第55話「新米ハウスキーパー」

 結局、昼食を挟みながら生地の検討は続き、買い物が終わったのは布帛通りの店が閉まり始めるギリギリのことだった。予算ぴったりに収めながらも大量の布束を買ったアヤメは、やっぱりいつもより少し軽い足取りで大神殿までの帰路に就いていた。


「ふぅ。疲れた……」

「申し訳ありません、ヤック様。わざわざこのような事に付き合っていただき、ありがとうございます」

「いいよいいよ。楽しそうなアヤメが見れたしね」

「そう、ですか」


 大神殿地下の部屋に戻り、ひと心地つく。アヤメの言葉に首を横に振って否定すると、彼女はぱちぱちと瞬いて自分の頬を摘んだ。どうやら、楽しそうにしていたという自覚はあまりないようだ。


「とはいえ、ずっと歩きっぱなしで少し疲れちゃった。先に寝てもいい?」

「はい。私とユリは、これから縫製に入りますので」

「うん。頑張ってね」


 買い物から帰ってすぐで忙しないけれど、僕もアヤメたちのことは少し分かってきた。彼女たちは、基本的にあまり睡眠を必要としない。不眠不休で何日も活動できるわけではないけれど、人間と比べたら驚くほどタフだ。

 僕がアヤメの動きについて行こうとしても、なかなか難しい。今ではすっかり諦めもついて、夜は先に寝ることにしていた。


「それでは、まずは基本の縫い方から」

「よろしくお願いします」


 僕が大きなあくびを一つ漏らして瞼を下げていく頃には、アヤメは早速ユリに裁縫の技術を教え始めていた。きっと、これから夜通し徹底的に知識を叩き込まれるのだろう。それができるだけの能力が、二人には備わっている。


「――ふわぁ」

「おはようございます、ヤック様」


 眠る時はしっかりと眠り、寝相が良く、目覚めもいい。それが良い探索者の条件だ。そんなわけで夢もほとんど見ずに朝まで眠った僕は、気持ちの良い目覚めを迎える大神殿の地下にある部屋の中では太陽も見えないけれど、おそらく時間通りに起きられたはずだ。

 体を起こすと、すでに起きていた――というかおそらく眠っていないアヤメに声を掛けられる。


「おはよう、アヤメ。っと」


 そちらへ振り向き、僕は少しだけ残っていた眠気を一気に吹き飛ばす。


「おはようございます、マスター」


 そこに立っていたのは、ユリだった。けれど、昨日とは装いが違う。仕立てられたばかりの白黒のメイド服を纏って立っている。


「どうでしょうか」


 アヤメに教えられながらも、自分で一針一針縫ったのだろう。ユリはいつもの凛々しい表情に少しの憂いを滲ませながら尋ねてくる。僕は目を擦り、そんな彼女のメイド服を改めてしっかりと見た。

 基本はやはり、アヤメのそれと良く似ている。けれど、ユリは戦闘特化で、特に激しい動きをするからか、スカートの前側が大胆に開いている。これなら、大きく蹴り上げるような動きをしても邪魔にはならないだろう。とはいえ、おかげで彼女の長い足も露わになっていて、少し気恥ずかしくて真っ直ぐ見れない。

