第41話「神聖都市の不埒者」

 馬車に揺られながら数時間。なだらかな丘の続く道を、二頭の馬が軽やかに蹄を鳴らして登ったり降りたりを繰り返す。その規則的なリズムと、小刻みに揺れる荷台が、いつの間にか僕を眠りに誘っていた。


「ん……。うわっ、ごめんアヤメ、寝ちゃってた」

「おはようございます、ヤック様」


 路傍の石にでも乗り上げたのか、一度大きく揺れて目を覚ます。慌てて顔を上げると、僕を抱き抱えていたアヤメと目が合った。

 幌の隙間から差し込む光はオレンジ色で、もう陽が傾いている時間帯であることを知らせている。一日を馬車の上で過ごすのは、ただ座っているだけでもかなり体力を消耗する。見れば、対面するお婆さんや他の乗客も俯いて、眠っている人も多かった。


「もしかして、ずっと抱えてくれてたの? 足、痛くない?」

「まったく問題ありません。それよりも動くと危険ですので、深くお座りください」

「ぐえっ」


 僕が寝ている間も太腿を貸してくれていたアヤメに、流石に申し訳なくなって立ちあがろうとする。しかし、彼女は強引に僕を引き寄せ、そのまま有無を言わせずスカートの上に座らせた。

 これはどう言っても解放してくれる気配はない。とはいえ、時間的にもうすぐだろう。

 そう思った矢先、軽快に進んでいた馬車が少し速度を落とした。真横にある小窓から御者のお爺さんが覗き込んできて、にこりと笑う。


「お待たせ。神聖都市アレクトリアが見えてきたよ」


 彼の声に眠りに落ちていた乗客たちも起き始める。彼らが荷物を準備する音で、車内がにわかに騒がしくなった。

 そして、それから程なくして。幌の外からも人の気配が伝わってくる。揺れが少なくなり、路面が整えられた舗装路に入ったことが分かる。町に近づいていく気配を感じながら、胸の中で期待が膨らんでいく。


「さあ、到着だ」


 馬車が止まり、後方から足場が下される。荷物を抱えて降りていく乗客に続いて、僕もアヤメの太腿から立ち上がった。


「アヤメ、到着だよ」

「……そうですね」


 彼女はそう言ってトランクを持ち上げる。僕も忘れ物がないのを確認して、馬車から飛び降りた。


「おおおっ!」


 そこは大理石で飾られた柱廊の前だった。

 大人が十人以上でなんとか囲めるほどの太い柱が、広い大通りの両脇にずらりと並んでいる。その先に聳えるのは、壮麗な白い神殿。何十段もある階段の向こうに、立派な屋根が見える。

 あれこそがこの町のシンボル。アレクトリアの大神殿。


「着いたよ、神聖都市アレクトリア!」


 思わず興奮して声が漏れる

 通りを埋め尽くすのは種族も様々な人たち。やはり探索者らしい格好が多いけれど、それ以外にも沢山の人が集まっている。パセロオルクは愚か、アクィロトスすら比較にならないほどの人混みだ。

 僕は夕焼けに染まる町の熱気を肌で感じて、大都市へやって来たことを実感した。


「ヤック様、まずは宿を探しましょう」

「あ、そうだね。早くしないと部屋がなくなっちゃうかもしれないし」


 興奮で浮き足立つ僕とは対照的に、アヤメはいつもと同じ冷静さを保っている。トランクを手に持った彼女と一緒に、僕らは街中へと繰り出した。

 夕食時ということもあって、大通りの両脇には美味しそうな匂いを広げる露店が軒を連ねている。色々と見たこともないような料理が並んでいて、ついつい目を奪われる。

 そうしてフラフラと左右に揺れていると、アヤメが僕の手を握ってきた。


「ヤック様、この混雑では逸れる可能性も考えられます。お互いに手を握っておきましょう」

「う、うん。そうだね……」


 僕が迷子になると思ったのだろうか。流石にそこまで子供じゃない、と思いつつも肩と肩が触れ合うような混雑ぶりを見ていると自信が無くなってくる。

 しかも、アレクトリアは町の門から中央の大神殿までを結ぶ太い大通りを除けば、雑多に建物が乱立して入り組んでいるようだ。土地勘のないまま迷い込めば、そのまま出られらなくなってしまいそうだった。

