第40話「アレクトリアの聖女様」

 宿場町アクィロトスで一晩を明かした僕たちは、翌朝、神聖都市アレクトリアへ向かう乗合馬車に乗り込んだ。二頭立ての立派な馬車は荷台も広いけれど、出発する頃には十五人ほどが肩も触れ合いそうなほどの密度で詰め込まれていた。


「マスター、もう少し体をこちらへ」

「だ、大丈夫だよ。アヤメ」


 アレクトリアを目指す人は僕が考えていたよりも多いらしい。ぎゅうぎゅうの荷台で、アヤメが僕の背中に腕を回して引き寄せてくる。確かにスペースは限られているから、密着せざるを得ないけれど、流石にここまでしなくてもいいんじゃないだろうか。

 できるだけアヤメが窮屈にならないように、と壁の方へと身を寄せる。


「マスター、こちらへ」

「ちょっ」


 なのに少しでも隙間を開けると、アヤメはぐいぐいと身を寄せてくる。頭が彼女の胸に半分埋まってしまいそうなほど密着し、何故か花のような香りが鼻先をくすぐる。メイド服越しに感じるのは硬い金属の感触だけれど、それが逆に彼女の胸の柔らかさを際立たせているような気がした。


「すまんね、もう一人乗るよ」

「ええっ」


 御者のお爺さんが荷台に向かって声を掛け、更に人が乗り込んでくる。もう押しつぶされそうなほどアヤメと密着しているのに!


「……仕方ありません。緊急回避策を実施します」

「緊急回避策? うわぁっ!?」


 アヤメが何か呟いたかと思うと、彼女は僕の両脇に腕を突っ込んでくる。そのまま軽々と僕を持ち上げて、あっという間に自分の膝に乗せた。


「ちょ、アヤメ! 流石にこれは!」

「致し方ありません」


 僕の抗議も聞き流し、アヤメはあっという間に僕が座っていたスペースに身を寄せる。これで座席に空きできて乗り込んできた人が座れる代わりに、僕が座る場所が無くなった。椅子取りゲームで強引に椅子を取り上げられてしまったような気持ちだ。

 アヤメの膝の上に座らされたことで、余計にお互いの身長差を意識させられる。しかも、彼女の胸が両肩にのし掛かり、そのしっかりとした重量も否応なく実感してしまった。


「あらあら、可愛いわね」


 向かいの席に座っていたお婆さんが、ニコニコと笑って僕たちを見ている。たぶん、僕とアヤメを姉弟のように見ているのだろう。周囲からも生暖かい視線を感じる。


「うぅ、穴があったら入りたい……」

「そんなものはございませんよ」

「言葉のあやだよ」


 結局、僕は顔を赤くして俯くことしかできない。

 馬車がようやく動き出し、ガタゴトと揺れる。硬い座席に座っていたら、あっという間にお尻が痛くなっていたことだろう。けれど、アヤメの柔らかい太もものおかげで、まったく衝撃が伝わってこない。

 成人してるのに、どうしてこんな屈辱を……。


「アレクトリアまで、堪えてください」

「何時間掛かるか知ってて言ってる?」


 目的地に到着するのは夕方だ。途中に村はあるけれど、この乗合馬車は直通便だから立ち寄ったりしない。つまり、その間ずっと、僕はアヤメに抱えられたままというわけだ。

 泣きたくなってくる僕とは裏腹に、アヤメは全くの無表情だ。僕の胸の前に腕を回し、がっちりと抱えて離さない。大きな熊も持ち上げられる彼女の腕力から逃げ出すのは、非現実的だ。

 ――人生、時には諦めることも大切ということか。

 僕は羞恥心を極力忘れることにして、気を紛らせるためにも真上にあるアヤメの顔を見上げた。

 真っ白で傷ひとつない頬。どれだけ傷ついても、ダンジョン内で休めば、いつの間にか傷が塞がっている。彼女が言うには“機体内のマギウリウス粒子物質変換立体構造印刷機による代替部品の製造と修復用ナノマシンを用いた自動修復機能のおかげ”らしいけれど、相変わらず言っていることの八割以上が理解できなかった。

 つまるところ、彼女はダンジョンの魔力を吸収することで動いているし、それを糧にして傷を癒すということだろう。


「アヤメ、エネルギー残量は大丈夫?」


 アヤメはダンジョン内であれば魔力を取り込むことで長く活動できるし、平時よりも遥かに強い力を発揮する。逆に言えば、ダンジョンの外――地上にいる間は能力が大幅に制限される。

