第61話「バトルソルジャークッキング」

 アレクトリアの大神殿では神官が大勢暮らしている。僕たちが部屋を借りている宿舎も、本来は彼らのためのもの。そして、多くの神官が集団生活を送っているだけあって、煮炊きのできるキッチンもしっかりと整備されていた。


「ハウスキーパーはマスターの護衛だけが業務ではありません。その目覚めから就寝まで、その生活の全てに奉仕し、煩わしい雑事に気を揉ませることのないよう、先んじて立ち回ることこそが使命です」


 その日はダンジョン内での修行も一休みして、アヤメたちは大神殿の裏手にあるキッチンの一角を借りていた。綺麗なメイド服をしっかりと着こなした彼女の手にはよく研がれた包丁。そして、ユリが真剣な表情で相対している。

 僕は用意されたテーブルに向かって、ちょこんと椅子に座ってそんな二人の様子を窺う。昼下がり、神官たちの昼食も終わってひとけの無い厨房に、ピリッとした緊張感が張り詰めている。


「特に掃除、洗濯、料理は奉仕の基本。今日は料理について教えます」

「よろしくお願いします」


 毅然としたアヤメに、ユリも鋭く頷く。作業台の上には、今朝買い揃えた野菜や肉がいくつも並べられていた。包丁以外の調理道具も全て揃い、準備は万端といったところか。

 第四階層での修行がひと段落し、アヤメが新たな修行を言い出した。それが、今回の料理だ。

 確かに彼女は普段から美味しい料理を作ってくれる。ダンジョン内での料理当番は僕だけど、それ以外は全てアヤメに頼り切りだ。アヤメに言わせれば、料理を作ることもハウスキーパーとして大事な使命だということらしい。


「でも、ユリは料理とかしたことあるの?」

「いいえ。全くありません」


 少し不安になって尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。そもそも彼女たちは普通に過ごす分には食事を必要としない。聖女様の側仕えとして暮らしてきたユリが、料理をしなければいけない状況というのがそもそもない。

 実際、彼女はアヤメから渡された包丁を握っても、剣を持つかのような気迫を見せている。


「まずはニンジンを切ってみましょう」

「はい」


 ドガガガガガガガッ!


「えっ。なに今の」


 ものすごい音がして目を丸くする。見れば、作業台に置かれたまな板が無数に薄くスライスされていた。一応、おまけのようにその上に乗っていたニンジンも一緒に。


「ユリ、まな板は切ってはなりません」

「そうでしたか。以後気をつけます」

「えええ……」


 ユリはバトルソルジャー。彼女の力はすべて魔獣を撃ち倒すことを目的としている。

 いや、だからと言ってまな板ごと薄切りにする意味はあんまり分からないけれど。


「切り方も一つ一つ教えます。しっかりと覚えるように」

「分かりました」


 向こう側が透けて見えるほどの薄さにスライスされたまな板の残骸が撤去され、新たなまな板とニンジンが用意される。今度はアヤメがまず手本を見せてから切らせるようだ。

 トトトトトッ、と軽やかなリズムと共にニンジンが輪切りになっていく。その様子をユリも真剣な表情で見ていた。


「さあ、残りをやってみてください」

「はい」


 カカカカカカカッ!


「おお、すごい!」


 心配で目を離せないでいたけれど、ユリは二度目でまな板を切らずにニンジンを輪切りにした。思わず手を叩くと、彼女は嬉しそうに笑った。


「……これではダメですね」


 しかし、横からアヤメが手を出し、ニンジンをつまむ。端を掴み上げると、薄くつながったものが垂れ下がった。うまく切れたように見えて、切り切れていない。


「刃物の扱いは不得手ですか?」

「剣で魔獣を切るのは得意です」


 やっぱり料理と狩りでは勝手が違うらしい。

 しょんぼりと肩を落とすユリだが、アヤメは諦めない。


「もう一度手本を見せます。そのままトレースしても意味はありません。動きの理屈を理解して、最適化しなさい」

「分かりました」


 再び軽快な音。ニンジンがちょうどいい大きさに切られる。


「今日はシチューかな」


 グツグツと煮込んでしまえば多少の不恰好も気にならない。僕は夕食の献立を考えながら、頑張って包丁を扱うユリに声援を送った。

 バトルソルジャーもただ全力を出せばいいというものではない。そこには技術があるし、緩急を織りなす動きがある。ユリもアヤメが根気よく教えていくと、メキメキと上達していった。

