第42話「安くて安全な宿」

 憲兵にスリの男を引き渡して、その流れで事情聴取もされて、気がつけばとっぷり日が暮れている。大通りには魔導灯もあるけれど、人混みはかなり減っている。流石に光もない路地裏に踏み入る気は起きない。


「申し訳ありません、ヤック様。予定が大きく崩れてしまいました」

「いや、アヤメのせいじゃないよ。むしろ助けてくれてありがとね」


 しゅんと肩を落とすアヤメだが、別に彼女を責める理由はない。むしろ大事な財布を守ってくれたのだから、感謝しなければならない。

 とはいえ、今から宿を探すのも一苦労だろう。通りに面した信頼できそうなところは軒並み満室だ。


「どこか、民家を接収するというのも――」

「なしだよ。そんなことできるほど偉くもないし、理由がないでしょ」


 荒っぽいことを口にするアヤメを諌めつつも、状況が悪いことには変わりない。

 どうしたものかと悩んだ僕は、とりあえずの目的地を決めた。


「とりあえず、探索者ギルドに行こうか」


 神聖都市アレクトリアにも探索者ギルドはある。むしろ、各地から多くの探索者が訪れるのだから、パセロオルクのそれよりもはるかに立派な建物が、町の中央にある大神殿のすぐ近くに建てられていた。

 探索者ギルドは他のギルドと同じく夜遅くまで営業している。非常時に備えて、扉を閉めていても宿直の職員はいるはずだ。

 アヤメと共にひとけも疎らな大通りを歩き、探索者ギルドのアレクトリア支部までやって来ると、窓から光が漏れていた。


「こんばんは」

「いらっしゃい。こんな夜分に珍しいな」


 おずおずと扉を開いた僕を出迎えたのは、ギルド職員の青い制服を着た男性だった。分厚い胸板でがっちりとした体格の人間族だ。僕よりもはるかに身長が高く、それだけ見ればあちらの方が探索者に見える。


「ようこそ、パセロオルクへ。俺はエルゲスだ」

「“青刃の剣”のヤックとアヤメです」


 新たな町へやって来た探索者は、まずその町のギルドに顔を出す。そこで確認してもらうことで、近くの迷宮で非常事態に陥った時も迅速に救援を呼んでもらえるようになるのだ。

 エルゲスと名乗った男性は、にこやかな顔で手を差し出してくる。僕もアヤメも見るからに旅をしていますといった服装だから、すぐに察したらしい。


「もしかして、今晩の宿をお探しかな?」

「あはは。全部お見通しみたいですね」


 鋭い指摘に思わず苦笑する。宿の確保に出遅れたことを伝えると、エルゲスは驚くこともなく頷いた。

 連日多くの探索者が訪れるアレクトリアだが、その足下に広がる“銀龍の聖祠”は魔獣も出現しない平和な迷宮だ。そこに潜って稼ごうとする探索者はいない。だから、探索者ギルドも旅慣れない探索者のための観光案内所のような性格が強いらしい。