 けっきょく僕はアヤメと手を繋ぎ、彼女と離れ離れにならないように気をつけながら人の流れに乗って移動することにした。けれど、一歩歩み出した直後、肩に強い衝撃が伝わる。


「うわっ!?」

「チッ。気を付けろよ、ガキ」


 僕は向こうから早足で歩いてくる人とぶつかってしまった。声を荒げる犬獣人の男性に、思わず縮こまってしまう。

 苛立ちを露わにする男性が、そのまま通り去ろうとしたその時。


「お待ちください」

「ああっ?」


 彼の太い腕をアヤメが掴んでいた。その表情はいつもと変わらないけれど、手には力が入っている。一見すると華奢なアヤメの手を振り解こうとした男性は、微動だにしない手に驚く。


「なんだテメェ。こっちはぶつかられてんのを許してやってんだぞ。金払ってもらおうか? ああ?」


 男性は迫力のある顔でアヤメに詰め寄る。牙を剥いて威圧すると、僕なら竦み上がってしまいそうなほど怖い。けれど、アヤメは涼しい顔で――いや、少し怒った様子で彼を睨み返す。


「過失はそちらでしょう。ヤック様の財布を返却しなさい」

「は、え? うわっ、財布がない!?」


 淡々と語るアヤメの言葉で、初めて自分の財布が無くなっていることに気がついた。最近は少し余裕も出てきて、大切に肌身離さず持っていたはずの財布が忽然と消えている。

 けれど、犬獣人の男性はアヤメの言葉にふんと鼻を鳴らす。


「しらねぇよ、んなもん。勝手にぶつかってきた挙句、濡れ衣まで着せようってのか?」

「いいえ。あなたの上着の内ポケットに入っています」


 アヤメがそう言って手を伸ばす。けれど、男はその手を強引に払い除けた。


「勝手に触るんじゃねぇよ!」

「――もう一度、最後の勧告です。財布を返却しなさい」

「だから、持ってねぇって言ってるだろうが!」


 男が吠える。今度こそ暴力も辞さないという気配だ。


「あ、アヤメ。もしかしたら僕が落としたのかもしれないし……。この場は穏便に……」


 人通りの多い大通りの真ん中だ。騒ぎを聞きつけて周囲に人が集まってきている。僕はアヤメのトランクを持ち上げて、その場を離れようと促す。けれど、アヤメはまるで動かない。毅然として見つめる彼女に、男の方が先に動き出した。


「このアマ!」

「正当防衛が成立すると判断しました。対象を排除します」

「アヤメ!?」


 丸太のような剛腕を振り上げて飛び掛かる男性に、アヤメが淡々とつぶやく。そして、彼女のロングスカートが軽やかに翻った、その直後。


「ぐわっ!」


 鈍い音と共に、男が石畳に打ち付けられる。背中を強かに叩かれた彼は、短い悲鳴を上げて悶絶する。その間にアヤメが彼の上着に手を差し込み、そこから革の財布を取り出した。


「あっ、僕の財布!」


 正真正銘、僕のものだ。

 アヤメの言った通り、ぶつかった拍子に掏られていたらしい。全く気が付かなかった……。


「お気をつけください、ヤック様。不埒な輩も多いですので」

「ご、ごめんアヤメ。ありがとう」


 財布を受け取り、今度はしっかりと荷物の中にしまう。まさか、神聖都市に入った直後にこんなことに遭遇するとは思わなかった。大都市ともなるといろんな人がいるということを、今更思い知った。


「何の騒ぎだ!」

「退け退け!」


 その時、人混みを掻き分けて制服姿の人たちが慌ただしく駆けてきた。どうやら、町の憲兵らしい。彼らは石畳の上で延びている犬獣人の男性を見て驚き、僕とアヤメを見て目を白黒させる。

 アヤメは大柄なスリの男を軽く摘み上げ、唖然としている憲兵に突き出した。

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