第52話「赤髪の騎士」
僕を置いたまま、僕の頭上で勝手に話が進んでいく。気がつけば、ユリさんとマスター契約を結ぶことになってしまっていた。いったい、何がどうなってこんなことに?
一人ぼんやりと呆けたままでいると、ユリさんが目の前に立っていた。彼女は覆面を外し、素顔をこちらに向けている。横で口角を上げて見守っている聖女様と全く同じ顔。なるほど、これは隠しておかなければ、人々は混乱してしまうだろう。
燃えるような赤髪が飾る精緻な顔。真面目な表情でこちらを見ている。
「ヤック様、私とマスター契約の締結をしてください」
「え、ええと……」
少し目つきの鋭い、力のある赤い瞳だ。アヤメとはまた違ったタイプの美人で、思わずしどろもどろになってしまう。
しかも、彼女から求められているのは仮マスター契約ではなくて、マスター契約だ。以前、アヤメとそれを結んだ時とはずいぶんと状況が違う。聖女様とアヤメに見守られるなか、アレをしないといけないのか。
「ご了承を、ヤック様」
ユリさんは、僕が頷かないと契約を進められない。そこに他意がないことはよく分かっている。彼女は機装兵、人間ではない。
これは“銀龍の聖祠”、ひいてはアレクトリアの未来のためにも重要なことだ。機体の破損した聖女様は、やがて魔獣を抑えきれなくなる。だからこそ、彼女が怪我を治すだけの時間を、ユリさんと稼がないといけない。
そうでなければ、待ち受けるのは凄まじい規模の
「――分かった。よろしくお願いします、ユリさん」
覚悟を決めなければ。この街の未来のためにも、ユリさんを迎え入れる。
「ありがとうございます。それでは、ブレードキーを」
誘われるまま、僕は鞘に収めて提げていた青刃の短剣を手にする。これ自体が、アヤメたちと同じ時代、旧時代の遺物だ。そして、これこそが僕とアヤメの関係を証明する唯一の品でもある。
ユリさんとの契約も、この短剣を使って行うらしい。
僕が差し出した短剣に彼女が指先で触れる。その瞬間、半透明の青い刃に細かな光が流れた。複雑に模様を描きながら、目まぐるしく変わっていく。まるで火花が弾けているかのようだ。
「マギウリウス粒子放射パターン認証を実行。対象を仮マスターとして承認。続いて、正式マスター契約段階へと移行」
ユリさんの口から感情の消えた声が漏れ出す。彼女の瞳の奥で光の粒子が流れていく。
「ヤック様」
「え、ええと……。やっぱり、するんだね」
彼女がこちらをじっと見つめてきた。以前、アヤメと正式なマスター契約を交わした時のことを否が応でも思い出してしまう。あれはやっぱり、回避できない必要な行為だったらしい。
「……分かったよ」
僕が頷くとすぐに彼女の細い指が頬を撫でた。薄く目を閉じたユリさんの顔が近づいてきて、視界を覆い隠す。
「ん――」
唇と唇が触れ合う。ユリさんの口からくぐもった声が漏れ出し、思わず肩を震わせてしまう。そうしている間に、僕の唾液が絡め取られ、そこにある情報が取り込まれる。
「登録完了。認証完了。――ヤック様をマスターとして登録しました」
唇が離れる。僕は頬を真っ赤にしているのに、ユリさんは平然としたまま、淡々と言葉を続けた。その差を感じて更に恥ずかしさが込み上げてきて、僕は慌てて両手で頬を叩いた。
「これからよろしくね、ユリさん」
「……ヤック様」
契約を結んだ証に、握手をしようと手を差し出す。けれど、ユリさんそれを取らずに、じっとこちらを見つめてきた。
何かまずいことをしただろうかと不安になっていると、彼女が口を開く。
「私のことは、ユリとお呼びください。アヤメと同じ待遇を望みます」
「えっ」
思ってもみなかったことで、少したじろぐ。アヤメの方を見ると、彼女はいつも通りの平然とした様子で立っていた。
たしかに彼女も僕と契約を交わしてくれたわけで、状況はアヤメとおんなじだ。だとしたら、名前を区別するというのもおかしな話なのかもしれない。なるほど、よし。
「じゃあユリ。改めて、これからよろしく」
「よろしくお願いします、ヤック様。我がマスター」
ユリさんが片膝を突き、僕の手を取る。そのまま手の甲に軽く唇で触れた。
まるでお伽話に出てくる騎士のような振る舞いだった。驚いて固まっていると、後ろから手が伸びてきて、僕の肩を引き寄せた。
「マスター契約も無事に締結されました。今後はユリをヤック様のハウスキーパーとして、私が責任を持って教育いたします」
「えっ? あ、うん。よろしくね?」
なぜだろう。アヤメの言葉から何か気迫のようなものを感じる。彼女も後輩ができて嬉しいのだろうか。なんにせよ、やる気に満ちてくれているのなら良いことだ。ユリはまだ経験の浅い、未熟な機装兵だと聖女様は言っていた。そんな彼女のために、アヤメも手取り足取り色々なことを教えてくれるはずだ。
それに、僕だって探索者。つまりダンジョン探索の専門家だ。ユリに教えられることも多少はあるはず。いつもはアヤメに助けてばかりの僕でも、少しはマスターらしく頼れるところを見せられるかもしれない。
「これで無事にユリにもマスターができたね。――ヤック殿、この役目を引き受けてくれてありがとう」
「いえ。その、頑張ります」
聖女様が立ち上がり、真剣な顔をこちらに向ける。
僕にはあまり実感のできないことだけど、機装兵にとってはマスターの存在というのが非常に大きいものらしい、ということはなんとなく理解している。彼女がわざわざ感謝の言葉を伝えてきたというのは、つまりそういうことだ。
「それじゃあ、ヤック殿。これから“銀龍の聖祠”に居座る敵について伝えよう」
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