第54話「ハウスキーパーの基本」

 翌朝。ユリを加えて三人となり、大神殿の宿泊所で一夜を明かした僕たちは、早速町へ繰り出すこととなった。ユリは白い衣服こそ変わらないものの、覆面は外して素顔を露わにしている。それで大丈夫なのかと少し不安になったけれど、聖女様の顔を知る人はいないため、問題はないのだという。それよりも、覆面をしたままの方が怪しく見られてしまうというのは、確かにそうだった。


「それで、今日はメイド服を作るの?」

「はい。メイド服はハウスキーパーの基本であり、前提ですから」


 昨日と同じ店で朝食をとりながら、改めて今日の予定を確認する。僕の聞き間違いという可能性も考えていたけれど、アヤメはしっかりと頷いた。

 たしかにユリのための服を用意する必要はある。けれど、メイド服は明らかに戦闘向きではない。アヤメは“老鬼の牙城”で目覚めた時からメイド服を着ているから違和感もなくなっていたけれど、そもそもダンジョンに潜る時の装いではない。


「普通に鎧とか買うのはダメなの?」

「ダメです」

「そっかぁ」


 珍しく強硬な姿勢を見せるアヤメ。どうやら、メイド服にはかなりのこだわりがあるらしい。

 彼女が着ているのは、丈も長くて落ち着いたデザインの黒いドレスと白いエプロンだ。動きにくそうなものだけれど、アヤメはその服装のまま、返り血で汚すこともなく鮮やかに戦ってみせている。

 それでいて、メイド服自体は特別な生地や素材が使われているというわけではないらしい。たまに銭湯の余波で破れてしまうこともあるけれど、彼女は自前の裁縫道具を使って器用に直している。


「私には裁縫技術はインストールされていませんが」


 囲炉裏で焼いてもらった魚を食べていると、ユリが静かに手を上げて口を開く。

 聞けば、戦闘に特化した機装兵である彼女は、家事全般も得意なハウスキーパーのアヤメとは違って、そういう細々とした仕事はできないと言う。しかし、アヤメは厳しかった。


「問題ありません。BS-02F036N78は自己学習能力があるのでしょう。であれば、私が教育します」

「そうですか……」


 できないなら、できるようになれ。なんともシンプルな言葉だった。

 ユリも僕と契約を結び、アヤメの指導下に置かれたからには、それを拒否することもできない。結局、素直にこくりと頷くほかなかった。


「となると、布地とかが必要なのかな」

「そうなります。申し訳ありませんが、必要経費としていただけますか?」

「いいよいいよ。懐には多少余裕もあるからね」


 アヤメのおかげでパーティの財政状況には余裕がある。布地を買うくらいなら問題はないはずだ。そうと決まれば店に行かないといけないけれど、生憎僕はそういった店に縁がない。

 とりあえず地元の人に聞けばいいだろうということで、僕は酒場のおじさんに声を掛けることにした。昨日は酔っ払ってしまったけれど、今日はお酒も飲んでいないので呂律もちゃんと回るだろう。


「おい、兄ちゃん。昨日の今日で美人さんが一人増えてねぇか?」

「ええっと……」


 カウンターに近づくと、開口一番そんなことを尋ねられる。冷静に考えれば、確かに聞きたくもなる。ただでさえアヤメみたいな美人のメイドを連れている探索者なんて目立つのだから。一夜明けて、そこに赤髪の美女が加わっていたら。


「ちょっと色々ありまして、仲間が増えたというか」

「色々ありすぎだろう」


 本当にね。

 とはいえ、聖女様とのやりとりを語るわけにもいかない。一応、昨日寝る前にある程度話を作ってはいるけれど。


「アヤメの親戚の妹で、武者修行中らしくて一緒に行動していると言う感じで」

「武者修行? 親戚? まあ、なんとなく雰囲気は似てるか……?」


 ダメだ。危惧していた通り余計に混乱が深まっている。

 とはいえ、混乱が一周回って誤魔化せそうだ。乾いた笑いと共に有耶無耶な言葉を続けていると、酒場の主人も分からないなりに納得してくれた。


「とりあえず、あの子のための服を作るところからという話になって。布地を売ってる店を教えて欲しいんです」

「布地ねぇ。それなら……」


 ようやく本題に入ると、店主は胡乱な顔をしながらも親切に教えてくれた。どうやら、そういった布製品なんかを取り扱っている店が並ぶ通りもあるらしい。そこに行けば、大抵のものは揃うだろうという話だった。


「まあ、なんだ。美人二人ってのは見てる分には羨ましいが、振り回されないように気を付けろよ」

「はい? まあ、分かりました」


 最後に、おじさんは何か含みのあることを言う。その真意までは汲み取れなかったけれど、ひとまず頷いておくと軽く肩を叩かれた。

 ともあれ、店の場所も聞けた。店主にお礼を言った後、僕はアヤメとユリを呼び寄せて店を出る。朝のアレクトリアへと繰り出しながら、僕はおじさんの言葉の意味に首を捻った。