 最後に“老鬼の牙城”に立ち寄ってから、すでに十日ほど。その間ずっと地上で活動していたアヤメは、疲労が溜まっているのではないかと心配していた。


「問題ありません。エネルギー節約のためのパフォーマンス最適化を常に行っており、各種キャリブレーションも問題なく実行されています。出力は30%程まで低下していますが、マスターの補佐に支障はないと判断しています」

「そ、そっか。なら良かったよ」


 やっぱり、アヤメの言葉はたまに分からなくなる。けれど、彼女が問題ないと言っているなら、そうなんだろう。


「第404――“老鬼の牙城”で追加のバッテリーパックも調達しました。それを用いれば、施設外でも短時間であればフルパフォーマンスで活動可能です」

「色々集めてたもんね。できれば、それを使わない方がいいんだろうけど」


 パセロオルクを離れることを決めた後、アヤメはダンジョンに潜り、未踏破領域からいくつかの迷宮遺物を回収していた。それらは全て、彼女が携えているトランクに納められている。


「神聖都市アレクトリアか……。アヤメが元気に動ける環境だったらいいんだけど」


 心配なのは、目的地であるアレクトリアでの活動だ。

 僕とアヤメはそこにあるダンジョンを目指している。彼女が言うには、そこも“老鬼の牙城”と同じく魔獣侵攻スタンピードの危険性があるらしい。


「あなたたち、探索者でしょう? やっぱり“銀龍の聖祠”にお参りするの?」


 憂鬱な顔をしていると、真向かいに座っていたお婆さんが話しかけてくる。のんびりとした馬車の移動では、話し相手が恋しくなる。

 アヤメのメイド服はともかく、僕は黒鉄鋼製の防具や精霊銀の剣を身に付けているし、見るからに探索者といった風貌だ。彼女はそれを見て、僕たちがアレクトリアへ向かう目的を推察したようだった。


「はい。やっぱり、探索者としては一度見てみたくて」

「そうよねぇ。世界で一番平和なダンジョンだもの。聖女様にも会えるといいわね」


 迷宮をその足元に擁しながら、アレクトリアは迷宮都市ではない。なぜなら、そのダンジョン――“銀龍の聖祠”には魔獣が一切存在しないからだ。

 神の祝福とも言われる奇跡の迷宮。子供でも無邪気に駆け回ることを許された、平和な土地。それにも関わらず、“銀龍の聖祠”はダンジョン固有の特殊な鉱石や植物といった資源を生み出し続ける。

 その特異性故に、アレクトリアは探索者たちの聖地とされていた。


「聖女……」


 ニコニコと笑うお婆さんの言葉に、珍しくアヤメが反応する。いつもは僕以外の人の話にはほとんど興味を示さないのに。


「そう、聖女様よ。なかなかお目にかかれないかもしれないけれど、とても綺麗なお方なの」


 お婆さんは聖女を見たことがあるらしい。

 神聖都市アレクトリアの聖女といえば、その町の平和と共によく知られる人物だ。“銀龍の聖祠”に住まい、一日の大半を祈りに捧げる謎の人物。風の噂では、彼女の祝福によって迷宮の平和が保たれているとも言われている。


「アヤメ、何か心当たりがあるの?」

「いいえ。現時点では不確定要素が多いため、断言できることはありません」


 気になって尋ねると、アヤメは真顔で首を横に振る。やっぱり、彼女の考えていることはあまり分からない。


「やっぱり聖女様と会うのは難しいんですか?」

「聖女様は“銀龍の聖祠”の奥にいらっしゃるわ。最近は特に、身の回りの者以外とはお会いにならないそうよ」


 私が若い頃はまた違ったけれど、とお婆さんは残念がる。彼女が若い頃、というのが何年前のことなのかは分からないけれど、聖女はそれよりも前からずっと“銀龍の聖祠”にいたらしい。

 僕は再びアヤメの顔を見る。


「聖女か……」


 いったい、どういう存在なのだろう。

 期待、不安、疑問、好奇心。色々な感情が胸の中で渦巻く。

 僕たちを乗せて、馬車はゆっくりと街道を進む。


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書籍化続報!

今月、7月28日発売予定の「合法ショタとメカメイド」の絵を手掛けていただく方が決まりました!

ヤックやアヤメの姿を描いてくださるのは、イラストレーターの※Komeさんです。

メイドさんに定評のあるお方で、「夜光雲のサリッサ」という漫画作品も手掛けておられます。※KomeさんがTwitter上で公開されている武装メイドシリーズ「HEROES OF ORDER」もぜひご覧ください。

※Komeさんの描くヤックたちについては、また続報をお待ちください!

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