第74話「力の均衡」

 アルヴレイヴァの巨体が崩れ落ちる。火の勢いは急速に衰え、周囲の温度も下がっていく。更に驚くことに、これまで熾烈な猛攻を仕掛けてきていた魔獣たちが、近づいてこなくなっていた。


「アルヴレイヴァが倒された。奴らも身の危険を感じたらしい」


 聖女様がそう予測する。事実、魔獣たちは明らかな怯えの表情を浮かべ、我先にと身を翻して去っていく。

 強化魔獣アルヴレイヴァ。圧倒的な強者としてダンジョン内に君臨していた、最強の一角。その骸が晒されたことで、ユリの強さを思い知ったのだ。


「聖女様、でもこれって……」


 特殊破壊兵装“堅緻穿空の疾風槍”によって首を落とされ、大蛇は倒れた。けれど、ユリは油断なく槍の切先は骸に向けているし、アヤメも構えを解いていない。


「ああ。死んではいない」


 聖女様は頷く。

 首を落とされてなお、アルヴレイヴァは生きていた。生命力、魔力の全てを頭の再生に注ぎ込んでいるだけだ。魔石は未だ健在で、その拍動は止まっていない。


「今、とどめを」

「まあ待て」


 槍を突き刺し、今度こそ息の根を止めようとするユリを、聖女様が手で制す。瞠目するユリをその場に留めて、彼女はアルヴレイヴァの元へと歩み寄ると、その立派な体躯をそっと撫でた。


「確かに、特殊破壊兵装ならこれの魔石も打ち砕けるだろう。とはいえ、それをやってもあまりいいことはない」

「それはどういう……」


 戸惑うユリ。聖女様はアルヴレイヴァの赤い大きな鱗に指先を掛けると、おもむろに引き剥がした。


「強化魔獣が自由気ままにダンジョン内を歩き回ることで、こいつらより強い魔獣は生まれない。そして、こいつらを年に一度殴り倒して、適当に鱗でも剥いでやれば、こいつらもそれ以上は強くならない」

「つまり、あなたは強化魔獣を抑止力として利用していると?」


 アヤメの言葉に聖女様は頷く。それを見て僕は驚きを隠せなかった。

 聖女様が毎年、アレクトリアの四つの霊廟に四種類の品を奉納する儀式がある。龍鱗の霊廟には、このアルヴレイヴァの鱗が納められる。毎年それをしているのは、アルヴレイヴァの力を削ぎ、間接的に“銀龍の聖祠”そのものの魔獣の強さを抑えることにあるということだ。

 何千年もの間、ただ一人、密かにダンジョンの魑魅魍魎を抑え続けてきたのだと思っていた。けれど、違ったのだ。彼女は、四体の魔獣をある意味でりようしていたのだ。


「こいつはそのうち起き出す。とはいえ、一週間くらいはかかるだろう」

「つまり……?」

「ここに置いておけば、いい虫除けになる」


 ニヤリと笑い、あまりにも大胆なことを言い放つ聖女様。その台詞に僕だけでなくユリまで唖然としていた。


「つまり、聖女様はアルヴレイヴァが来ると思って、特殊破壊兵装の修復を優先したわけですか」

「いいや? 強化魔獣が来るかどうか確証なんて持てない。こいつらはダンジョンの外に出られないだけで、最下層から第一階層まで自由に歩き回ってるからな。それに、アルヴレイヴァじゃなくてオルトリーベンやペストリゴールだったら、ユリとアヤメがいても危なかったはずだ」


 幸運だったな、と軽く笑い飛ばす彼女は、あまりにも豪胆すぎる。

 オルトリーベンもペストリゴールも、アルヴレイヴァと並ぶ強化魔獣の名前だ。それぞれも一通り調べているけれど、確かにここで出会えば分が悪いと言わざるを得ない。


「とにかく、これでヤック殿もゆっくりできるだろう。私の修理が終わるまで、あとはのんびり待っていてくれればいい」

「あはは……」


 再生に一週間かかるとはいえ、アルヴレイヴァの隣で三日も過ごさなければならないことが決定した。


「ご安心ください。仮にアルヴレイヴァが復活しても、私が再度首を刎ねます」

「その時はよろしくね……」


 ぽん、と胸を叩くユリに、割と真面目にお願いする。僕は他の三人と違って、そこまで肝が据わっていないのだ。


「それじゃあ今度こそリフレッシュして来る。後は頼んだぞ」


 そう言って、聖女様は再び整備室の中へと入っていった。またダンジョン中から魔力がかき集められて、整備室へと送り込まれる。けれど、アルヴレイヴァの存在感が凄まじいのか、やはり魔獣の群れが襲って来ることはなかった。


「な、なんなんだろう。この展開は」


 予想だにしていなかった流れに戸惑いが隠せない。けれど呆然と立ち尽くしているのは僕だけで、アヤメは早速扉の前の陣地を整え始めているし、ユリは裁縫セットを取り出すと、破れたメイド服の補修を始めた。二人とも切り替えが早すぎる。


