第50話「傷だらけの守護者」

 “銀龍の聖祠”の底で僕らを出迎えたのは、アレクトリアの聖女様。

 その素顔を見た僕は驚きを隠せなかった。


「どうした。聖女の正体が人間じゃなくて意外だったのか?」


 聖女様は笑う。

 けれど、僕が意外に思っていたのは彼女の正体が機装兵であることではない。


「その……思ったより、活発そうな方だったので」


 どうすれば失礼がないように伝えられるか苦心しながら、言葉を選びつつ答える。

 そうすると聖女様は一度きょとんとして目を瞬かせたあと、突然に笑い始めた。


「あはははっ! なるほど、なるほど。そりゃあそうかもな」


 ひとしきり笑った後、聖女様はお腹を抱えたままひぃひぃと苦しげに呼吸を繰り返し、ようやく落ち着く。そんな様子もまた聖女らしからぬ姿だ。ついでに言えば、アヤメやユリさんのような機装兵らしくもない。


「機装兵は、もっと感情の見えないものだと思っていたんですけど……」

「基本はそうだ。マスターにお仕えする以上、特にハウスキーパーは個性を消すことが求められる」


 恐る恐る繰り出した問いに、聖女様は真面目な顔で肯定する。

 では、彼女はいったいなぜ?


「私はハウスキーパーじゃないからな。BS-02F036L01――バトルソルジャーというモデルの機装兵だ」

「バトル、ソルジャー?」


 聞き慣れない単語だ。アヤメとは使命が違うのだろうか。


「ここは元々、第三十六戦略実験施設という場所だった。私の業務は様々な敵性存在と戦い、戦略の実証、検証を行うことだ」


 アヤメのようなハウスキーパーは、マスターに付き従ってその生活を公私にわたって補助することが役割であると聞いたことがある。聖女様は同じ機装兵ではあるものの、ハウスキーパーではなくバトルソルジャーであり、また異なる役割を与えられているのだ。


「ずっと、戦い続けていたんですか?」

「それが仕事だからな」


 なんら疑問を持たない赤い瞳をこちらに向けて、聖女様は頷いた。それまで人間味に溢れていて、魔導人形だと言われてもにわかには信じられなかったのに。その時だけはとても機械的な反応だった。


「それにしても、あなたは随分と変わったように見えます」


 その時、アヤメが会話に加わった。彼女は以前の聖女様とも交流があるのだろうか。かつてのことを思い返したような口振りだ。そして、聖女様もまた、それに頷く。


「それも仕方ないだろう。――私の機能については把握しているか?」

「いえ。私は記憶領域の損傷が激しく、断片的な記録しか復元できておりません」


 アヤメの答えに聖女様は少し悲しげに目を伏せた。


「予想は正しかったか……。なら、今一度説明しよう。私、BS-02F036L01はリアルタイムに情報を収集し、フィードバックする。自己進化機能を有した第二世代近接格闘型機装兵だ」

「なるほど、理解しました。なぜあなたがそのような歪な体つきをしているのかも、分かりました」

「この体型が最も戦闘に適しているんだ。絶え間ない研鑽の結果だぞ」


 僕を置き去りにして、アヤメと聖女様の会話が続く。途中、聖女様が大きな胸をぽよんと持ち上げて揺らして見せて、僕は思わず目を逸らした。


「ほう? そこのマスターは機装兵に対しても初な反応をするようだな」

「あなたのマスターではありません」

「そうだよ。バトルソルジャーはマスター不在でも活動が可能だ」


 少し硬いアヤメの言葉に、聖女様は口元を緩めながら首肯する。マスターがいなければ力がかなり制限されるアヤメとは違って、彼女はマスター不在でも戦えるらしい。


「とはいえ、完全起動状態と比べたらかなり出力は落ちる。おかげで対症療法しかできていないんだが」

「あ、あの……」


 何やら憂いを帯びた横顔で嘆く聖女様。僕はそこに違和感を覚えて発言する。


「その、聖女様は何かと戦っているんですか? ここって――“銀龍の聖祠”は安全な迷宮なんじゃ」


 それは彼女が待ち望んでいた質問だったらしい。

 聖女様は目を細め、上機嫌に笑う。


「よくぞ言ってくれた。やっぱり君は優秀なマスターとなる資質を備えているみたいだな」

「や、ヤックです」


 そういえば、まだ名前を言っていないことを思い出す。今更ながら挨拶をすると、聖女様は僕の名前を何度か繰り返した。


「なるほど、記録した。――では、ヤック殿に教えよう。“銀龍の聖祠”の秘密を」


 彼女はおもむろに立ち上がり、背後の壁へ振り返る。一面を大きな薄く透明がガラス張りになった、立派な窓だ。ひとりでに窓の向こうで光が灯り、暗かった内部の様子が明らかになる。

