第56話「先輩の実力」

 ユリの手から槍は離れ、遠く床の上に転がっている。彼女の懐に潜り込み、肉薄したアヤメの鋭い手刀が喉元にまで迫っている。二人とも、その姿勢のまま微動だにしない。どちらが優位にあるのか、誰の目にも明らかだった。


「……参りました」


 力なく項垂れながら、ユリが降参の意を示す。戦闘特化型である自分が、そうではないアヤメに負けてしまった。それも、直前にあれだけ啖呵を切った上で。彼女の心情は推し量れば、その落胆も致し方ない。

 一方のアヤメといえば勝利に喜ぶ様子もなく、静かに構えを解いている。息を乱しているわけでもない。まだまだ全力というには程遠い。


「なるほど。なかなか強いじゃないか」

「ありがとうございます」


 試合というには一方的すぎる戦いをそばで見ていた聖女様が、手を叩きながら二人の元へと歩み寄る。ユリが瞬殺されたわりに、彼女の言葉は楽しげだ。アヤメの淡白な返事も気にする様子はなく、ニヤニヤと笑っている。


「申し訳ありません。不甲斐ない姿をお見せしてしまいました」

「何を言ってるんだ。アヤメはハウスキーパーと言えど隊長クラスで、長年の経験がある。一方でお前は実戦経験は皆無に等しい。いくら機体性能が高くても、それが使えないのなら、結果は分かり切っていたことだ」


 陳謝するユリに対して聖女様は冷静だ。彼女の言葉は一切容赦がなく、僕の方が遮りたくなってしまうほどだった。けれど、そこに嘘や偽りもまたないのだろう。

 ユリは確かに聖女様と同じ体、同じ顔、同じ能力を持っている。けれど、積み上げてきた経験は全く異なる。潜在能力は高くとも、それを扱うだけの技量がない。


「だからこそ、お前はアヤメの下で鍛錬を積むんだ。私の後継者に相応しいだけの力を磨け」

「分かりました。必ずや、成し遂げてみせましょう」


 聖女様の率直な激励を受けて、ユリも瞳に闘志の炎を燃やす。少し落ち込んでいたのも、すっかり立ち直れたようだ。


「それじゃあ、アヤメ。早速頼む」

「もとよりそのつもりです。ヤック様、第四階層へと向かいましょう」


 ユリがアヤメとの実力を思い知ったところで、ついに実戦へと移る。

 僕はアヤメたちと共に、“銀龍の聖祠”の地下へと足を向けた。


「ヤック殿」


 その間際、不意に聖女様から呼び止められる。振り返ると、思ったよりも近くに彼女がいて少したじろぐ。そんな僕の肩に手を置いて、聖女様はそっと囁くように言った。


「――ユリのことを、よろしく頼む。戦うことだけじゃない、楽しいことも教えてやってくれ」

「えっ」


 どういう意味か聞き返そうにも、聖女様は薄く笑って離れていってしまった。アヤメたちも先に進んでしまっている。結局、僕は詳しいことは何も聞けずに、聖女様と分かれる。

 何千年もの間、一人孤独に戦い続けてきた聖女様。彼女は自分と同じ機体であるユリに、何を求めているのだろうか。


━━━━━


 “銀龍の聖祠”第四階層までは、また長い階段を下っていく。僕はいつもの迷宮に潜る時の装備に身を固め、背中にリュックサックも背負っている。アヤメはいつものメイド服を着て、両腕に特殊破壊兵装“万物崩壊の破城籠手”も装着している。


「アヤメ、それはずっと展開してても大丈夫なの?」


 ダンジョンの構造や、ダンジョンコアまで破壊できる特殊破壊兵装は強力な武器だけど、その代償として常に大量の魔力を消費する。だから基本的には展開させず、アヤメの胸元に徽章の形で飾られているのがいつもの形だった。


「問題ありません。“銀龍の聖祠”は空気中のマギウリウス濃度が高いため、通常展開状態であれば常時維持可能です」

「なるほどね」


 たしかに、言われてみればダンジョン内の空気が重苦しい。

 僕は本職の魔法使いではないから詳しいことは分からないけれど、“老鬼の牙城”よりも魔力濃度が高いことは察せられた。

 魔力、もといマギウリウス粒子はアヤメやユリたち機装兵の力の源だ。だからこそ、これが充満しているダンジョン内で彼女たちは強い力を発揮できる。逆に言えば、ダンジョン外などの魔力濃度が低いところでは、あまり力を出せない。