「うぅ。これ、本当に一週間は動かないんだよね」

「頭が戻るまで一週間とのことでしたので、それよりも早く活動は再開する可能性はありますね」

「そんな怖いこと言わないでよ……!」


 アルヴレイヴァの長い胴体を眺めつつ淡々と言うアヤメに思わず文句をつける。そんなの聞かされて、真横で眠れるわけがない。


「ヤック様、不安でしたら私がハグをしましょう。人間はハグによって精神の安定を図ることができるようです」

「だ、大丈夫だから!」


 さっと両腕を開いて迫るアヤメから逃げる。別に誰かに見られるわけでもないけれど、お姫様抱っこに続いてハグまでされたら、マスターとしての威厳が全部なくなってしまうような気がする。元々そんなものはないと言われたらおしまいだけど。

 アルヴレイヴァの死体――厳密には死んではいないけど――の効果は凄まじい。聖女様の言った通り、魔獣はまるで絶滅したかのように姿ひとつ見せなくなった。おかげでこれまでとは一転して退屈な時間が始まった。


「ダンジョンの中でこんなに気を抜くなんて……」

「仕方ありません。人間の集中力は一時間程度しか持続しないという説もありますから」


 整備室の扉の前に座り込んで、ぼんやりと天井を眺める。アヤメは一応特殊破壊兵装も装備して警戒しているけれど、ユリは内職に熱中している。手に入れた特殊破壊兵装“堅緻穿空の疾風槍”は格納され、輝く徽章となって彼女の胸元に飾られていた。


「魔獣がいないと、本当に退屈だなぁ」


 同業者に聞かれたら鬼のように怒られそうな言葉まで溢してしまう。それほどまでに、時間が無為に過ぎていくのだ。聖女様は今頃、どうなっているのだろう。あの作業台の上に横たわり、無数の機械の手によって傷を癒されているのだろうか。

 そんなことにぼんやりと思いを馳せていた、その時だった。


「っ!」

「ユリ、槍を」

「はっ」


 突如として空気が変わる。弛緩していたものが急激に張り詰める。緊迫した雰囲気のなか、アヤメは冷静に拳を構え、ユリも槍を展開した。

 彼女たちはアルヴレイヴァの骸の向こう、通路の奥を睨む。薄暗い闇の奥から、銀の光が近づいてきていた。


「あれは……」


 細長い体躯に、四本の足。鳥のような鉤爪を持つ。銀の鱗に身を包み、悠然とした姿でこちらへ歩み寄ってくる。

 その姿を見るのは二度目だった。

 第五階層の水場に現れた強化魔獣。アルヴレイヴァではなく、オルトリーベンやペストリゴールでもない。その名前は――。


「シルレイル……!」


 “銀龍の聖祠”で自由を謳歌する四体の最強。その一角。

 聖女様の言葉によれば、アルヴレイヴァと対をなし、極冷の波動を宿す者。静かなる傍観者。そして、銀の光を纏う者。

 その姿を初めて真正面から捉えた。ただそれだけなのに、僕の体は凍りついたように動かなくなった。アヤメも、ユリも、臨戦態勢に入っているものの、微動だにしない。指先でも動けば、終わる。明確にそう確信していた。

 シルレイルはそんな僕らを眺めながら、ゆっくりと近づいてくる。そして、アルヴレイヴァの手前で立ち止まった。


「……」


 冷たい無言の時間が流れる。

 強化魔獣はまず間違いなく高い知性を有している。理性すら感じさせる、透き通った瞳だ。突然人の言葉を話し始めても、驚かないだろう。

 シルレイルは不意に僕らから視線を外し、アルヴレイヴァに口を近づける。そして――。


「っ!?」


 大きく裂けるように開いた顎が、アルヴレイヴァに食らいついた。硬い鱗もものともせず、まるで砂糖菓子を噛み砕くかのように簡単に、同じ強化魔獣の肉を喰らう。

 静寂のなかに響く咀嚼音を、僕たちはただ微動だにせず聞かされていた。

 シルレイルはアルヴレイヴァを喰っている。そしておそらく、アルヴレイヴァもまた、シルレイルを喰っていたのだろう。オルトリーベンやペストリゴールも同じく。

 彼らもまた、四つの均衡が保たれるよう、お互いの力を削いでいた。


「シルレイル……」


 アルヴレイヴァの肋骨が露出する。思わず声を漏らすと、シルレイルは咀嚼を止めて顔を上げた。その水晶のような目が、じっと僕を見る。

 きっと、シルレイルはアルヴレイヴァを殺さない。殺さず、生かさず。ギリギリを見極めて喰っている。魔石によって命が繋がる、ギリギリの分水嶺を知っている。シルレイルがアルヴレイヴァの身を喰らい、その力をつける。そうなれば、次はシルレイルが他の強化魔獣に喰らわれるのだろう。そうして、四体の魔獣の中で力が巡っていく。循環が、均衡を保つ。

 シルレイルが身を翻し、来た道を去っていく。その姿が消えるまで、僕たちはまだ動くことができなかった。


「――ぷはっ」


 無意識のまま呼吸まで止めていた。シルレイルの姿が見えなくなると同時にプレッシャーが掻き消え、僕は膝から崩れ落ちた。


「あれが強化魔獣か……」


 現れたのがアルヴレイヴァで良かった。そう心の底から思った。

 無惨にも骸を晒すこの炎蛇が、強化魔獣の中では最弱。――とりあえず、現段階ではそうなのだ。


「まったく、魔獣ってやつは」


 どんな図鑑にもあんな存在については書かれていない。明らかに異質。生命としての本質を違えている存在。そんなものが居たと主張しても、きっと聞く耳すら持たれないだろう。

 いっそ笑いたくなるような現実に、僕は乾いた笑いを漏らすのだった。

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