第67話「銀鱗の蛇」
「アヤメ、ここはまず私が陽動を」
瓦礫を寄せ集めて作られた玉座に座ってふんぞり返っているジャイアントオーガを睨み、ユリが槍を握る。目の前にいるあの魔獣が、ユリが経験したどの魔獣よりもはるかに強いことは明白だ。だからこそ彼女の声には緊張感が滲んでいる。
しかし、遮蔽物の陰から飛び出そうとした彼女の肩をアヤメが掴んで押し留める。怪訝な顔をして振り返るユリに、アヤメはいつもの冷静な顔で言った。
「問題ありません。ユリはヤック様の護衛を」
「それは、どういう――」
ユリが聞き返すよりも早く、アヤメは飛び出していた。
「グオオオ?」
突然現れた見慣れない存在に、ジャイアントオーガが警戒心をあらわにする。傍らに置いていた無骨な棍棒を持ち上げ、漫然と立ち上がる。そして、威嚇の咆哮を上げようとしたその時には、アヤメの間合いに入っていた。
「――はっ!」
狙い澄ました容赦のない一撃が突き込まれる。先手必勝と言わんばかりの躊躇ない鉄拳が、赤黒いジャイアントオーガの分厚い腹筋を抉る。
「ゴッアッ!?」
肺を圧迫され、唾液と共に空気が噴き出す。掠れた悲鳴を上げながら、ジャイアントオーガの巨体が後方へと吹き飛んだ。アヤメ自身、僕よりもかなり背が高い。そんな彼女よりも更に大きく、体重も相応にある魔獣が、いとも簡単に体勢を崩したのだ。
崩された本人でさえ、そこに驚愕と混乱を隠せない。そして、それが致命的な隙を生む。
「――ふっ!」
瓦礫の玉座を吹き飛ばす威力を叩き込まれたジャイアントオーガに、間髪入れず追撃が迫る。アヤメの攻撃はとにかく鋭く、そして静かだ。
彼女自身、ユリと比べて驚くほど声を発さない。わずかな呼吸の音がその力を間接的に示すのみだ。
けれど、その威力はユリの槍をはるかに凌駕する。拳は肉を潰し、骨を砕く。鋼の肉体、鬼を凌ぐ膂力を存分に発揮して、魔獣を圧倒する。
「ギャヒィイイイイッ!」
ジャイアントオーガが憤怒の声を上げ、棍棒を振り回す。しかし、大振りな攻撃はアヤメのメイド服に掠りすらせず、闇雲にダンジョンの壁を叩く。しかも、その一振りの間に彼女は三連の拳を叩き込んでいるのだ。
「は?」
僕の隣にしゃがんでいたユリが、思わずといった様子で声を漏らす。彼女の目は丸まって、目の前の一方的な戦いとも呼べないような暴力の連打に唖然としていた。
彼女の理解が追いつくよりも早く、ジャイアントオーガが沈黙する。いっそ憐れみすら覚えるほど完膚無きまでに叩き潰されたオーガの成れ果て。アヤメはその前にたたずみ、静かにこちらへ振り返る。
「この程度であれば、単独で撃破可能です。ユリもこれ以上の実力は付けてもらいます」
「は、はい……」
呼吸ひとつ乱れさせず、アヤメは平然と言い放つ。着実に実力をつけてきて、相応に自信も育ってきていたユリは、この一戦でアヤメとの大きな差を改めて実感させられたようだった。
「でも、特殊破壊兵装はないみたいだね」
アヤメのもとへと駆け寄り、周囲を見渡す。オーガの巣になっていた瓦礫の山には、特殊破壊兵装らしきものは見当たらない。一応、アヤメが普段そうしているように徽章型のコンパクトな形になっていることも考えられるけれど、その場合でもアヤメやユリであれば見つけられると言っていた。
「仕方ありません。次の候補地へと向かいましょう」
収穫がなかったことに落胆する様子もなく、アヤメは淡々と告げる。彼女が先行して歩き出した頃、ユリもようやく我に返った。
「大丈夫、ユリ?」
「なんとか。……私がアヤメほどの戦闘能力に到達するまで、あとどれほど修練を積めば良いのか計算していました」
頬を赤く染めたユリは、少し疲れたような声で言う。
「どれくらいかかりそうなの?」
「分からない。ということが分かりました」
不明瞭な結論を口にして、彼女は悔しそうに唇を噛む。
アヤメは僕と出会った時にはもう、オーガを何頭も同時に相手にできるほどの強さがあった。バトルソルジャーであるユリならば、きっと彼女を超えることもできるのだろう。けれど、それがいつになるのか。それは本人にさえ分からないとは。
「まあ、アヤメは特殊破壊兵装も持ってるから」
「今までずっと、アヤメは通常展開のまま使っています。あれならば、この槍とほとんど変わりはありませんよ」
ユリはダンジョンの廃材で作った槍を見て肩をすくめた。下手に慰めようとしても、余計に傷つけるだけになりかねない。僕はそれ以上なにも言えず、ユリと一緒にアヤメの背中を追いかけた。
「ヤック様、どうでしょうか」
「うーん……、そうだね。ここは迂回して、左から行こうか」
