第45話「見栄と虚勢」

 アレクトリアの大市は早朝から賑わっていた。なだらかな丘陵の中にあり、穏やかな内湾とも近いこの町には、海からも山からも太く立派な道が繋がり、日の出前の開門と同時に行商たちが荷車を引いてやってくる。朝獲れの新鮮な果実や野菜、そして活きのいい鮮魚や貝。内陸の貴族たちも羨むほどの恵みが運び込まれるのだ。


「ヤック様、生魚は危険です。鮮度が落ちている場合、体調を崩してしまう可能性も」

「ええ……。見てよアヤメ、この魚なんてまだ生きてるよ?」


 だというのに、アヤメは箱に氷と一緒に詰められた立派な魚をじっと見つめて、非情な言葉で一刀両断してしまう。彼女が指し示した魚はまだ目も透き通っていて、エラがひくひくと動いている。さっき釣り上げられたばかりと雄弁に叫んでいる。


「しかし、生魚には寄生虫も存在しますし」

「おいおい。黙って聞いてりゃあ遠慮なく言いやがって」


 なおも抵抗するアヤメに、堪忍袋の緒が切れたのは魚を売る行商のおじさんだった。港町の人らしく浅黒く日焼けした腕は丸太みたいに太くてガッチリしている。僕は思わず竦み上がって、アヤメの後ろに隠れそうになった。けれど、真正面から睨まれたアヤメは涼しい顔で対峙している。


「客観的な事実を述べたのみです。生鮮品の保存技術も輸送技術も著しく欠落しているのは疑いようがありません。貴方を責めているわけではありません」

「ああんっ!?」

「ちょ、アヤメ、アヤメ!」


 アヤメの言葉は火に油を注ぐばかりだ。おじさんは今度こそ歯を剥いて睨み上げる。僕は慌ててアヤメの袖を引っ張って露店から離れる。


「もう、アヤメ、勘弁してよ……」

「しかし、ヤック様に危険な食事を提供するわけには」


 朝からげっそりと疲れてしまった。アヤメは不服そうだけど、あんなに真正面からずけずけと言う必要はないはずだ。


「確かにアヤメの時代と比べると、色々と未熟なんだと思うよ」


 アヤメは、彼女自身が現代の技術をはるかに越えた産物だ。彼女の胸で誇らしげに輝く徽章も、彼女が肌身離さず携えているトランクも、最高級の魔導具それ以上の力を秘めている。彼女から見れば、この世界の大半が未熟で低レベルなものに見えるのだろう。


「でも、それをバカにしたり、貶したりすることはないでしょ」

「私にそのような意図は一切ありません」

「アヤメになくても、受け取った人はそう感じるんだよ」


 アヤメは優秀だけど、やっぱりどこか抜けている。というより、どこまでも真面目すぎるのだ。自分が正しいと思ったことは曲げないし、妥協というものを許さない。僕を第一に考えてくれていることはよく分かるけれど、もっと周囲との調和も大切にして欲しい。

 あの魚屋さんも、内陸にあるアレクトリアまで少しでも新鮮な魚を届けようと苦心している。あの箱いっぱいの氷だって、魔法師に頼んで作ってもらったものだ。無料で手に入るものじゃない。それなのに一方的にこれはダメだと言われたら、誰だって気分を害する。


「……申し訳ありません」


 言って聞かせるとアヤメはなんとか納得してくれた。不承不承といった様子は隠し切れないけれど、とりあえずそういうものだと理解してくれたならありがたい。

 僕はアヤメを連れて、再び魚屋さんの荷車のところへ戻る。彼は再びやって来た僕らを見て、むっと不満げな顔を隠さない。アヤメが飛び出しそうになるのを必死に手で制して、腰を低くして前に出る。


「さっきはすいませんでした。その、僕たちは生で魚を食べる機会が無かったもので」

「はんっ。今時珍しいな。うちの港はココオルクまで売りに行ってるぜ」

「僕たち、パセロオルクからやって来たんです。ほら、山の向こうの」


 ココオルクはこの辺りで一番高い山の中腹にある迷宮都市。パセロオルクは、その山をぐるりと迂回した反対側にある。魚屋さんは少し驚いたように眉を動かし、僕とアヤメの出立ちを見た。