 “銀龍の聖祠”は人の出入りもほとんどなく、聖女様が一人でその環境を維持していたからか、他のダンジョンと比べても魔力濃度は高めになっているのだろう。


「マギウリウス濃度が高いのは鍛錬を積む上では好都合です。自己修復機能も十全に働きますし、出力も安定しますから」


 人によっては魔力酔いといって具合が悪くなることもあるのだけれど、アヤメたちには関係なさそうだ。いつもより元気そうに、長い階段も軽やかに下っている。


「次こそは私もバトルソルジャーとしての力をお見せしましょう。魔獣相手であれば、戦闘経験もあります」


 さっきの模擬戦で火がついたのか、ユリも気合十分だ。鉄製の槍を片手に、肩をいからせて歩いている。


「二人とも、とりあえず怪我はしないでね」


 いくらすぐに傷が癒えるとしても、二人が傷付くのは見たくない。そう思って言うと、前を歩いていた二人が一斉に振り返った。


「ヤック様……。私はあなたのハウスキーパーです。ご心配いただけるのはとても嬉しく思いますが、万が一の際には我が身に替えても貴方をお守りします」

「バトルソルジャーは戦い、傷付くことで強くなりますので。戦いの中の負傷は問題ありません」

「うーん。そういう事じゃないんだけどなぁ」


 ハウスキーパーとバトルソルジャー。二人の中にある使命は違うけれど、やっぱり似ているところも多い。あまり僕の気持ちを分かってくれていないところも。

 とにかく気をつけて欲しいとと伝えると、二人も曖昧に頷く。そして、それからさほど間を置かず、僕たちは第四階層へと到着した。


「ここから先は危険です。マスター、十分にお気をつけて」

「うん。僕も探索者だからね。歩き方は分かってるよ」


 ユリの忠告に頷きながら、周囲を見渡す。

 探索者はダンジョン探索の専門家。たしかにそれは事実だ。けれど、慣れ親しんだダンジョンと別のところへやって来たら、自分の実力は半減したと思うべきだ。

 自然な洞窟のような構造が大部分を占めていた“老鬼の牙城”と、この“銀龍の聖祠”はかなり様相を異にしている。周囲には人工的で洗練された壁が並び、直線的な通路が入り組んでいる。環境、というよりは建築物。しかし、隠しきれない物々しさが滲み出している。

 僕は足音を殺し、周囲に意識を巡らせながら歩く。来た道はしっかりと記憶して、何かあったらすぐに帰ることができるように備える。ほとんど癖のようになってしまった、探索の基本だ。

 あらゆる可能性を想定しながら、安全を重視して進む。


「ユリ。この階層にはどのような魔獣が生息していますか」

「小型肉食の魔獣がほとんどです。戦略実験という施設の目的から、凶暴性が高く、戦闘能力の高いものが品種改良によって生み出されています」

「なるほど、了解しました」


 アヤメは焦燥も畏怖もしていないけれど、後ろで聞いている僕は足が竦みそうになるのを必死に耐えていた。小型の魔獣とだけ聞けば大した事ないと思うかもしれないが、その代わり機敏で獰猛な可能性は高い。むしろ小さめの魔獣の方が厄介だという探索者もかなり多いのだ。

 僕は剣の柄に手を添え、いつでも引き抜けるようにしておく。アヤメが唐突に足を止めたのは、その時だった。


「前方から足音。不明存在が接近中」

「魔獣、スラッグハウンドです。応戦します」


 前に動いたのはユリ。槍を構えて躍り出た彼女の眼前に、灰色の犬が飛び出してくる。スラッグハウンド。鉄のように固い爪と牙を持つ、凶暴な魔獣。しかも、その姿は僕の知識にあるものと少し変わっていた。


「ガァアアッ!」


 大きく口を開けて吠える鉄犬。ずらりと並ぶ牙は、より禍々しさを増した、ノコギリのような歯が付いていた。

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