第五階層の大まかな構造は聖女様から聞き取った情報と相違ない。とはいえ、何十年もの時間が空いていることもあり、ところどころで不測の事態も出てくる。僕たちが直面したのは、通路を塞ぐように積み上げられた瓦礫の山だった。
この先に次の候補地があるはずだけど、どうやら魔獣によって堰き止められてしまったらしい。候補地はさっきのジャイアントオーガのように強力な魔獣の縄張りになっていることもあるから、こうして仕切りを作られているのも自然な流れと言える。
とはいえ、僕らとしては厄介なことこの上ない。僕は地図を睨んで、迂回できそうな道を探す。こう言う時、事前に散々やってきた予測と検証が活きてくるのだ。
「ついでに第三候補地から見ていこう。そっちの方が効率的だ」
「かしこまりました」
「了解しました」
ダンジョン内では何が起こるか分からない。だからこそ、何か起こった時は臨機応変な対応が求められる。構造が大きく変化するような事例もあるのだから、道が一本塞がっている程度でどうこう言っていられない。
僕が修正ルートを伝えると、アヤメとユリもすぐにそれを把握する。
そうして、僕たちは後方の分岐点へと戻り、別の通路へと進むのだ。
戦闘も基本的には回避する。向こうに見つかっていない状況なら、隠れてやり過ごす方が消耗も少なくて済むからだ。物資は使わないなら、使わないほうがいい。
「アヤメ、どう?」
「しばらく動きそうにないですね」
通路の陰に身を隠し、その向こう側にたむろする魔獣の群れを見る。崩れた管から水が流れ出し、水場のようなものができている。そこは魔獣たちの安息の地となっているのか、スラッグドッグやハウリンググーズが警戒心のない姿で休んでいた。
通路を横切れば、あの魔獣たちも僕らを察知するだろう。そうなれば、戦闘は避けられない。ならばせめて先制しようと、アヤメとユリが立ち上がったその時だった。
「っ! ヤック様、後ろへ!」
「うわっ!?」
突然、アヤメが身を翻して僕を抱きしめる。彼女の体に埋まりそうになりながら、僕はそのまま壁に押し付けられる。
「なにがもがが!?」
「静かに」
アヤメはこれまでにない緊迫した表情で、周囲を窺っている。ユリもまた、口の端をきつく結んで息を潜めている。僕はアヤメと壁の間に挟まりながら、混乱しつつも咄嗟に息を止めていた。
「ガウッ? グァアアッ!?」
「ギャァアッ! ギャァアッ!?」
直後、水場でくつろいでいた魔獣たちの取り乱した声が響く。彼らは一目散にその場から飛び出し、僕らに気付くこともなく遠くへと消えていった。まるで、何かに追い立てられているかのような、そんな雰囲気だ。
一体何が起こっているのか。それはすぐに分かった。
「っ!」
思わず飛び出しそうになった悲鳴を抑える。
通路の奥から、禍々しい覇気を纏った魔獣が、悠然と現れたのだ。
すらりとした四本の脚が、音もなく地面を踏み締める。それは細長い体に銀の光を纏った、異形の魔獣だった。尖った頭部に並ぶ六つの瞳には、知性の光さえ見て取れる。明らかに、一線を画した存在だ。
理屈ではなく、直感で理解した。あれが、強化魔獣の一体だ。
「……」
一言でも発すれば、僕らは無事では済まない。そんな確信があった。
ユリは微動だにせず、アヤメも僕を抑えたまま無言を保つ。
その間、銀の魔獣はゆっくりと水辺へ歩み寄り、清水で喉を潤す。口から伸びた長い舌すらも、何か幻のように感じてしまう。
それはたっぷりと水を飲み、頭を上げる。周囲を見渡し、そして背を向ける。来た時と同様にゆっくりと、悠然と、この場全てが己の領域だと誇示するかのように、それは歩き去ってしまった。
「――はぁっ! はぁ……」
瞬間、張り詰めた空気が弛緩する。止めていた呼吸を思い出し、体が今更空気を求める。荒い呼吸を繰り返す僕を、アヤメがそっと抱きしめてくれた。
「大丈夫ですか、ヤック様」
「うん。なんとかね。――あれが、強化魔獣か」
なるほど。話で聞いていた以上の存在だ。
あれならば聖女様でさえ仕留めきれなかったことが納得できてしまう。それほどまでに、滲み出す力の片鱗でさえも圧倒的だった。
「アルヴレイヴァ、ではありませんね」
「うん。別の強化魔獣だろうね」
聖鱗の霊廟の壁画にあった姿とは特徴が一致しない。きっと、四体いるうちの別のどれかだろう。それでも、強化魔獣という存在がどういったものなのかは肌で感じることができた。
「アヤメ、ユリ。これまで以上に慎重に進もう」
どっと疲れが押し寄せる。僕は次の目的地をひとまずセーフティエリアへと変更することを決めながら、二人に声をかける。アヤメもユリも、異論はなく揃って頷いた。
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