 エルゲスは僕らにお茶まで出してくれて、親切に相談に乗ってくれた。


「一応、相場の十倍以上の高級宿か、逆にタダ同然の馬小屋なら、交渉次第では借りられるかもしれないが……」

「どっちもちょっと厳しいですね」

「だろうな」


 金を払えば多少の無理も通せる。逆に快適さと安全を諦めれば、最低限の屋根はある。とはいえ、僕一人ならともかくアヤメも一緒となると、どちらも選びにくい選択肢だった。

 都市内の宿を纏めた書類を捲るエルゲスの表情も曇ってくる。

 これは野宿か、むしろ馬小屋の方がまだマシかもしれない……。

 そう思ったその時、エルゲスが口を開いた。


「一応、ある程度安全で、雨風も防げて、宿泊料もタダのところがあるにはある」

「そ、そんなところが!?」


 唐突に飛び出してきたあまりにも条件が良すぎる宿の存在に思わず目を剥く。しかし、エルゲスは奥歯に物が挟まったような様子で、あまり気が進まないようだった。


「その宿はどこなんですか? 一度見てから判断してもいいかと思うんですけど」

「あー、そうだな……。あそこだ」


 ぐいぐいと詰め寄る僕を見て、エルゲスは屈する。そして、おもむろに一方向を指差した。


「あそこって……?」


 彼が指し示したのは町の中心の方角だ。そっちにはまだ足を伸ばしていないから、何があるのかも分からない。


「――神殿だよ。アレクトリアの大神殿」

「……はい?」


 エルゲスの言葉。それを理解するのに、僕は数秒の時間を要した。

 アレクトリアの大神殿といえば、聖女が住む文字通りの聖域だ。僕みたいな一介の探索者が勝手に軒先を借りるわけにはいかないだろう。

 しかし、そんな僕の不信感を察したエルゲスは事情を話してくれる。


「大神殿は公共施設だからな。一日中、全ての人に開放されてるんだ」

「だからって、流石に寝泊まりしていいわけではないんじゃ」

「それも別に禁じられていない。まあ、あまりに汚い浮浪者だったり、何日も定住しているような奴は、熱心な参拝者が蹴り出すけどな」


 一晩くらいならいいだろう、とエルゲスは言う。

 けれど、問題となるのはそれだけではない。


「その、大神殿って内部はもう迷宮――“銀龍の聖祠”なんですよね?」

「そうだ。正面の大階段を登って、列柱を越えた先はダンジョンだ」


 神聖都市アレクトリアは、迷宮都市でもある。町の中央にある大神殿は、そのまま“銀龍の聖祠”というダンジョンでもあった。

 大神殿で寝泊まりするということは、そのままつまりダンジョン内で一晩を明かすということ。たとえ聖女の加護によって魔獣がいないと聞いていても、探索者としては気が休まらないのは確実だ。

 流石にこれは……。と思ったその時、不意にアヤメが袖を掴んだ。


「ヤック様」

「うん? ――あっ、そうか」


 彼女の瞳を見ただけで、何を言わんとしているのか理解した。

 大神殿の内部は“銀龍の聖祠”というダンジョンだ。迷宮の内外は魔力濃度によって明確に区切られているから、エルゲスの言っていた境界も正しいはずだ。

 そして、僕はともかくとしてアヤメが身を休めるなら、ダンジョン内の方が都合がいい。


「エルゲスさん、大神殿に行ってみますよ」

「本当に言ってるのか?」


 勧めたわりにエルゲスは驚きの表情を浮かべる。まさか本当にダンジョン内で寝泊まりしようとするとは思わなかったらしい。

 けれど、僕にとってはそこらの馬小屋よりもダンジョン内の方がよほど安全だ。なぜなら、アヤメは外よりもダンジョンの中の方が、その力を発揮できるのだから。彼女が本来の力を取り戻せるなら、それほど心強いことはない。

 寝床に関しては、それこそ問題にはならない。“老鬼の牙城”でもスポットで寝泊まりしていたのだ。探索者はどこでも寝られるというのが重要な素質になっている。


「行くというなら止めはしない。大階段を登れば、神官が対応してくれるはずだ」

「ありがとうございます。助かりました」


 大神殿への道は案内されるまでもない。大通りを進めば、すぐに高く聳える大階段が現れるのだから。

 僕はエルゲスにお礼を言って、探索者ギルドを出る。トランクを携えたアヤメも、久しぶりにダンジョンに入れると分かったからか、心なしか少し嬉しそうな気がする。たぶん。


「まさか大神殿、というかダンジョンで泊まることになるとはね。これも怪我の功名ってやつかな」

「ご安心ください。ヤック様の身は必ずお守りいたします」

「うん。信頼してるよ、アヤメ」


 アヤメと共に延々と続く階段を登る。遠くから見ると立派な白い石造の階段は綺麗だったけど、いざ足を掛けてみると段差の高さが実感できる。アヤメは涼しい顔で軽やかに登っているけれど、僕は少し息も上がってくる。


「ヤック様、私が抱えましょうか?」

「い、いや、大丈夫。自分で登れるよ」


 こちらを見てすっと両腕を伸ばしてくるアヤメを丁重に断り、自分で登る。荷物持ち歴はそれなりに長いんだ。この程度、登れないわけはない。


「はぁ、はぁ、到着!」


 たっぷりと時間をかけて、なんとか登り切る。息も絶え絶えだったけど、なんとかアヤメの助けは借りずに済んだ。


「ヤック様は軽いので、私が運べば更に迅速に登頂できたと思われますが……」

「こういうのは大事なんだよ」


 なぜか残念そうに言うアヤメだけど、僕にも譲れない一線があるのだ。

 僕らの目の前には、巨大な白い神殿が聳えている。夜通し焚かれる篝火に照らされたそれは、まるで巨人のようだ。改めてその威容を間近から見上げると、迫力に圧倒されてしまう。

 ぜひ、昼の時間にも改めてじっくり眺めたい。


「おや、旅のお方ですかな」


 しばし達成感に浸っていると、前方から声が掛かる。闇のなかに目を凝らすと、そこには白い服を着たお爺さんが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る