 彼の言いたいことは分かる。いかにも探索者っぽい僕はともかく、綺麗なメイド服などを着たアヤメはとてもそんな長旅をしてきたとは思えない。僕が懐からパセロオルクの所属を示す身分証を取り出して見せると、今度こそ彼はのけ反るように驚いた。


「また随分遠いところから来たんだな」

「アレクトリアはやっぱり、一度は来たいと思っていたんですよ」


 おじさんの僕たちを見る目が変わる。難癖付けてくる厄介な客から、遠路はるばるやって来た熱心な探索者、と言ったところだろうか。


「海の魚にも縁がなくて。できれば、これを料理してくれる店なんかがあったらいいんですけど」

「それなら、適当な店に持っていきゃ焼くなり煮るなりしてくれるだろうよ。ああ、できれば網焼きができる店がいいな。この近くなら、二本目の通りの三軒目なんかがいい」


 生はともかく焼き魚なら。そんなことを伝えると、おじさんはすっかり機嫌を直して親切に店まで教えてくれた。流石に僕が抱えるほど大きな魚一匹丸々というのは持て余すので、隣の箱に並べてあった小ぶりな魚を二尾貰う。ついでに貝もいくつかお願いすると、おじさんは陽気な笑顔で袋に詰めてくれた。


「旅で疲れた体にゃ塩が染みるのさ。うちの地元で作ってる魚醤もひと瓶付けとくぜ」

「ありがとうございます!」


 最後には独特な匂いのする調味料らしきものも小瓶をひとつ載せて、にこやかに送り出してくれた。袋と小瓶を持ってアヤメの下に戻ると、彼女は少し驚いた顔で僕を見る。


「ヤック様は、対人的な交流が得意なのですか?」

「えっ? いや、どうだろう?」


 要はコミュニケーションは得意かどうか。そう聞かれれば首を傾げざるを得ない。なにせ、迷宮で置き去りにされる程度のことはある。

 その結論は一旦保留として、僕はアヤメと共におじさんから教えてもらった店に向かう。そこは一見すると普通の酒場のような構えだったけど、中に入ると部屋の真ん中に大きな囲炉裏があった。


「うわ、すごい」


 囲炉裏には灰がたまり、炭が赤く燃えている。その周囲には串に刺した魚がジリジリと炙られ、透明な脂が滲んでは弾けていた。更に炭の上には網が置かれて、干物や肉が焼かれている。


「らっしゃい」


 早朝にもかかわらず、その店はそれなりに人がいる。囲炉裏端で火を見ていた店主に魚と貝と魚醤を渡すと、驚く様子もなく焼いてくれた。この辺りの店で海産物を買った人は、みんなここで焼いてもらっているんだろう。

 貝が網に載せられ、魚に串が通される。壁に掛けられた札を見て、僕は山菜の煮込みと軽い麦酒を注文した。


「お酒ですか?」

「たまにはね」


 お酒自体はそこまで得意というわけではない。でも、アヤメが散々子供扱いしてくるから、たまには大人らしいところを見せつけておきたかった。……それにしても、朝っぱらからお酒を頼むのはやり過ぎたかもしれない。まあ、別に迷宮に潜るわけでもないし、いいだろう。

 店内には常連らしい客が、すでに赤ら顔で笑っている。朝だから、というより夜通し飲んでいたような雰囲気だ。夜になると外壁の門は閉じるようだが、町自体が眠っているわけではないらしい。


「アヤメは? お酒飲める?」

「アルコールも問題なく分解可能です。酩酊が可能かという意味であれば、そのような機能は備わっておりません」

「そっか。じゃあ、アヤメはジュースの方がいいかな」


 酔えないのにお酒を飲むほど悲しいことはない。

 間をおかずカウンターに置かれた杯を手に取る。そういえば、アレクトリアへやって来て初めてのちゃんとした食事だ。起き抜けに一杯というのも乱暴な話だけど、すでに目はすっかり覚めている。


「アレクトリア到着に、乾杯」

「乾杯……?」


 戸惑い顔のアヤメと杯をこつんと当てる。

 恐る恐る口に含んだ麦酒は苦かった。

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