第39話「宿場町アクィロトス」

 宿場町アクィロトスに到着したのは、アヤメの予定通り日没の間際のことだった。探索者としてギルドから身分を保証されている僕たちは、町の入り口で身分証と通行料を支払うだけで町の中に入ることができる。はずだった。


「ちょちょ、ちょっと待て!」

「なんでしょうか?」


 粛々と通行料を支払って進もうとしていたアヤメが、槍を構えた衛士に止められる。けれど、ぴくりとも表情を動かさないアヤメに対して、衛士のおじさんの方が顔を土気色にして、槍を持つ手も震えている。それでも、彼は職務を果たすため勇敢に声をかける。


「その熊はなんなんだ!」


 彼の視線の先にあるのは、三メト以上はある立派な熊。アヤメが道中で狩り、そのまま持ってきたものだ。町のそばで見つかればすぐさま狩人ギルドに連絡が行くような大物を、アヤメはたった一人で、しかも片手にはトランクを携えたまま運んできたのだ。

 その様子を見て、すんなりと通すわけにはいかなかったようだ。


「ここに来る途中で襲われて、そのまま狩ったんです。できれば売却できるところを知りたいんですが」

「はぁ?」


 アヤメに代わって軽く事情を説明しつつ、熊を処分する方法を尋ねる。流石にアヤメがこれを担いだまま町の中を歩いたら、注目を集めるどころか混乱が生じることは想像に難くない。できれば、すぐにでも売り払ってお金に変えたかった。

 衛士のおじさんはぽかんと口を開けて僕とアヤメと熊をまじまじと見る。


「こんな熊を狩ったなんて……。二人はいったい何者なんだ?」

「私はアヤメと申します。ヤック様のハウスキーパーです」


 困惑顔のおじさんに、アヤメは熊を担いだまま恭しく一礼する。細身で長身で、メイド服を着たアヤメは、そんなわずかな動きにも品がある。それ以上に、肩に載った熊が強烈な存在感を放っているんだけど。

 アヤメは人間ではない。ダンジョンの奥で眠っていた、限りなく人間に似た精巧な魔導人形だ。本人は自身を機装兵であり、ハウスキーパーという存在であると説明するが。

 そして彼女の主人マスターは僕だった。紆余曲折の末に正式なマスターとして承認されているものの、いまだにアヤメに傅かれることには慣れないけれど。

 とはいえ、マスターとハウスキーパーという関係を何も知らないおじさんに話しても困惑が深まるだけだろう。


「僕と彼女は“青刃の剣”という名前で活動してるパーティなんです」

「はぁ……。探索者ってのは、とんでもないんだな」


 パーティネームの由来は、僕が肩に提げている鞘に納めた青い短剣。これこそが、僕とアヤメの関係を定義する大切なアイテムだ。

 僕はそっと鞘を撫でながら、できるだけ愛想よくおじさんに笑いかけた。

 旅の中で重要なのは第一印象。愛想が良ければ、案外無理も通る。実際、おじさんも納得しつつあった。けれど、彼は再び首を傾げる。


「二人は探索者なんだろ。どうしてこんなところに?」


 彼の言わんとすることはすぐに分かった。

 僕らは探索者、各地に眠る迷宮ダンジョンへ挑み、そこに眠る財宝や資源を持ち帰ることを生業としている。迷宮近郊にある迷宮都市に定住する者もいれば、方々を巡る流れの探索者もいる。今の僕たちは後者だ。

 けれど、宿場町アクィロトスの近くには迷宮は存在しない。探索者も、そう立ち寄ることはないのだろう。


「実は、迷宮都市じゃない町を目指しているんです」


 僕とアヤメは、ある目的を持って旅を始めた。

 ダンジョン内部の魔獣が凶暴化し、やがて外の世界に溢れる災害、スタンピード。僕たちはそれを未然に防ぎたい。そのために、アヤメが次の目的地として定めたのは、アクィロトスの向こうにある町だった。


「神聖都市アレクトリアへ」


 目的地を告げると、おじさんは表情を和らげた。

 迷宮は多くの資源をもたらすが、同時に危険も孕んでいる。探索者の拠点として迷宮近郊に築かれる都市もまた、いつ危険に晒されるかは分からない。

 しかし、この世にひとつだけ、迷宮の直上に築かれながらも長い繁栄と平和の時代を紡ぎ続けてきた都市があった。大地の魔を封じ、その恵みを人々にもたらす、神に祝福された都市。