 胸を包む上着は厚手の生地で、しっかりとしている。もちろん、赤髪の上ではふんわりとした白いヘッドドレスが立っている。

 全体的に、すっきりとした印象に纏められた、格好良さも備えたメイド服だ。


「うん。すごく似合ってるよ。とっても可愛い」

「ありがとうございます」


 率直な言葉を伝えると、ユリは少し口元を緩める。初めて自分で縫った服だ。思い入れもあるだろう。


「細部を見れば、まだ改善すべき点はあります。とはいえ、ハウスキーパーとして恥ずかしくない装いにはなりました」


 彼女を指導したアヤメもどこか満足げだ。部屋には作業の跡と思わしき端切れ山のように積み上げられている。やはり、そう簡単に作られたわけではないのだろう。


「これからは、その装いに相応しい能力を磨いていくことになります」

「分かりました。――よろしくお願いします」


 休む暇もないアヤメの言葉に、ユリも熱く気合いをたぎらせて付いていく。

 どうやら、この一日ですっかり師弟関係も構築されているようだ。


「それじゃあ、今日から早速ダンジョンに潜ることになるの?」

「はい。しかし、まずはユリの現在の力量を把握しなければなりません。第三階層で模擬戦闘を行います」


 ユリを鍛えるにも、まずか彼女の実力を見極めるところから。なるほど、確かにその通りだ。

 どうやって力量を測るのかと言えば、“銀龍の聖祠”の第三階層――聖女様と会ったあの場所で、アヤメとユリが直接戦うらしい。


「アヤメ、一つだけ忠告しておきます」


 メイド服を着て、どこか自信に満ちた様子のユリが口を開く。彼女は好戦的な目をアヤメに向けていた。


「私はバトルソルジャー。ハウスキーパーとは違い、根本的な設計段階から戦闘に特化されています。経験は浅いとはいえ……」

「言葉は不要です。全て、自身の技量で示してください」


 しかし、ユリの言葉をアヤメは遮る。

 口を噤んだユリを連れて、彼女は部屋を出る。僕は自分の存在感がどんどん希薄になっていくのを自覚しながら、物々しい雰囲気の二人と共に、大神殿の地下へと続く長い階段を降りていった。


「あれ、聖女様もいるんですね」


 第三階層にたどり着くと、そこには聖女様もいた。変わらず白い服を着て、にこやかな笑顔だ。


「別に四六時中魔獣と戦っているわけじゃない。それより、そろそろ本格的に動き出すんだろう?」

「ええ。まずはユリの実力を見極めるため、アヤメと模擬戦をするみたいで」

「なるほど。それは楽しみだ」


 彼女は早速見物を決めたようで、広い部屋の中央に立って向かい合う二人に目を向けた。

 何千年もの長きにわたって、魔獣の猛攻を単身で抑え続けてきた聖女様は、まさしく戦いの専門家だ。そんな彼女と同型機であるユリは、当然同じだけのポテンシャルを秘めている。

 ユリは武器として槍を手にしていた。槍と言っても、おそらくダンジョンの残骸の中から取ってきたような、ほとんど廃材に近い鉄の棒だ。ただ、その硬さは僕の常識を遥かに超えている。あれも見方を変えれば迷宮遺物と言えるだろう。

 そんな相手を前にしながら、アヤメはやはり冷静沈着そのものだ。武器も持たず、特殊破壊兵装も徽章として胸元に飾り、拳を構えている。


「武装はしないのですか?」

「――あなたを破損させてしまうのは本意ではありませんので」


 アヤメの言葉は鋭い刃のようだった。ユリは目をわずかに揺らす。けれど、直後には口の端をきつく結び、槍を真っ直ぐに構えた。臨戦態勢だ。


「聖女様は、どちらが勝つと?」

「うん? そりゃあ、もちろん――」


 合図もなく、戦いは始まる。火蓋を切ったのはユリだった。


「はぁああっ!」


 鋭い声を上げながら、勢いよく走り出す。数メトも離れていない両者の距離は一瞬で詰められる。更に、彼女の持つ槍はその長さの分だけ間合いを広げる。アヤメの拳が届く範囲の外側から、一方的に攻めることができる。

 この戦い、どう考えてもユリの圧倒的有利に見えた。けれど。


「――アヤメが圧勝するだろう」


 槍が弾かれ、ユリの手から離れる。メイド服が翻ったかと思うと、アヤメの位置が一瞬で変わっていた。鋭く指の伸びた手刀が、ユリの喉元に迫る。たった数秒、刹那の攻防。

 僕が瞬きをする間に、勝敗は決していた。

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