 元々、彼女もそれができるだけの脳力はあるのだ。あとは、力の使い方を覚えればいい。


「肉は筋を切り、余計な脂も落とします。下拵えの手間を惜しまないように」

「火加減をよく見て。全て強火で行えば良いというわけではありません。焦げ付いたら全てが無駄になります」

「調味料の分量はわずかでも料理の味を左右します。より慎重に」


 アヤメはユリに付きっきりで、ひとつひとつ丁寧に教えていく。ユリもそれを素直に聞いて、調理を進める。やがて、厨房に食欲を掻き立てる美味しそうないい匂いが漂い始めた。

 僕がそのまま入れそうな大鍋で、美味しそうなシチューが煮込まれている。流石にこの量を三人では食べ切れない。これは厨房を借りているお礼もかねて、神殿の人たちにもお裾分けする予定だ。


「順調ですね。あとはそのまま――」

「少しアレンジを加えます。この魚醤を加えれば、味に深みがでるはずです」

「ちょっ、ユリ!?」


 アヤメも油断したその時、ユリがあまりにも自然な所作で戸棚にあった壺を手に取り、大鍋に中身を投下する。生臭い魚を熟成させた調味料が、どぼんとシチューに沈んだ。

 白濁して美味しそうな匂いを漂わせていたシチューが、一気に灰色に変わる。鼻をつく独特なクセのある匂いが、これまでの穏やかな空気を塗りつぶした。


「ユリ」

「……おかしい。私の予測では、少し加えるだけだったのですが」


 手が滑りました、とユリ。

 なるほど、手が滑ったのなら仕方がない。――とは、アヤメは思わなかったらしい。彼女は極寒の氷のような視線をユリに向けていた。


「独自のアレンジは、基本を忠実に再現できるようになってからです。あなたはまだ味覚データも習熟していない。そのような状態で美味しい料理を作ることなど不可能です」

「っ。申し訳ありません」


 真正面から正論で殴られ、ユリは落ち込む。彼女に悪気がないのは分かるけれど、基本を修めずに特徴を出そうとしたのは、やはり悪手だった。


「これは、処分します。新しいものを作り直して……」

「ちょっと待って」


 大鍋を持ち上げようと手を伸ばしたユリを制止する。振り返る彼女たちをそこに留めおいて、僕は買いこんだ荷物の中から追加の食材を取りだす。

 魚醤自体はしっかりと味があって、うまく使えば美味しい調味料だ。だったら、そのクセを抑えて長所を伸ばすように補正してやればいい。匂いの強いハーブ類なんかを入れて、香辛料も加える。


「失敗したと思っても、諦めずに改善策を探していけばいいよ。そうすれば、もっと良いものができるかもしれない」


 見るからに落ち込んでいるユリを慰めながら、鍋をかき混ぜる。

 やがて、いくつものハーブや香辛料の匂いも立ち始め、魚醤の強い存在感も紛れてきた。試しに軽く味見をしつつ、塩や胡椒で更に整えていく。


「おお、何やら良い香りが」

「ロウドさん。こんにちは」


 そこへ見知った顔のお爺さんがやってくる。聖女様にも信頼を寄せられる大神殿の神官長ロウドさんだ。僕らが持ち帰った魔獣素材を買い取ってくれる人であり、宿舎や今回の厨房を手配してくれた人でもある。

 厨房の外まで広がる香りに気づいてやってきたようで、僕らが取り囲む大鍋を覗き込む。


「これは……」


 グツグツと煮えるそれを見て、ロウドさんは目を丸くする。

 ユリが身構えるなか、彼は相好を崩して豊かな顎鬚を撫でた。


「薬膳粥ですかな。なかなか、健康に良さそうですな」

「あはは。まあ、そんなところです」


 よし、なんとかギリギリ誤魔化せた。実際、薬草もいろいろ入れているし、間違ってはないだろう。

 夕食を楽しみにしている。そう言ってロウドさんは去っていく。その背中を見送って、僕とユリは揃って息を吐き出した。

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