにもいかないし、あの強化魔獣がひょっこり現れる可能性も捨てきれない。

 僕は荷物をまとめ、リュックを背負って立ち上がる。アヤメとユリも準備万端の様子だ。


「次の候補地は分かってるよね。一気に行くよ」


 アヤメが先行し、周囲の安全を確かめる。僕とユリは一緒に走り、物陰から物陰へと飛び移るように移動する。

 先ほどの強化魔獣が近くを歩いたからか、第五階層にも関わらず周囲は静かだ。危険性は格段に跳ね上がっているはずだけれど、体感としてはむしろ安全に動くことができていた。


「候補地が目視で確認できました」


 アヤメが立ち止まり、曲がり角の先をそっと覗き込む。そんな彼女の言葉に違和感を覚えたのはユリだった。


「魔獣はいないのですか?」

「そうです。――実際に確認してもらう方が早いでしょう」


 説明を省き、アヤメが僕たちを呼び寄せる。ユリと共にゆっくりと通路の奥を覗いた僕は、そこに広がる光景を見て絶句した。


「これは……」

「食い荒らされていますね」


 さっきのジャイアントオーガの巣と同様に、迷宮内の瓦礫を集めて築かれた城。本来、強力な魔獣の玉座となるその場所が、深紅の血と黒い肉片によって汚されていた。

 思わず目を覆いたくなるような凄惨な光景。ほとんど原型を留めずに散乱しているのは、もともと大型の狼型の魔獣の群れだったのだろう。もはや何頭いたのかさえも分からない。

 慎重に近づけば、巣の周囲が焼け焦げていることが分かる。鼻の奥を突き刺すような焦げ臭い匂いが漂ってきた。全身が黒く焦げた死体を見るに、想像を絶する灼熱で焼かれたのだろう。抵抗の跡すらほとんど見えない。


「これは、さっきの強化魔獣が?」

「いえ、違うでしょう」


 アヤメが床に視線を落とす。

 薄く積もった灰をよく見ると、地面を這うような細長い跡が残っている。


「巨大な蛇腹の跡です。先ほどの強化魔獣は四本脚だったため、このような痕跡は残らないはずです」

「ということは、別の魔獣がやったと」

「状況からはそう推察されます」


 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 強化魔獣は全部で四体。聖女様の話によれば、お互いに協力も反目もせず、それぞれが自由にダンジョン全域を歩き回っているという。であれば、偶然二体の強化魔獣が近くにいてもおかしくはない。


「燃え跡から察するに、一時間ほど前のことです。これの原因が近くにいる可能性は低いでしょう」

「だといいけどね……」


 本当にこのダンジョンは、何から何まで常識と違う。僕がこれまで培ってきた知識がほとんど役に立たない。ここまでくると、いっそ清々しい気持ちにすらなってしまうほどだ。


「マスター!」


 無気力な感情に襲われていたその時、ユリが大きな声を出す。何事かと焦って振り返ると、彼女は瓦礫の山の上に立っていた。


「何かあったの?」

「――この下から、強いマギウリウス粒子の反応が検知されました」


 その言葉に、僕とアヤメは思わず顔を見合わせ、直後に弾かれたように山を登った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る