「ヤック様、こちらとこちら、どちらが良いでしょうか」

「ええっと……」


 それから一時間もしないうちに、僕はおじさんの言葉の意味の一端を思い知る。

 やって来たのは町の一角にある商店街。革や糸、布地から衣服、鞄、馬具まで、様々な縫製品が揃う布帛通りと呼ばれるエリアだ。名前の通り、左右に連なる店の軒先には、多種多様な布がずらりと並んでいる。

 そんな布の祭典のような場所へとやってきたアヤメは、いつもより如実にテンションを上げていた。見た目にはほとんど変わらないけれど、明らかに動きが機敏になっているのだ。

 彼女は似たような二つの布を手に取って、真剣な表情で見比べている。僕にも意見を求められたけれど、正直どっちがどういうものかも分からない。目隠してシャッフルされたら、見分けられる自信がない。


「ユリはどっちがいい?」


 苦し紛れに、隣に立つユリに声をかける。彼女のメイド服の材料を探しているわけだし、これは逃げたわけじゃない。


「そうですね……」


 ユリも布地についてはあまり詳しくないようで、アヤメの提示した二つの布を真剣な表情で見比べている。


「こちらの方が少し糸が細くきめ細かい織目になっているんですね。とはいえ、そちらは厚手で頑丈そうです。軽量で滑らかな方が動きやすさは確保できますが、普段使いとなると、摩耗しにくい方がよい、ということでしょうか」

「あれ、ユリも結構詳しい!?」

「布地の状況から分析しただけです。特別な知識があるわけではありません」


 予想外に流暢な言葉が飛び出して、思わず目を丸くする。ユリは偉ぶる様子もなく淡々と言っているが、アヤメは満足したようだった。


「なるほど、一定の分析と推論はできるようですね。しかし、やはり縫製に関する情報が足りていません。まず、こちらの生地は表地に向いています。ただしやはり耐久性の面では不安が残り――」


 満足したはずのアヤメが、怒涛の勢いで話し始める。これはもう、僕は止められないものだ。ユリは真剣な表情をして聞いているし、問題はないだろう。

 手持ち無沙汰になった僕は雑多に布束の積み上げられた商品棚を見上げる。一言に布と言っても、その種類は千差万別だ。糸の種類だけでも綿、絹、麻、羊毛、さらに魔獣性のものあり、それらも更に細分化できる。そこに、織り方や染料、縮絨の有無なども加えると、もはや無限だ。

 僕がいま着ている服も、実のところアヤメが縫ってくれたものだ。彼女は知らない間に布束を買ってきて、僕が寝ている間に服を作ってくれることがある。古着以外の服を買おうとすると、服飾職人に採寸してもらって、縫ってもらうことになる。そうなると、かなりの値段になる高級品だ。だから僕は――将来大きくなる希望も込めて――大きめの古着を使っていたのだけれど、アヤメと出会ってからは快適な服を着られるようになった。

 まるで熟練の職人が緻密に測ったかのようにぴったりと僕の体に寄り添う服は、とても着心地がいい。その上に鎧を着てダンジョンに潜っても、ほとんど動きを邪魔しないというのも素晴らしいポイントだ。


「アヤメは裁縫が好きなんだなぁ」


 一度、わざわざこんな手間のかかることをしなくていいと言ったことがある。けれど、アヤメは自ら好んでやっていることだから、と答えた。今日のユリへの講義への熱の入りようを見ても、やっぱり彼女は裁縫が好きなのだろう。


「――というわけで、メイド服は素材を変えた四層構造で縫製することが理想的なのです」

「なるほど。完璧な理論です」


 僕がぼんやりとしている間に、講義もひと段落したらしい。アヤメが熱を吐き出すように大きく息をつき、ユリが真剣な表情で頷いている。


「よし、それじゃあ、どっちの布を買うの?」

「ヤック様。どちらも購入しませんよ」

「ええっ?」


 財布を取り出しながら近づくと、アヤメは首を傾げてこちらを見る。話が終わったから、てっきりどっちの布にするのか決まったのかと思ったけれど、思い違いだったらしい。


「まだ多くの店があります。まだ見ぬ布の中に、より理想的なものがある可能性は捨てきれません」

「えっ」

「まずは、一巡しましょう」

「えっ」

「購入する商品を決めるのは、情報収集の後、分析してからです」

「え」


 今、彼女はさらりと恐ろしいことを言った。

 この布帛通りに集結している専門店は、布地を売る店だけでも五十は下らない。それぞれが、数百の布束を売っているはずだ。彼女はそれを全部見てから、最適な生地を探そうとしているらしい。


「……まあ、うん。分かったよ。アヤメの気が済むまでやって」

「ありがとうございます、ヤック様」


 深々と頭を下げるアヤメ。ダンジョンでも長年荷物持ちをしてきたんだ。この程度、どうってことはない。僕はそう自分に言い聞かせながら、通りへ出ていくアヤメたちの後を追いかけた。

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