第57話「致命的な弱点」
「ユリ! そのスラッグドッグ何かおかしい!」
「承知しております!」
忠告も虚しく、ユリは赤髪を広げて走る。通路の向こうからやってくるスラッグドッグも加速し、両者は瞬く間に衝突した。
「はぁっ!」
「ガァアアッ!」
ユリの槍が突き出され、犬の喉元を狙う。だが、向こうも身を捩り、紙一重でそれを避けた。スラグドッグの固い鉄の牙が槍に噛み付く。そのまま強引に、ユリの手から落とそうとしているようだった。
ユリは足を踏み出し、それに耐える。どころか、スラッグドッグの体重と勢いを活かすように槍を振り、その小柄な体をダンジョンの固い壁に叩きつけた。
「ギャンッ!」
たまらずスラッグドッグが悲鳴をあげ、槍から口を離す。その隙にユリは槍を引き、再び狙いを定める。
床に転がり、素早く跳ね起きたスラッグドッグの禍々しい眼が彼女を睨む。
一瞬の視線の交錯。
直後、再び鋭く槍が突き出される。スラッグドッグがそれを避けようとする。だが、敵に対して正面に構えられた槍はその間合いを計りづらい。スラッグドッグの回避は僅かに遅れて、その剛毛を鋭利な切先が散らした。
「はぁあああっ!」
更にユリは油断なく追撃を加える。槍を振るい、スラッグドッグの体内へと深く捩じ込んだ。魔獣の悲痛な断末魔が響き、そして途絶えた。
床に斃れ、赤黒い血を広げる魔犬。それが呼吸していないことを確認し、念入りに首を貫いてから、ユリはこちらへ振り返った。
「周囲に敵の気配なし。敵性存在の撃破、完了しました」
白い頬に返り血が少し付いている。けれど、怪我らしい怪我はなさそうだ。
「ありがとう、ユリ。やっぱり、ちゃんと戦えるんだね」
「もちろんです。私はバトルソルジャーですので」
彼女の槍捌きは、門外漢の僕でも惚れ惚れするものだった。普通の戦場と違って、狭いダンジョン内で槍を扱うにはそれなりの修練を必要とするものだけど、ユリの動きはすでに達人と言っていいほどに洗練されていた。
さっきの模擬戦は相手が悪かっただけで、彼女も決して弱いわけではない。むしろ、僕なんかよりよっぽど腕が立つ。
「なるほど、確かに技量は十分にあるようです」
そばで見ていたアヤメも、ユリの戦いぶりを認める。やっぱりバトルソルジャーというだけあって、魔獣との戦いには何ら不安はなさそうだ。
――と、思っていたのだけれど。
「しかし、あなたの戦い方には致命的な点があります」
「アヤメ!?」
「……なんでしょうか?」
予想外のアヤメの言葉に、思わず目を丸くする。ユリもアヤメの方をじっと見て、その理由を鋭く追及していた。そんななか、アヤメは泰然とした態度を崩さずに語る。
「あなたの戦い方は、バトルソルジャーそのものです」
「そこに何の問題があるのでしょうか」
「仮にあの魔獣が目標をあなたからヤック様に移した場合、あなたはお守りすることができますか?」
「……それは」
アヤメの指摘を受けて、ユリは言い淀む。僕は目の前で繰り広げられる問答を理解しきれず、首を傾げることしかできないでいた。
「私はBS-02F036L01からあなたの教育を頼まれました。しかし、バトルソルジャーとして育てるのではなく、ハウスキーパーとして育てるという条件付きです」
「私の戦い方は、ハウスキーパーのそれではないと?」
アヤメは頷く。そして、先ほどの戦闘を再現するように、ユリがいた場所に立つ。
「この位置では、咄嗟にマスターを守ることができません。あくまで、ハウスキーパーが優先すべきはマスターの安全です。最初の一突きで仕留め損なった場合は、マスターの盾となれるように立ち位置を調整します」
「で、でもアヤメ。ユリはちゃんと倒してくれたし……」
「結果ではなく、過程が重要なのです」
「うぐぅ」
ユリをフォローしようと口を挟むも、ぴしゃりと封じられてしまった。アヤメはハウスキーパーとしての矜持があるのか、その説明にも熱がこもっている。結局、守られる対象である僕は、何も口を挟めなかった。
「まずは立ち位置を常に把握するところからですね」
「……わかりました」
ハウスキーパーとバトルソルジャーでは、戦い方も大きく異なる。ユリはそんな事実に少なからず戸惑いを覚えているようだったけれど、それでも健気にアヤメに従っていた。
そんな彼女を応援しつつ、僕はひとまず倒されたスラッグドッグの元へと向かう。せっかくだし、解体して魔獣素材を手に入れておこう。アレクトリアの探索者ギルドで買い取ってくれるか、というか持ち込んでいいのか分からないけれど。
ナイフを取り出して、スラッグドッグの前にしゃがみ込む。やっぱり、この牙はどの図鑑にも載っていない特異な形質だ。それも、このダンジョンの元々の機能と関連しているのだろうか。
そんなことを考えていたからか、僕は少し反応が遅れてしまった。
「――ガァアアッ!」
「えっ」
通路の奥から、猛烈な勢いで近づいてくる足音。それが仲間の死臭に引き寄せられたスラッグドッグたちのものであると気付いたのは、彼らが僕に飛びかかってくる、その時だった。
避けられない。ギザギザの牙が迫る。
「ふんっ」
「ギャアアアッ!?」
「ギャンッ!?」
「キャウンッ!」
その鋭利な切先が僕に届く直前、後ろから飛び出してきた黒い影が、三匹の魔犬をまとめて突き飛ばす。籠手を握りしめたアヤメの鉄拳が炸裂したと理解したのは数秒後のことだ。
「あ、アヤメ……」
「――このように、マスターにいつ危機が迫っても確実に守ることができるよう、立ち位置を常に意識しなさい」
一撃で魔犬を壁のシミに変えたアヤメは平然と振り返る。彼女の鮮やかな手腕を目の当たりにしたユリは、その言葉の意味を言葉ではなく身体で理解できたようだった。
「ヤック様、私たちの索敵にも限界はあります。常に油断なさらぬように」
「ごめん。アヤメたちが一緒だから、つい安心しちゃって……」
「もちろん。ヤック様のことは万全の体制でお守りします。お任せください」
「えっ、うん。ありがとうね?」
とはいえ、あんな魔獣の接近に間近まで気付かないのは、流石に僕も気が緩みすぎだ。アヤメにユリという仲間も増えて、弛んでいる。僕はアヤメの言葉を素直に受け止めて、改めて気を引き締めることにした。
「それではユリ、今後はヤック様との位置を意識しながら戦えるようになりなさい」
「了解しました。――ヤック様、よろしくお願いします」
アヤメの助言を受けて、ユリも再びやる気を見せる。そんな彼女に促されるまま、僕たちは“銀龍の聖祠”の更に奥へと進んでいった。
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