第48話「聖女の正体」

 ユリと名乗った女性は不思議な雰囲気を纏っていた。ゆったりとした一枚布を織ったような白い衣は体をほとんど隠しているけれど、裾や袖から覗く四肢や首筋はすらりとしていて、顔の大半を覆面で隠していてもその下の整った顔を確信させる。

 けれどそれ以上に僕は直感した。――似ている。


「聖女様からのお言葉を伝えるため参りました」


 アヤメが何か言いかける前にユリさんが口を開く。聖女の側近だという彼女は、一拍置いて。


「――ありし日の茶会にて歓談のこと、まことに懐かしい。叶うならば今夜、またささやかながら一献を共に興じたく」


 それは聖女様の言葉そのままなのだと、理解できた。ユリさんは側近として、主の言葉を全く寸分違えずただ伝えた。アヤメは動きを止め、その言葉を黙って聞いていた。


「よろしければ今夜、八時の鐘が鳴る頃に」


 そう言って、ユリさんはふらりと体を揺らす。白い衣が広がり、一時彼女の姿を覆い隠す。突風が霊廟の中を吹き抜け、僕は思わず腕で目を守る。風が落ち着いたその時には、すでに彼女の姿も忽然と消えていた。


「アヤメ……。何だったんだろう、今の」


 突然現れ、そして消えた。あまりにも目まぐるしい事態に呆然と立ち尽くすしかできなかった。


「今夜おのずと分かることでしょう」


 アヤメはそう言って、すぐにくるりと身を翻した。もうこの場には用がないとでも言うように、コツコツと靴音を鳴らして出口へ向かう。

 僕は慌てて彼女の背中を追いかけた。


「あ、アヤメ! 何かちゃんとした服とか用意したほうがいいのかな。というか、マナーとか何も知らないんだけど……」


 今夜、アレクトリアの聖女と会う。その意味を遅ればせながら理解した途端に不安が足元から這い上がってくる。

 言ってしまえばこの町のトップに立つ方だ。貴族様や王様と謁見するのとほとんど変わりがない。もし失礼なことをしてしまったら、いったいどうなってしまうのか。


「問題ありません。ヤック様は今のままでも素敵です」

「そういうことじゃなくない!?」


 なのにアヤメは真面目な顔でそんなことを言う。所作の端々に品があって、礼儀もしっかりしている彼女なら何の不安もないんだろうけど。僕はそんな教育も受けたことがないただの平民なんだ。


「アヤメぇ……」

「それよりも、装備を固めておきましょう。薬や包帯も、買い揃えます」

「ちょっ、アヤメ? お茶会に誘われたんだよね?」


 迷宮に潜る予定もないので、今の僕は鉄の鎧も外した身軽な格好だ。アヤメはそんな僕を見て、真剣な表情で言う。聖女様からはお茶会に誘われたはずなのに、どうしてそんな物騒なことを言うのか理解ができない。


「安心してください、ヤック様」

「えっ」


 アヤメが僕の肩に手を置く。


「ヤック様は私が必ずお守りします」

「本当にお茶会に誘われただけだよね!?」


 “老鬼の牙城”のボスと対峙した時でも涼しい顔をしていたアヤメなのに。聖女様と会うのに何をそんなに警戒しているのか。

 何も分からないまま、僕はアヤメに急かされるようにして霊廟を出る。

 夜の八時にはまだまだ時間がある。けれど彼女は逼迫した様子だ。彼女に言われるまま、僕はガイドブックで店を探す。

 迷宮都市ではないアレクトリアだけれど、各地から日々多くの探索者が訪れる土地柄か、鍛治工房や薬屋も多く立ち並んでいる。長旅を経てやって来て、また長い道を歩いて帰る人も多いからか、旅の道具の専門店なんかもあった。


「アヤメ、本当にこれ必要?」

「必ずヤック様はお守りいたしますが、万一ということも考えられます。備えに十分という言葉はありません」

「ええ……」


 アヤメのおかげで最近は懐に余裕があるとはいえ、彼女がぽいぽいと選び取っていく大量の薬や医療器具を見ていると金額が不安になってくる。お店の人もこんなに色々と買い集める人は珍しいのか、驚いた顔で彼女を見ていた。

 前提として、アヤメはとても強い。“老鬼の牙城”の最奥にいたボスのハイオークを倒せるほどの実力者だ。僕なんかでは逆立ちしても敵わないほどの高い実力を持っている。そんな彼女がどうしてこんなに焦っているのか。その理由がまったく分からなかった。


「アヤメ、もしかして聖女様の正体に心当たりがあるの?」


 山のような荷物を抱えて尋ねると、彼女は一瞬動きを止めた。どう言葉を伝えようか考えている時の動きだ。けれどすぐに、彼女の口が開く。


「イエスであり、ノーでもあります」


 常に明快な答えを出す彼女には珍しい、歯切れの悪い回答だった。


「もしかして……。同じなの?」


 衆目のある中で明言するのは避ける。けれどアヤメにはしっかり伝わったはずだ。彼女は僕を見て、頷く。

 たしかにその可能性は僕も考えていた。アヤメたった一人だけが生き残っていたと考えるほうがおかしいとさえ思う。それに、聖女は信じられないほど長い年月をこの町で過ごしている。

 アレクトリアの聖女は、アヤメと同じ魔導人形――いや、彼女の言うところの機装兵なのだろう。


「……以前、この土地を訪れたことを記録しています」


 大神殿へと向かう道を歩きながらアヤメが語り始める。過去の記憶に想いを馳せながら。

 彼女は長い眠りにつく以前のことをほとんど忘れてしまっているという。虫食いのように欠落した多くの記憶のなかで、わずかに残ったもの。彼女はそれを頼りにアレクトリアを次の目的地に定めている。


「第三十六戦略実験施設、だっけ」


 彼女が語った“銀龍の聖祠”の本来の名前を口にする。アヤメは浅く頷く。


「記録に残っているのは、その名称。そして、実験体――魔獣が倒される断片的な光景だけです」

「魔獣が?」


 “銀龍の聖祠”は魔獣の存在しない稀有な迷宮だ。それは聖女の加護とされ、迷宮の恵みだけが地上に運ばれている。だからこそ、ダンジョンの直上という危険な土地にこれほど立派な町が作られた。

 けれど、以前はこの土地にも魔獣がいたらしい。アヤメはそのことを記憶している。


「はい。それも――第四〇四特殊閉鎖環境実験施設に存在したものよりも遥かに強力な魔獣が存在していました」


 その言葉に思わず背筋が冷たくなる。

 彼女の口にした施設の名前は、今では“老鬼の牙城”と呼ばれるものだ。そこの最下層には強大な力を持つハイオーガがいた。それを上回る魔獣とはいったいどんなものなのか。


「それが、出てくるの?」

「いいえ」


 魔獣侵攻スタンピードの文字が脳裏をよぎる。しかしアヤメは首を横に振った。それを見て安堵したのも束の間、彼女は更に衝撃的なことを口にする。


「その魔獣は、一体の機装兵によって討伐されました」

「えっ」


 ボスクラスのハイオーガよりも更に強い魔獣。それを単身で討ち倒す。もはや想像を絶するものだった。

 唖然とする僕を見て、アヤメがきゅっと口の端を結ぶ。彼女が急いで薬を買い集めた理由が分かった気がした。


「まさかそれが……聖女様なの?」

「その可能性が排除できません」


 確証を避けるアヤメ。

 けれど、彼女の青い瞳には警戒の色が強く滲んでいた。

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