第47話「霊廟の語る歴史」

 “龍鱗の霊廟”はアレクトリアの東に位置する立派な石造の建物だ。小さな神殿や祠が集まる地域の中心にあり、敬虔な信徒たちが熱心に巡っている。

 僕とアヤメは静謐と不思議な空気に満ちた街路を歩き、霊廟の小さな扉の前にやってきた。


「こちらが“龍鱗の霊廟”ですか」

「そうみたいだね。入ってみよう」


 真っ白な建物を見上げるアヤメは、大神殿を目にした時よりも驚いているようだった。そんな彼女と共に建物の中に入ると、冷たい空気が頬を撫でた。

 奥に長く続く構造で、左右には立派な柱が連なっている。壁や天井にはこの町の歴史を描いた彫刻が刻まれていた。内部に人はまばらで、外界と隔絶された静けさが充満している。僕はガイドブックを開き、そこに書かれている説明と壁の彫刻を照らし合わせた。


「アレクトリアの中心、大神殿。そこに座す聖女。最初の民が長き流浪の末に辿り着いた頃、すでにあり。聖女は澄んだ水をもって彼らを迎え、屋根を貸し与えた」


 人が歴史を刻む以前から大神殿はここにあった。各地に残る迷宮も、僕らの知る歴史が始まるころには、すでにあったものだ。大断絶とも呼ばれる、歴史上の空白が数百年前にあったらしい。詳しいことは知らないけれど、迷宮や大神殿は大断絶以前の古い文明の遺産なのだ。

 隣で聞いていたアヤメの横顔を覗き見る。彼女も大断絶以前の時代に生きていた存在だ。壁に刻まれた歴史を見てどのように思うのだろう。


「この霊廟は最近作られたものなのでしょうか」

「えっ? 最近ってほどでもないよ」


 ガイドブックのページを捲り、霊廟の説明を探す。


「少なくとも、200年前にはあったみたいだよ」

「最近ですね」

「ええ……」


 彼女の言う最近とは、大断絶以降のことなのだろうか。


「このような建造物は、私の記憶にはありません。現在の支配的文明によって構築されたものなのでしょう」

「記憶に……。もしかして、アヤメは大神殿は見たことがあるの?」


 彼女は頷く。

 僕は自分が思ったよりも驚かなかったことを、少し意外に思った。

 考えてみれば、そうなのだろう。アヤメが元々の時代で生きていた頃、彼女がこの大神殿を見ていてもおかしくはない。アレクトリアを目的地に定めたのも彼女なのだから。


「外観は少し変わっていましたが、内部は一部の記録と合致します。施設の機能自体は現在も問題なく稼働しているようです」

「それは、迷宮として?」

「分かりません。第三十六戦略実験施設に関する知識は欠落しています」


 アヤメは少し睫毛を伏せて言う。

 第三十六戦略実験施設というのが、大神殿の本来の名前らしい。彼女が眠っていた“老鬼の牙城”が元々は別の名前で呼ばれていたように。各地の迷宮の名前は、僕らが後になって名付けたものだ。本来の名前も役割も、すでに忘れ去られている。

 アヤメも当時のことを全て覚えているわけではない。むしろ、多くのことを忘れてしまっていると言っていた。彼女が迷宮を巡る旅を始めたのは、その記憶を取り戻すためでもある。


「聖女様も、アヤメと同じ存在なのかな」


 壁画には続きがある。最初の民と呼ばれる人々が大神殿の周囲に根を下ろし、畑を拓き、家を建て、町を築いた。やがて遠方にも集落が興り、交流が始まる。アレクトリアという名で呼ばれ始めたのもこの頃だ。

 アレクトリアは迷宮を擁しながら、そこに魔獣が存在せず、迷宮で育つ植物や産出する鉱石などの恩恵だけを手に入れる事ができる。その特異性から、古くから何度も戦火を招いた。けれどその度に聖女様の名の下に民衆が立ち上がり、敵を退け、立派な壁を築いた。

 聖女様は歴史の一ページ目から常に存在し、不変の存在として民の象徴となり続けている。ガイドブックにも彫刻にも、聖女様が代替わりしたという記述はない。この数百年、老いもせずにずっと存在し続けているのだろうか。

 長命種として名高いのはやはりエルフ族だ。けれど、彼らはほとんど歴史の表舞台には出てこない。寿命1000年とも言われる彼らは大断絶について何も語らないのだ。聖女様がエルフであるならば、壁画にも描かれているはず。そうでないなら――。


「数百年の連続稼働は機装兵の想定環境を大きく逸脱しています。適切な整備が行われない場合、そのような使用には耐えられないでしょう」


 アヤメは僕を見て首を振る。

 ダンジョン内なら大怪我もすぐに治ってしまう彼女でも、永遠に活動できるわけではないらしい。

 聖女とはいったいどういう存在なのか。謎は深まるばかりだ。

 壁画の続きは徐々に詳細なものになっていくけれど、逆に面白みも減っていく。話題の中心が聖女様から民衆に移ったからかもしれない。どこの町と争って勝ったとか、どんな道を通したとか。そして、この霊廟をなぜ作ったのかとか。


「“龍鱗の霊廟”は、一年に一度聖女様から賜る聖鱗を安置するために作られたんだって」

「聖鱗とはなんでしょう?」

「さあ。奥の部屋に納められてるらしいけど、それは一般には公開されてないから」


 左右に柱が連なる長い通路の奥には頑丈な両開きの扉がある。太い鎖や鉄の棒で封印されていて、開けることはできなさそうだ。一年に一度だけその扉が開き、聖女様が聖鱗と呼ばれるものを納める。

 町に三つある他の霊廟も、同じように毎年一度だけ開く部屋があるらしい。


「そのお祭りが見られたらいいんだけどね」


 あいにく、時期的にはアレクトリアのお祭りを見ることはできなさそうだ。少しがっかりして肩を落とす。


「――聖鱗の正体が知りたいのですか?」


 突然、霊廟の奥から聞きなれない声が響く。驚く僕の前にアヤメが飛び出し、声のした方を睨む。列柱の影から、白い衣を着た女性が現れた。


「名前を名乗りなさい」

「ちょ、アヤメ!」


 警戒感を露わにするアヤメ。

 現れた女性は顔を白い布で隠し、何もかも謎めいていた。ただ唯一、その衣装から神殿の関係者らしいと推測できる。

 アヤメの誰何に女性は悠然と構える。覆面の下で笑みすら浮かべたような気がした。


「――私はユリ。アレクトリアの聖女の側近です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る