第51話「聖女の願い」

 傷だらけの聖女様は、アヤメをまっすぐに見つめて言った。


「私がフルメンテナンスを完了させるまでの間、このダンジョンを抑えて欲しい」


 その声にアヤメは押し黙る。何かを考えているようで、頬が少し赤くなっていた。

 機装兵には負傷した箇所を自動で修復する機能が備わっている。アヤメも傷を受けた時にはマギウリウス粒子、つまり魔力濃度の濃いダンジョン内で休む。そうすれば傷が癒えるのだ。

 聖女様は想像を絶する長い時間、人知れずこの“銀龍の聖祠”で戦い続けてきた。それは、いかに彼女がアヤメのようなハウスキーパーよりも更に戦闘に特化しているバトルソルジャーという機体であっても、強い負担を強いるものだった。彼女の自動修復機能は壊れかけている。休まなければ、いずれ動かなくなってしまう。


「私は、あなたと比べれば戦闘能力で大きく劣ります。また、ヤック様をそのような危険な状況にすることはハウスキーパーとして看過できません」

「あ、アヤメ!? 僕は別に大丈夫だよ!」


 アヤメは聖女様の頼みを断った。まさかの事態に驚いて振り返ると、彼女の青い瞳と目があった。冗談で言っているわけではないらしい。あくまで彼女の優先順位は僕を守ることで、“銀龍の聖祠”がどうなろうと関係はないということか。

 けれど、聖女様はそんな彼女の答えも分かっていたようで、口元の笑みを崩さない。


「安心しな。アヤメだけでは荷が重いことは百も承知だ」


 そう言って、彼女は視線をずらす。その先に立っていたのは、僕たちをここまで案内してくれた人――ユリさんだ。


「矢面に立つのは、こっちだ。――ユリ」

「はい」


 聖女様の呼びかけに応じて、ユリさんがこちらへやってくる。聖女様と同じ白いゆったりとした服に身を包んだ彼女が、それを躊躇なくたくし上げた。


「うわぁっ!?」


 顔を背ける暇もなく、ユリさんの体が露わになる。服に隠されていたのは、女性らしい丸みを帯びた裸体。胸は大きく、上下に揺れている。けれど、その姿は明らかに人間のそれではなかった。

 白い皮膜に覆われて、金属製のフレームが体表を縁取っている。いっそ芸術的ですらある、人工物。

 聖女様とよく似ているわけだ。彼女もまた人間ではない。機装兵――バトルソルジャーなのだ。


「BS-02F036N78、コードネーム“ユリ”が代役を務めます」


 ユリさんはたくし上げていた服の裾から手を離し、さっと頭を下げる。


「ユリは私の同型機だ。とはいえ、製造番号でいうと後ろに近くて、経験値が足りない。私の代役を任せるには、少し不安が残る」


 聖女様の容赦ない言葉に、ユリさんは静かに佇むままだ。


「私にバトルソルジャーを育てろと」

「育つまでの補助をしてくれという話だ」


 僕の理解力の及ばない会話が、僕の頭上で繰り広げられる。アヤメと聖女様は、いったい何を言い合っているんだろう。

 バトルソルジャーは戦いの中で自己進化することで強くなる。けれど、ユリさんは聖女様ほどの経験がなく、そこまでの強さを獲得できていない。だから、アヤメに手伝ってもらいながら経験を積ませたい。そういう理解でいいのだろうか。


「アヤメとユリさんの二人なら、大丈夫なんじゃないかなぁ」

「おお、ヤック殿はそう言ってくれるか!」

「ヤック様」


 思わず言葉を漏らすと、二人の顔が一斉にこちらへ向く。聖女様は嬉しそうに笑っているし、アヤメは心なしか不機嫌そうだ。


「だ、だって、僕らが協力しないと聖女様は休めないんでしょ。そうしたら結局、魔獣侵攻スタンピードが発生しちゃうわけで、僕らにとっても良くない展開になる。それなら、ユリさんを手伝うべきだよ」

「それはそうですが……」


 いつもははっきりとした物言いのアヤメが珍しく言い淀む。その隙を逃すまいと、聖女様が大きく頷きながら僕の肩に腕を回してきた。布一枚だけを纏った彼女の体が密着して、頭のあたりが柔らかい感触に包まれる。

 ほ、本当に聖女様のこの体は戦闘に最適化されたものなんだろうか。


「ヤック殿の言うとおりだ。私のフルメンテナンスが終われば、また数千年は安泰だぞ」

「……私はバトルソルジャーの教育経験はありません。ハウスキーパーのトレーニングメソッドを流用する形となりますが、構いませんか?」

「むしろ歓迎するよ。私と同じように進化しても意味がないだろう」


 アヤメの問いかけに聖女様は即答する。それを見たアヤメがわずかに眉を動かした。


「同じような進化の果てにあるのは、同じような破滅だ。できるだけユリには多くの経験を積ませて、私には対処できないことに対処できるようにしたい」

「進化の袋小路に陥らないために、ですか」

「そういうことだ。バトルソルジャーがハウスキーパーの戦略を学習すれば、より柔軟なアプローチが取れる可能性もある。ぜひ頼む」


 僕を抱き抱えたまま、聖女様は真面目な声で言う。

 しばらくの沈黙の後、アヤメはゆっくりと頷いた。


「分かりました。貴女の依頼を引き受けましょう」


 ただし、と彼女は少し目つきを鋭くしながら、僕の手を掴んで引っ張った。


「うわわっ!?」


 勢い余って、今度はアヤメのメイド服に突っ込む。彼女はそのままがっちりと両手で僕を拘束して、体を密着させてきた。メイド服越しに、硬い機体の感触が伝わってくる。


「ユリの最優先護衛対象はヤック様になります。その点をご留意ください」

「もちろん。ぜひ、ヤック殿と契約をしてくれ」

「えっ? ええっ!?」


 僕の頭上で繰り広げられた会話の末に、何故かユリさんが僕と契約を結ぶ流れが決まってしまっていた。

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