 そこは殺風景な部屋だった。けれど、壁や床が赤黒く汚れている。ゴミも散乱していて、これまでの“銀龍の聖祠”とは随分と趣きが異なる。もっとよく見ようと窓に近づいた僕は、思わずあっと声を上げた。


「あれ、もしかして……」

「ああ。私が殺し続けてきた敵性存在の残骸だ。清掃システムは200年ほど前に故障してしまってね。以降はユリが掃除してくれているんだが、なかなか追いつかない」

「申し訳ありません」


 背後でユリさんが頭を下げる気配がした。けれど、今はそちらに意識を向ける余裕はなかった。

 四角形の部屋に乾いた血肉や白い骨の欠片が落ちている。おそらく、かなりの異臭も充満しているんだろう。理解してしまえば、あそこに残留する濃い死の気配すら感じられそうだった。


「どうして……」


 つい、言葉が溢れる。

 “銀龍の聖祠”は魔獣の存在しない、世界で唯一の安全な迷宮という触れ込みだったはずだ。聖女様の加護によって魔獣が退けられ、その恵みだけを享受できると……。

 いや、違う。それ自体は合っているんだ。


「あなたが、ここに押し留めていたんですか」

「理解が早いね。やっぱり、ヤック殿は良いマスターなんだな」


 聖女様は驚くほどあっさりと頷いてみせた。

 彼女は不思議な力、神秘的な能力で魔を退けているわけではない。迷宮の底から際限なく溢れ出す魔獣を、あの部屋で殺し続け、押し留めてきたのだ。地上にアレクトリアの町が根差し、栄華を極めるほどの長い時を、ずっと守り続けてきた。


「すごい……」


 いったい、どれほどの苦しみだろうか。

 誰にも知られず、地下の奥底で戦い続けてきた。たとえ機装兵であっても、容易なことではないはずだ。


「なぜ、我々にその事実を明かしたのですか」


 アヤメが尋ねた。

 聖女様はずっと、あの部屋を秘匿してきた。なぜ魔獣が溢れ出さないのか、その理由を明らかにせず、ただ恩恵だけを人々にもたらしてきた。

 彼女が僕たちに秘密を明かしたことには、なにか意味があるはずだった。


「ここのコアはずっと稼働し続けている。おかげでマギウリウス粒子には事欠かないが、設備自体は老朽化が止まらない。私はここで七二八四年と八ヶ月十三日間戦い続けた。倒した敵性存在の数は三百万体を超えている。――流石に、体に支障をきたしている」


 聖女様はそう言って――おもむろに白い衣をたくしあげる。

 突然の行動に思わず慌てて目を逸らそうとして、けれど僕は服の下の体に目を奪われた。

 そこにあったのはなめらかな曲線を描く女性的な肉体ではない。剥き出しになった金属フレームは歪み、内部の細かなパーツも露出している。何度も強い衝撃を受けて、無数の傷が刻まれていた。

 痛々しいほどの激戦の跡。彼女が人間ではない証明。


「自動修復機能は働いていないのですか?」

「百五十年ほど前の戦いで打ちどころが悪かったみたいでね。完全に停止してるわけじゃないが、直りは遅くなった」


 はらりと再び白い衣で体を隠し、聖女様は椅子に座る。あの体を見たあとでは、彼女がどっしりと背を預けているのも、また違った意味を滲ませてくる。


「いずれ、修復が追いつかなくなって私は動かなくなる。そうなれば、間をおかず“魔獣侵攻スタンピード”は発生するだろう」


 それは、アヤメが危惧していた現象。迷宮の中から魔獣が溢れ出し、近隣の集落を蹂躙する災害だ。聖女様は憂いの表情を浮かべ、それは絶対に阻止しなければと決意を見せる。


「だから、その前に。二人に頼みたいことがある」


 彼女はこちらへ向き直り、まっすぐに僕らを見つめた。

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