 それこそが神聖都市アレクトリアだった。


「もしかして、君たちも参拝に?」


 目的地を聞いたおじさんは、ピンときた顔で言う。

 神聖都市アレクトリアは迷宮を擁しながらもその危険を完璧に封じた土地であり、特に探索者からは強いご利益があると信じられている。だから、熱心な探索者のなかにはそれにあやかろうとする者もいるという話は僕も聞いていた。


「まあ、そんなところですね」


 本当の目的を話しても理解されないだろうし、理解されても混乱を広げてしまう。僕はおじさんに曖昧な顔で頷いた。

 神聖都市アレクトリアはこのあたりではかなり有名な町だ。アクィロトスを経由して、そこを訪れる旅人も数多くいるのだろう。衛士のおじさんはそれまでとは一変して、人の良さそうな笑みを浮かべる。


「アレクトリアに向かうなら馬車がいい。乗合馬車が町から出てるからね」

「そうだったんですか。ありがとうございます」


 乗合馬車の情報は僕も知らないものだった。ここからアレクトリアまではまだまだ距離があるし、楽ができるならその方がいい。道中で熊に遭遇する危険も減るだろうしね。

 更におじさんは、熊を買い取ってくれる狩人ギルドの場所も教えてくれて、親切に旅の成功まで祈ってくれた。親切なおじさんに感謝しつつ、僕とアヤメはようやく町の中へと入ることができたのだった。


「とりあえず、狩人ギルドで換金しようか」

「かしこまりました」


 予想通り、町中で大熊を担いだアヤメはものすごく目立つ。周囲から突き刺さる視線に対しアヤメは堂々としているけれど、僕の方は落ち着かない。探索者ギルドと同じように、狩人たちを取りまとめる狩人ギルドを訪れて、熊を売る。ギルドに加入していないから多少値段は下がってしまうけれど、それでも十分な稼ぎになった。

 その足でアクィロトスの中心地へと向かい、夜と共に喧騒を増す飲み屋街にふらりと迷い込む。


「ヤック様、しっかり近くに」

「うぎゅっ」


 アクィロトスはパセロオルクよりも大きな宿場町ということで、人の数も桁違いだ。広い通路に軒を連ねる店から店へと、人種も種族も多様な人々が飲み歩いている。

 夕食をどこで食べようかと悩みながら歩いていると、不意にアヤメが僕の背中に手を回し、そのままキツく体へ押し付けた。彼女の白いエプロンに頭が埋まって呼吸ができなくなる。

 慌ててバシバシと叩いて脱出するも、彼女は澄ました顔のまま僕の手をしっかりと掴んで離さない。


「あ、アヤメ。そんなことしなくても迷子になんてならないから」

「いいえ、人混みではいつ誰が襲ってくるか分かりません。マスターの警護に万全を期すため、必要な措置です」

「うぐぅ」


 アヤメは片手でトランクを持ったまま、むしろ更に体を密着させてくる。

 正式なマスターになって以降、彼女の過保護っぷりが輪をかけて強くなった気がする。僕だって装備もしっかりと揃えて、一端の探索者として恥ずかしくない姿をしているのに。どうも彼女は、僕のことを触れれば折れるような存在だと思っているような節がある。


「お気をつけください、ヤック様。不埒な輩が狙っている可能性も考えられます」

「成人男性を狙う奴がどこにいるんだよ……。アヤメの方が気をつけるべきじゃない?」


 酔っ払いも多い飲み屋街では、僕よりアヤメの方が衆目を集める。背の高い彼女は人混みの中でも目立つし、そうでなくても目の覚めるような美貌は老若男女の興味を強引にでも引いてしまう。

 酔客に妙な絡まれ方をしないか心配する僕をよそに、当の本人は澄まし顔のまま淡々と語る。


「私を狙う者は少ないでしょう。仮に存在したとしても、問題なく撃退できます」

「それはそうだけどさ」


 彼女の断言は慢心でも驕りでもない、単なる事実だ。

 熊を担いで平然と歩くような彼女が、ただの酔っ払いを投げ飛ばせないはずもない。


「……でも、心配だなぁ」


 思わず青刃の剣に手が伸びる。彼女は僕をマスターと認めてくれたけれど、またいつ離れてしまうか分からない。


「心配ありません。私は常にヤック様にお支えいたします」


 そんな僕の肩を優しく抱いて、アヤメはそっと呟くように言った。

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